第5話 何で俺のせいになるんだよ

 賞状と優勝記念の盾を授与された後に閉会式が進められ、剣道連盟の役員や教育委員会の代表による、少し長めの決まりきった挨拶が淡々と続いた。彼らの長い挨拶が終わると閉会式は終了して解散となる。


 その後に、私を含めた県大会へ出場が決まった選手たちが、集合時間や県大会要領の説明のために本部席前に集まって担当から説明を受けた。


「それでは説明はこれで終わりますが、何か質問がある方は遠慮なくどうぞ」


 大会運営本部の担当者が、集まった選手たちに質問の有無を確認する。担当者の説明は、渡された書類に記載されたことしか言っていないので、当然質問が出ることはない。


「質問がないようですが、もし不明な点などがありましたらその都度で構いませんので、学校を通じて連盟本部宛に連絡ください。それでは、これで終わります。今日は大変お疲れ様でした」


「ありがとうございました!」


 誰かが号令をかけたわけでもなく、選手たちは担当者に揃って挨拶をした。その後、選手たちは、それぞれ会場の出口に向かって歩きだす。私も女子更衣室がある方の出口に向かって歩き始めると、先ほど決勝戦で対戦した佐藤さんに話しかけられた。


「悔しいけれど、香取さんにはかなわなかったな。どんどん強くなってるよね、香取さん。結局、私は小学生のころから香取さんに一度も勝てなかったし……」


 佐藤さんは、試合の時と違って爽やかな笑顔だ。彼女の目元はまだほんのりと赤い。


「いえいえ、そんなことないです。いつもギリギリです」


 私は顔の前で手を振りながら答える。


「また謙遜しちゃって。でも、県大会でまた決勝で当たれるように、私も頑張るからね」


 中信地区の優勝者と準優勝者は、恐らく県大会のトーナメントの山は別のはず。お互いに決勝戦まで進まなければ、佐藤さんと対戦することはないと思う。


「はい、私も頑張りますね」


「それにしても香取さんの目って、試合の時とビックリするくらい差があるよね。普段はこんなにパッチリとした可愛いらしい目なのに、試合で豹変しすぎ」


 笑いながらそう言った佐藤さんにつられて私も笑ってしまう。多分、お互い様だと思うんだけどな……。


「ねぇ、せっかくだから携帯の連絡先、交換しない?」


「はい! 更衣室に置いてあるリュックに携帯入れてあるので、是非お願いします!」


 学校の部活や通っている道場の仲間だけでなく、それまでライバルだった選手が突然友達になったりすることがある。それは稽古をしている場所こそ違うけど、それぞれが剣道という武道の苦楽を通じて、互いの実力を認め合うからだと私は思っている。私はこういう繋がりを大切にしたいので、佐藤さんからの申し出は本当に嬉しかった。


「香取先輩! 優勝おめでとうございます!」


 私は会場を出る直前で、祥鳳学園の制服を着た女子生徒に呼び止められた。声の主は、高等部一年生の弓道部の澤山さんだった。祥鳳学園の弓道場は、剣道部の格技場と併設されている。部室が隣同士ということもあり、彼女とは部活や学年が異なっても話をする機会がそれなりにある仲だった。


「澤山さん、部も違うのに応援に来てくれてありがとね」


「はい! 私、先輩のファンですから!」


  隣に佐藤さんがいるのに、澤山さんから直接に言われると少し恥ずかしい。


「香取さん、先に更衣室行ってるね」


「あ、はい。すみません、後からすぐ行きます」


 佐藤さんは空気を読んで気を使ってくれたのか、私にそう告げて手を振りながら更衣室に向かって歩き出す。澤山さんは佐藤さんを目で追いかけて、彼女の姿が見えなくなると私に振り向いた。


「香取先輩!」


 先ほどよりかしこまった感じで澤山さんは私を呼んだ。


「はい!」


 澤山さんからの気迫がこもった眼差しに圧され、私は思わず姿勢を正して彼女に返事をした。


「香取先輩が優勝したら渡そうと思って用意してました! もし、良かったらこれを受け取ってください」


 澤山さんは深く頭を下げながらそう言うと、それまで彼女が背後に隠していた、丁寧にラッピングされたプレゼントを私に差し出してきた。


「あ……、ありがとう」


 突然差し出されたプレゼントに少し戸惑ったけれど、彼女の行為を無下にはできないのでありがたくそれを受け取った。


「そ、それと……」


 澤山さんは、少し間を置いてお辞儀をしたまま少し小さな声で続ける。


「もし、今……お付き合いしている特定の人がいなければ、私とその……。人目もあるでしょうし、私たちだけの秘密でいいので、お付き合いしていただけませんか? 私、香取先輩のこと大好きなんです!」


「え……? あ……」


 澤山さんからの突然の告白に数秒の沈黙が続いた。言葉が出ない。何て答えればいいんだろう……。


 先月の文化祭の後にも、中等部で三年間同じクラスだったB組の森下さんから胸がドキドキするような手紙をもらって、対応に戸惑ったばかりだ。けれど、同性から直接告白される展開は初めてだったので、どうに対応していいのか考えがまとまらない。


