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「あのね、違うなら違う、嫌なら嫌って、はっきりということ」

 違うなら違う。そうだ、私は、班長に対しても先生に対しても、そう言いたかったのに、言葉を飲み込んでしまった。

 それは、とても苦しかった。

「いつも穏やかなのは美優ちゃんのいいところだけれど、それも度をこすと卑屈に見えてしまうわよ? 今回谷本さんが美優ちゃんに仕事を押し付けたのは、美優ちゃんならおとなしく言うことを聞くと思ったからだと思うわ」

 楓ちゃんの言うことはきつかったけれど、その通りだったので私はこくりとうなずいた。

「今回、美優ちゃんだって少しは、なんで私が、とか思ったでしょ?」

「……少しより、もうちょっと思ったかも」

「ね。だったら、ちゃんと言わなきゃだめ」

 楓ちゃんは、にっこりと笑った。

「うん……」

 違うって言いたかった。颯太が遅くまで手伝ってくれたって言いたかった。

 友達となら簡単に話せるのに、みんなの前で話すことができなかった。言えなかった言葉は、胸にたまってとても苦しかった。

 みんなが黒いもやを背負う時って、こんな気持ちなのかな。

「それに、自分だけががまんすればいい、なんて思って言葉を飲み込んじゃうと、他の人にも迷惑をかけたりすることもあるしね」

「え?!」

「日比野、心配してたよ、美優ちゃんのこと。おとなしいから、谷本さんの言いなりなんじゃないかって」

「そんなことないよ。瑠奈ちゃんとは友達だし……」

「でも今回、谷本さんは美優ちゃんを利用したでしょう?」

 私はためらったけど、うなずいた。多分、その通りだ。

「そんなのは友達って言わない。間違えちゃだめよ。頼りにされることとうまく使われることは違うから」

 楓ちゃんが、またため息をついた。

 あ。よく見たら、楓ちゃんの背中で、あの黒いもやがゆれている。

「本当はね、谷本さんのことも、あんなふうにみんなの前でつるし上げることはしたくなかったの。でも谷本さん、他の委員ともちょっとトラブルおこしてて、そっちの方からも文句がでてたのよ。だから一度、本人にもまわりにもわかる形で決着をつけておきたかったの。でも、ああいうのって、あまり気持ちのいいものじゃないわよね」

「うん……そうだよね。誤解が解けたのはよかったけど、瑠奈ちゃん、かわいそうだった」

 私が言ったら、楓ちゃんが、少しだけ笑った。

「美優ちゃんは優しいなあ」

と。

 背中にあったもやが、しゅるりとひとまわり小さくなった。私は目をぱちくりする。

 え? なんで?

「なんかね、美優ちゃんと話していると、ささくれ立ってた気持ちが、こう、すーっと穏やかになるの。きっと、美優ちゃんがいつもにこにこ話を聞いてくれるからだね」

「そ……なの?」

「うん。美優ちゃんて、絶対に人の悪口言わないでしょ? だから一緒にいても嫌な気持ちになることがないの。それに比べて私なんて、きっと今日のあれで、きつい委員長だと思われただろうなあ」

 楓ちゃんは、ぐったりと机につっぷした。

 その背中にあった黒いもやは、さっきより少しだけ小さくなっていた。

 私は、楓ちゃんのなんとなくその黒いもやを見ながら言った。

「でも、私、もやもやしているくせに自分では言えなかったから、楓ちゃんが言ってくれて、すごく嬉しかった。楓ちゃんは、委員長として大変だろうけど、今回は言ってくれてよかったと思うよ」

「そうかな?」

「うん、そうだよ。ありがとう、楓ちゃん」

 えへへ、と嬉しそうに笑った楓ちゃんの背中のもやが、また小さくなってほとんど見えなくなってしまった。

 瑠奈ちゃんのこととは別の意味で、私は胸がどきどきしてきた。

 こうやって嬉しい気持ちを伝えて相手も嬉しくなってくれたら、あのもやって私でも消せるのかもしれない。

 萌ちゃんは、人を楽しくさせたり嬉しくされたりすることが、人の心に光をもたらすって言っていた。そうかあ、これがその力なんだね。

 そんなことを話していると、下校の音楽が鳴り始めた。楓ちゃんが立ち上がる。

「遅くなっちゃったね。帰ろ」

「うん」 

 私もにこにこしながら、いきおいよく立ち上がった。


  ☆


 せっかく見つけた黒いもやを消す方法を試したかったけど、帰ってきたママには黒いもやはついていなかった。きっとママも、今の生活を幸せだと思ってくれているんだな、と思ったら、嬉しかった。

 でもやっぱり、そんな風に人に気持ちを読んでしまうようなことは気が引ける。絶対人には知られないようにしよう。


  ☆


 次の日の朝、莉子ちゃんと学校へ向かっていた私は、前の方に大きな闇を背負っている人を見つけた。

「あ、安永さんと菊池さんだ」

 莉子ちゃんがわざわざ口にしたのは、なんとなく二人の様子がおかしかったからだ。うつむいたまま道のはじに立っている安永さんを、菊池さんが気づかうようにのぞきこんでいる。

 あれ? もしかして……安永さん、泣いているの?

「どうしたんだろうね」

 安永さんの背中には、かなり大きい黒いもやが乗ってゆらゆらと揺れていた。怒っている感じじゃないから、何か、すごく悲しいことでもあったのかな。

「さあ。でも、うかつに私たちが声かけるものまずいでしょ。ほっとこう」

 さっさと歩いて莉子ちゃんは二人に近づいていく。二人を追い越さないと、学校には行けない。

 気にはなるけれど、確かに私がいきなり声をかけたらびっくりするだろう。私もなんだか嫌われているような気がするし。

 あまり見ないようにして二人の横を通り過ぎようとする。

 すると私たちに気づいた安永さんに、なぜか思い切りにらまれてしまった。ぞくり、と鳥肌がたつ。

 私と合ったその目が赤い。やっぱり、泣いていたんだ。

「り、莉子ちゃん、なんかすごいにらまれた」

 二人から離れてから、私は莉子ちゃんの手をつかんだ。ちょっと、怖かった。

「え、なんで?」

「わかんない」

 前に萌ちゃんは、安永さんの態度は私のせいじゃない、みたいなことを言ってたけど、あんなふうに見られるとすごい気になる。 

 安永さんは、莉子ちゃんではなく、確かに私を見ていた。なんで、私なんだろう。気にはなるけど、怖くて振り向けない。私たちは急ぎ足でその場を離れた。

 安永さんの背中にあった黒いもや、すごく大きかったなあ。

 昨日の楓ちゃんみたいに、あれ、小さくしてあげることって、できないかなあ。


  ☆


 その日の昼休み、私は花だんの確認のために裏庭へと急いでいた。

 中庭の花だんは園芸委員が担当しているけれど、裏庭の方は、希望しているクラスがそれぞれ区切られた土地を使っている。

 もう花も野菜もないけれど、引継ぎの時には来年の配置を決定しておかなければいけないので、そのための見取り図を作るのだ。

「今日中に見取り図を作って、放課後になったら楓ちゃんに見てもらって……」

 確認事項をぶつぶつとつぶやきながら裏庭に出ると、誰かがはしっこのほうに座っていた。その人が誰か気づいて、私は足を止める。

「あ」

 安永さんだ。

 うっかり私が上げてしまった声に、安永さんが振り向いた。その瞬間、安永さんの背中についていた黒いもやが、ぐわ、と大きくなる。

 反射的に、目をそらしてしまった。

 ひええええ、やっぱり私、何かしたのかなあ……

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