第二章 私にできること

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「他の学校にも、髪を切られた子っているの?」

 萌ちゃんから天使の話を聞いた次の日、私たちはお昼休みに図書館に来ていた。

「今のところいないわ。被害が出ているのはこの学校の女子だけなの」

「そっか。ねえ、被害にあった女の子たちって、誰?」

「ええとね……」

 萌ちゃんがとなりの席で一人ひとり名前を書いていくのを、私は額をくっつけるようにして見ている。

「……で、菜月ちゃんと響子先生で、五人、と」

「早紀ちゃんも、やっぱり髪、切られてたんだ」

「美優ちゃんの友達?」

「うん、去年同じクラスだった」

 早紀ちゃんも、つやつやしたきれいな髪をしていた。

「なんの話?」

 机をはさんだ向かい側に、莉子ちゃんが一冊の本を持ってきて座った。

 莉子ちゃんが読書感想文の本を選ぶのについてきたけど、どうやら決まったみたいだ。

「なんの本にしたの?」

「これ! 名作よ!」

 じゃーん、と言いながら莉子ちゃんが見せたのは、絵本。まぎれもない不朽の名作、『泣いた赤鬼』だった。

「……莉子ちゃん。私達もう、小学校五年生だよ? それ、保育園くらいの本じゃない?」

「いいじゃない。ちゃんと図書館で借りたんだし、なにより、短いのがすばらしいよね」

「いいけど……」

 いいのかな?

「そういう美優は、何書いたの?」

「私? 私は、メーテルリンクの『青い鳥』」

 なぜだか莉子ちゃんは、げ、と顔をしかめた。

「すぐそこにいた青い鳥を探して壮大なむだ足を踏む話だったっけ?」

「むだ足……そう言えないこともない……かな……」

 莉子ちゃんにかかると、名作もかたなしだ。

「幸せは実は近くにありました、って最後はみんなハッピーになる話よね」

 萌ちゃんがフォローしてくれるけど、私は、少しだけ困ってしまう。

「私もそう思って借りてみたんだけど、ちゃんと読んでみたら、なんか違うような気もしてきちゃった。もっとファンタジーっていうかおとぎ話みたいなのを想像していたんだけど、思ったより内容が怖いとこもあったりして……実は現実は厳しいよ、って話なのかなあって感想」

「現実なんて、そんなもんよ。身近に幸せがあるなんて夢物語、実際にあるわけないじゃない。ばかばかしい。あれはもう、設定からしてファンタジーよね」

 莉子ちゃんらしいセリフだなあ。

「莉子ちゃん、『青い鳥』読んだことあるの?」

「あるわけないじゃん」

 莉子ちゃんが、ふん、と鼻息荒く言った。

「でもさ、幸せなんて、探せばいくらでもあると思うけど」

 のんびりと言った私に、莉子ちゃんはびしりと人差し指を突きつけた。

「美優は甘いわ。宿題に追われてママには怒られてばかりの毎日に、幸せなんてこれっぽっちも感じられないわよ。あーあ、早く大人になりたい。そしたら、こんなにきゅうくつな思いもしなくてすむのに」

「私は別に、このままでもいいけど」

 私は、突きつけられた莉子ちゃんの指をなんとなく片手で握ってみる。莉子ちゃんは、面白がってその手をぶんぶんと振り始めた。

 大人になったら、私もママみたいな素敵な女性になれるかな。

 朝から夕方、時には夜まで仕事をしてご飯を作ってお洗濯をしてお掃除をして。そんな中でも、私の宿題を見てくれたり今日あったことを私が話すのをにこにこ聞いてくれたり。ママは本当にすごいなあ、っていつも思う。私も、いつかそんな風になれるかなあ。なりたいなあ。

「莉子ちゃんは、どんな大人になりたいの?」

 萌ちゃんが、のんびりと聞いてきた。

「子供でなければなんでもいいわ。でも、そうね」

 莉子ちゃんは、遊んでいた私の手を離して、少しだけことりと首をかしげた。

「ママみたいに、文句ばっかり言わない大人になりたい。私は絶対、気分でどなりちらしたりしない優しい大人になるんだ。そんでキャリアを積んで、誰にも頼らずにばりばり働くの!」