 自分でも顔が赤くなっているのがわかり、軽いパニックになる。私は誰かに見られたり、聞かれたりしていないか慌てて目だけ動かして周囲を見る。そして、誰もいないことを確認すると、頭の中で整理がつかないまま、私は少し俯き気味に澤山さんに答えた。


「ご、ごめんなさい、澤山さん! えぇと、私は……」


 同性は恋愛の対象にできない、と言い終わらないうちに、私の言葉は澤山さんに遮られる。


「わかってます! 好きな人……やっぱり伊吹先輩です……よね?」


「あ……あの、澤山さん? まだ何も……」


 あー。予測不能だなぁ……この子……。剣道やっていたら強かったんだろうなぁ……。


「香取先輩が伊吹先輩のことを好きだってことは、何となくわかってました。私は無理を承知でしたので……。でも、私の気持ちは本当です。せめてこれからもファンは……続けさせてもらってもいいですか?」


 彼女はお辞儀をしたままそう言いうと、上目遣いで私を見つめてきた。意地らしい彼女を見ていると、同性だけれど少し胸が締め付けられそうな思いになる。


「ハ……ハルとは、そういうんじゃなくて、ちょっと違うんだけれど……その、なんて言うかな……。応援してくれるのはすごくありがたいし、嬉しい。でも私、その……女の子は恋愛対象外なので……、ごめんなさい」


 澤山さんにハルの名前を出され、ますます混乱している私は澤山さんにとりあえず謝る。自分でも何を言っているかわからなくなった。


「はい! 県大会も勝ってインターハイ頑張ってください! また応援行きますからね」


「ありがとう、澤山さん」


 少し目に涙を浮かべながら、澤山さんはもう一度深くお辞儀をして、二階席へ向かうために階段を駆け上がってゆく。私はその場から動くことができず、澤山さんを見送ることしかできなかった。また澤山さんとは格技場などで顔を合わせると思うけど、普通に話ができるか少し不安になる。


 ハルは……私のこと、どう思っているのだろう……。


 祥鳳学園中等部に入学して一カ月経った頃、ハルが他のクラスの女子に告白されているところをたまたま目撃してしまったことがある。私はその時、その告白した子に対して『私の方がハルを知っているのに』と、心の中で嫌悪感を抱くと同時に、ハルを潜在的に異性として意識していた自分に気がついた。


 もし、いつかハルに彼女ができて、私に紹介してきたら……。そんな『いつか』を考えると怖くなる。家族のような今の関係が壊れてしまうことは嫌だし、だからと言って思い切って彼に告白する勇気もない。もし、ハルにその気がなければ……、お互いが気まずくなってしまうのは嫌だった。


 私は澤山さんから受け取ったプレゼントを見つめる。澤山さんは、凄く勇気がある子なんだなぁ……。


 はぁ……。


 私は深いため息を一つついて、佐藤さんが待つ更衣室へと向かった。



★★



『以上で、高校総体予選長野県大会中信地区予選の全行程を終了します。皆様、大変お疲れ様でした。気をつけてお帰り下さい』


 閉会式が終了したアナウンスが流れ、選手や役員は散りぢりに動き出す。応援席も帰る人や横断幕を撤収したりする人で慌ただしくなっていた。


 県大会へ出場が決まった選手たちは、本部席に呼ばれて説明を受けていたけれど、一同が役員に礼をして解散しているところを見ると、その説明も終わったようだ。


「あ、終わったみたいだな。彩葉はそろそろ戻ってくるかな?」


「あぁ。更衣室でシャワー浴びて着替えてから戻ってくると思うから、もう少しかな」


 俺が幸村に答えた時、祥鳳学園の制服を着た女子生徒が、会場の出口付近で彩葉に近づいて行くのが見えた。彼女は彩葉に声をかけたのだろう。背後には何か隠すように持っている。彩葉と一緒に並んで歩いていた準優勝の選手は、彩葉に手を振って先に会場を出た。


 さすがに遠くからなので細かい所まではよく見えない。彩葉に話しかけた女子生徒は、どうやらプレゼントを渡しているらしい。彩葉は何か慌てた様子でその女子生徒とやり取りしている。


 最後に女子生徒は、もう一度彩葉に深くお辞儀をして走り去った。彩葉は、しばらく貰ったプレゼントを見つめたまま、その場で立ち尽していた。そして、急に慌てて小走りで更衣室の方へ向かってゆく。


「何してるんだろうな、あれ」


 手すりが付いた腰高の壁に寄りかかりながら、俺はジュースを飲んでいる幸村に呟いた。


「愛の告白……とか?」


 冗談っぽく言ったように聞こえたが、幸村の顔は真剣だった。


「はぁ? だってさっきのって……、女の子だろ?」


「わかってないなぁ、ハルは。彩葉は男子からもモテるけど、女子からも人気があるんだぜ? 彩葉って可愛い顔して強いじゃない?」


「あぁ、まぁ……」


 俺は幸村の意見を否定せず素直に認める。


「それに毎年ライブであの歌声を披露してるだろ? 先月の学園祭の翌日に、B組の女子からラブレターもらったって噂だぜ?」


「マジかよ? 知らなかったな、それ」


 同級生や三年生の先輩たちの間で、彩葉の人気がそれなりに高いことは知っていた。幸村に言われて改めて考えてみると、強くて可愛いらしい彩葉は、たしかに女子からの人気があってもおかしくないように感じてくる。


