終幕、中

 *


「呪いを、掛けてよ。……僕の、お姫様」

 あの日、全ての出来事が、居間の大きな姿見に映っていた。

 玖遠は笑っていた。血を口から零しながら、笑みを浮かべていた。これから自分がどうなるのか、私がどうするのか、全て感づいていたのだろうと思う。彼は今際の際に言葉を遺す代わりなのか、血を含んだまま私に口づけをしてみせた。最期のキスは鉄の味、なんて。死んでも忘れられそうにない。私の言葉に対する彼なりの返事なのだろう。私はそんな彼が愛おしくてたまらなくて、だからこそ、その愛を永遠に繋ぎ止めておきたくて、彼の心臓に突き立てたナイフに力を込めた。私もきっと笑っていた。姿見に映った私は、笑っていた。どこにも怪我などしていないのに血に塗れた肌で、髪で、真っ赤な瞳で、笑っていた。けれど瞳からは後悔が零れて溢れて、止まる気配がない。とうとうやってしまったと、私は後悔している。しかし、やるならば最後まで、最期まで、毒を食らうのなら皿までも喰らおうと。今私がしていることも、このあと自分がしでかすことも、許されることではない。しかし、だ。完遂するべきだ。一度踏み外した道から元の道に戻ることなど、きっともう出来っこないのだから。

 ひとつ、ひとつ、女の手一つで行うには余りにも難しい処理を丁寧にしていく。ひとつ、ひとつ、切り落とす度に、飛沫と後悔の粒が音を立てる。ぴちゃり、ぽたり、そんな水音と、ぐちゃり、べたり、こんな生々しい音が交差する。気持ち悪いとは思わなかった。これが彼の中身で、性差を除けば双子である自分はこれと殆ど寸分違わない中身が詰まっているのだ、と思うと嬉しくもあった。ひとつ、ひとつ、処理を続けていく。一滴たりとも逃すまいと丁寧に。ぴちゃ、ぐちゃ、べた、ぽた。そうして全ての処理を終えてから、私は食事にありついた。


「美味しいな。……美味しい」


 もう戻れないな。どう足掻いたとしても。

 ――でも、もう決めたんだろ? 

 彼の声がした。もう、後悔はない。私はそう返事をする。

 ――なら、構わないさ。君は呪いをかけたんだろ。

 掛けたよ。……賭けたよ、君にも、自分にも。

 ――君に呪われるのは、僕が望んだことだ。勿論、君が望んだことでもあるけど。

 知ってる。知っているよ。

 ――最期まで、縛られてよ。僕を縛った君には、その義務がある。

 当然、そのつもりだ。私は君を二度は殺さない。……いや、


“僕”は、もう”自分”を、”玖遠”を殺さない。

 隠し通すのなら、全てを騙さなければいけない。勿論、自分の事さえも。

 僕は黒曜玖遠。僕は黒曜玖遠。僕が黒曜玖遠。僕は玖遠。

 黒曜神流は死んだんだ。僕が殺した。見殺しにした。もう生き返らない。もう生き返らない。僕が殺したから、もう生き返らない。黒い髪は染めたんじゃない。元から僕のものだった。青い瞳はカラーコンタクトじゃない。元から僕のものだった。日傘は神流の形見だ。僕は日光が苦手なのではなくて、体が弱いだけだ。

 言い聞かせているのではない。事実を確認しているだけだ、僕は、僕が、黒曜玖遠。


「走馬灯はもう終わった頃かな?」

 その声ではっと我に帰る。首元を締めていた手は、いつの間にか緩められていた。自分が咳き込んでいた事にも、今ようやく気付いた。

「くーちゃんが自分の本当を見せてたのは、君だけじゃなかったってことだよ、神流」

 返事など出来ない。私の体は、酸素を取り入れることで精一杯だ。彼は未だ笑顔のままで、雰囲気からは殺意など微塵も感じられない。知らぬ間に手に持っていたナイフに目を向けなければ、至って普通の男子生徒にしか見えないだろう。

 怖い。素直にそう思った。この男は一体なんなんだ?

 特定の人間の前以外では感情が生まれず、それを繕い普通に振る舞う玖遠とは違う。ベクトルが違う。確かに目の前の男には感情があるはずなのに、それと表情がちぐはぐだ。噛み合っていない。何をするか分からない、一切読めない。ああ、違う、私はきっと殺される。今ならわかる、以前彼が私に見せた笑顔は、全く心からのものなどではなかったのだ。深く、暗く、冷たい瞳。なぜあの時は、それに気がつけなかったのだろう。

「君がくーちゃんを殺して、その後どうしたのか。……想像はついてるよ。君の犯行動機を考えれば」

 びく、と体が動く。どこまで、どこまで知っているんだ。違う、ハッタリだ、と言い聞かせて心を鎮めようとするも、次の一言でそんな努力は水の泡となった。

「一つになりたかった。いつか離れてしまうくらいなら、ずっと一緒に居られるようにしてしまえばいい。だよね?」

「なん、で」

「分かるよ? だって」

 続きの言葉を放つ前に、彼は私の心臓めがけて包丁を突き刺した。それは前触れすらない

 一瞬の動きで、どう頑張っても避けられそうになかった。ごめんなさい玖遠、私は君を二回も殺してしまった。でも私、今からそちらに行くから。会いに行くから。天国や地獄があったって、何千年何万年かかっても会いに行くから、だから、もう一度。また会えたのなら。


 ――愛して、くれるかな。 

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