「そう。美優ちゃんは?」

 萌ちゃんは、私に向き直る。

「えーとね、ケーキ屋さんとかお花屋さんもいいな。保育園の先生もいいし、あ、小学校の先生でもいい。ママみたいな司書にも……」

「あれー? 美優の夢はお嫁さん、じゃなかったの?」

 からかうように言った莉子ちゃんに、恥ずかしい過去を思い出した。

「あ、あれは……!」

「泣きながら、『みゆはそうちゃんのおよめさんになるー! ずっと一緒にいるー!』って颯太に抱きついて離れなかったのは誰よ」

「同じ言葉を、私、莉子ちゃんにも言ったよ? だいたい、あれを私に教えてくれたのは莉子ちゃんじゃない」

『結婚』して『お嫁さん』になればずっと一緒にいられるんだよ、ってこっそりお教えてくれたのは莉子ちゃんだ。引っ込み思案でいつも誰かの後ろについていた私にとって、それはとてもすてきなことに思えたんだ。

 私が言ったら、莉子ちゃんは、ぱ、と顔を赤くして横を向いてしまった。

「それに、ばか美優。保育園の先生は、保育士って言うのよ。そんで、萌は?」

「え?」

 私たちには聞いたくせに、萌ちゃんはきょとんと莉子ちゃんの顔を見返している。

「私?」

「そう。萌は、大きくなったら何になりたいの?」

 萌ちゃんはしばらく黙っていたあと、ゆっくりと笑って言った。

「私は、大人になりたいなあ」

「? 大人になんて、ほっといたって勝手になっちゃうじゃない。萌の答えってヘン」

 私は、萌ちゃんのその答えを聞いて、は、とした。

 萌ちゃんの夢は、大人になること……でも、その夢は。

「ちょ、美優? どうしたの?!」

 莉子ちゃんが、いきなりぽろぽろと泣き出した私に驚いて声をあげた。

「ううん、な、なんでも、ないの……」

 萌ちゃんは、大人になれないまま死んじゃったんだ。だから、七十年たっても、ずっとその姿のままで。

 天使のことはわからないけど、いつか、萌ちゃんが大人になれる日も、くるのかな。そんな日が、くるといいな。

「美優ちゃん」

 隣の席にいた萌ちゃんが、ぎゅ、と私を抱きしめた。耳元でこっそりと、ありがとう、と小さな声が聞こえた。

「美優ちゃん、どうやら『泣いた赤鬼』のお話を思い出しちゃったみたいよ? 泣けるものね、この話」

「う、うん、そうなの。子供のころから大好きだったし」

「だからって、また泣く? ……まあ、美優だしね」

 ちょっと納得してない感じだったけど、莉子ちゃんはそれ以上は聞かなかった。

「それより、なに、これ?」

 莉子ちゃんが、私たちの手元にあった紙をのぞきこむ。私は、あわてて涙をふいた。これ、莉子ちゃんにみつかったらまずかったかな。

「うん、今度の髪型の参考にしようと思って。みんなかわいいよね」

 笑ってその紙を隠そうとした萌ちゃんに、莉子ちゃんはからからと笑った。

「そりゃそうよ。響子先生は別として、その子たちってみんな髪のモデルだもん。お金かけてるんでしょうねー」

「え?」

 莉子ちゃんの言葉に、私たちは思わずその顔を見返した。

「モデル?」

「モデルと言っても、読モだけどね。『やつきガーデン』の。あれ? 知らない?」

 莉子ちゃんが口にしたのは、この街のいろんな情報が載っているタウン情報誌だ。

 私と萌ちゃんは、一緒に首をふった。

「あの中に、『リトルガールズ』っていう、地元の小中学生がモデルになって服とか髪とかおしゃれに紹介するコーナーがあるの。数回載って交代になるモデルだけど、この子たち、みんなそのコーナーに出たことあるのよ。そういえば、菜月が先月初めて載ってみんなでさわいだじゃん」

「ああ」

 そういえば、菜月ちゃんが先月持ってきていたっけ。そうだ、髪がきれいだってスカウトされたって言ってた。

「私も、こんなくせっ毛じゃなかったら、いいモデルになれたかなあ」

 莉子ちゃんは、おしゃれのことにも詳しい。きっと、そういう雑誌とか、たくさん読んでいるんだろう。

「くせっ毛だと、モデルになれないの?」

「そんなこともないだろうけど、ストレートなら、ちょっとアイロンでもかければくるくるになるけど、くせっ毛を真っ直ぐにするのはたいへんじゃない。それに今は、ストレートで黒髪の方が、世間受けがいいみたいだよ? そういう素人っぽい方が、かえってうけるんだって。そういえば読モの子ってロングヘア多いけど、この子たちはみんなショートよね。ストレートの子は短くても有利だなあ」

 くるくると自分の髪をいじりながら、莉子ちゃんは貸し出し手続きのためにカウンターへと行ってしまった。


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