 先ほど彩葉に話しかけていた女子生徒が、俺たちがいる目の前の階段を駆け上がってきた。彼女の名前は知らないけれど、部活が終わった彩葉を迎えに行くと、格技場付近で見かける事がある生徒だった。うちの学校は柔道部がないので、空手部か弓道部の子だろうか。剣道部の生徒は知っているので、彼女が剣道部員でないことはわかった。


 女子生徒は俺の視線に気づいたのか、俺と目が合うとその場に立ち止まって、丁寧にお辞儀をして微笑んだ。とりあえず何だかわからないので俺も会釈を返す。すると、彼女は涙を拭いながら、彼女の仲間が待っている方へと走り去って行った。彼女は仲間に慰められているようにも見える。


「なぁ、ハル。さっきのアレってやっぱり……」


「あぁ……、もしかしたら本当にそう……。なのかもしれないな」


 俺は見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。忘れよう。


「でもさ、これってお前のせいでもあるんだぜ?」


「おい、何で俺のせいになるんだよ……」


 俺は少しムッとして幸村を見つめた。


「ハルがもっと中途半端なことしてないで『彩葉は俺の彼女だ!』って堂々と付き合っちまえば、彩葉に告白して玉砕する奴もいなくなるだろ?」


「ちょ……、お前なぁ……。俺と彩葉は何というか、物心が付いた時にはもう一緒にいたし、今さら恋愛感情的にどうしろとか……。俺はともかく、あいつが俺のことをどうに思っているのかわからないしさ……」


 曖昧な言葉しか出てこない。


「じゃあ、質問。もしも、誰かが彩葉に告白して、そいつと彩葉が付き合うことになったら……。ハル、お前、どうすんの?」


 鋭い質問に俺は即答できない。そして幸村から目を逸らす。


 彩葉が誰かと付き合うだなんて、今すぐにはないと思う。ただ、それは俺が心で『そうあって欲しくない』と、願っているだけに過ぎない。でも、いつか彩葉だって誰かと恋をしたり、やがて結婚をする日もくるのだろう。


「なんか……あまりいい気分じゃないけど、彩葉が選んだ相手なら……仕方ないんじゃないの……かな」


「はぁ……。ホント、ハルは素直じゃないなぁ。彩葉の気持ちなんてさ。ハルのことがが付くほど好きに決まってるだろ? 彩葉には口止めされていたけど……。この際だからもういいや。中二の時だけどさ。彩葉からボクに大事な話があるって言われたんだ。ボクだって彩葉のことは、友達以上に異性として好きだし、もしかしたら告白でもされるのかなって、一瞬ボクなりに淡い期待をしたわけ」


「おいおい、お前……」


 俺は『やめとけ』と言おうとしたけれど、幸村に制止された。そして幸村はそのまま続けた。


「だけど『どうすれば幼馴染が自分を異性として意識してくれるようになるか一緒に考えてほしい』ってさ。単なるハルに対する恋愛相談だったんだぜ?」


 苦笑いしながら幸村は言う。


「幸村、お前はよくそんな話を、恥ずかし気もなく俺に言えるなぁ。で、その時なんて答えたんだよ?」


 幸村の開放的でまっすぐな性格が少し羨ましく思う。


「脱げば大丈夫!」


「アホだろ、お前……」


「思い切り呆れられたけどね……。でも、こんなことハルにしか言えないって。ボクは勝てない勝負は、できれば挑まない主義ってだけ。ボクって好きな女の子から自分の親友に対する恋話こいばなを持ち込まれる哀れな奴なんだぜ?」


 笑いながら幸村は言う。


「幸村、そんなことストレートに言えないぞ、普通。逆に聞くけどさ。お前は俺と彩葉が、もし付き合うことになったら……、それでいいのかよ? 言っておくけど、もしもだぞ?」


「両想いなんだし、お似合いだからいいんじゃない? でも、寂しいからボクを仲間ハズレにしないでくれよ?」


「はぁ……。やっぱりお前の思考はなんか凄いよ、幸村」


「近い将来さ、ハルが彩葉に告白して、もしフラれたら……。その時は、ボクが告白する番てことで。まぁ、その番は来ないと思うけど。同じ女の子を好きな者同士楽しくやろうぜ、相棒」


 幸村はいつもの無邪気な笑顔で、右手で拳を作って俺に突き出す。


「そうだな、相棒」


 見透かされているようで悔しいけれど、こいつは本当にいい奴でかけがえのない親友だ。仮に彩葉の気持が幸村にあるとするなら、その時は素直に納得して祝福できる。


 俺は照れ臭くてつい顔を背けたけれど、左手で拳を作り幸村とグータッチを交わした。

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