下地創り
@carifa
第3話 とってつけた、うそ
帰ってきたばかりの、利恵子さんの胸の谷間に顔を埋める。暖かくて、柔らかくて、いい香り。
そのまま、シャツのボタンを外して、ブラのホックを外して、両手でやわらかさを確かめる。
BGMには、ジェイソン・ムラーズ。
利恵子さんが、好きな歌声。僕も好きになった。
「おかえり……」
利恵子さんが耳元に囁く。
僕の方が「お帰り」と、言いたいのに先に囁く。
「ただいま……」
僕は仕方なく呟く。
ワンルームの部屋には、ベッドとテレビの他に僕が食べたポテチの袋。
「待ってた?」
利恵子さんが僕の頭を優しく撫でた後に、自分の乳房に押し付けるから僕はその感触を頬と唇で確かめる。
しっとりしていて滑らかな肌は透き通るように綺麗で、僕はまわってしまうほど利恵子さんの事が、好きだと改めて感じる。
自分の指先を利恵子さんの指先に絡めて握り締める。
その部分だけは、今だけは、僕のもの。
翌日
夕方のニュースで台風十九号が、いびつな方向転換を繰り返して日本に上陸すると言っていた。
それでも、窓から見える空は雲ってもいないし雨の気配もない。
ただ、頭痛は酷い。ずんずんと重く締め付ける鈍痛が休まず続いている。
スマホをスピーカーに繋いでジェイソン・ムラーズ。
軽い音が嫌いだった筈なのに、優しい声が嫌いだった筈なのに、今は信じられないくらいに心地良い。
小さなキッチン以外の部屋は一つしか無いから、出窓に置いたスピーカーから、ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモを刻む僕まで届く。
ソラニンはお腹を壊してしまうし、注意して取り除いてサラダ油をぶち込んだ鍋にデタラメに投入して軽く炒めてあげる。
当番は、決めてないのに火曜はいつも僕のカレー。鶏肉のカレー。別に豚でも牛でも良いけど、僕のカレーはチキンカレー。
僕は冷蔵庫からビールを出して鎮痛剤を二粒流し込む。
炭酸と錠剤の相性悪い。
ころころと喉の周りで苦味を広げていく。
市成建設の専務よろしく苦虫を噛み潰した顔になるように中心にしわを集めてみる。
つまらない人は良く怒る。
つまらない人は責任転嫁に余念がない。
僕はビールで鎮痛剤を飲むより、ポテチをかじる方が美味いってことを知ってる。
コンソメや、サワークリームも良いけどビールには、のりしおだと分かってる。
「雨になるよ」
玄関ドアが開いたかと思った瞬間に、利恵子さんが唸りながらキッチンを駆け抜ける。テレビの奥のカーテンを勢い良く開く。
「洗濯物は入れたから」
僕は沸々と踊る鍋の中の野菜と鶏肉を眺めながら背中で答える。
僕の部屋はキッチンを除けば一つしかないから小さなベランダに出るのも苦労はしない。
帰宅して直ぐに洗濯物は取り込んだし、ベランダの隅に置いてある元カノが忘れていった観葉植物にも水をあげた。
「ありがと……でさ、今日の須藤も死ねばいいって、七回半くらい思った」
「須藤さん、タフだよね……なかなか、死なないし」
僕はガス火を弱くして市販のルーを溶かす。
辛うじて固形を保っていた香辛料の塊が姿を無くしていく。とろとろになって、気持ちていどに入っているターメリックやクミンや他の奴等も各々に自己主張を始める。僕の嗅覚はそいつらに直ぐにやられて意味もなく嬉しくなる。
「須藤は死なないの。 死なないけど、死ねばいい」
「利恵子さんから毎日呪われてるんだから、いつか死ぬよね。 僕も後輩から呪われてるかも?」
言いながら火を止めて振り返る。
「ノブは、死なないの」
「なんで?」
利恵子さんに訊きながら、器にご飯を山盛り。その上にとろとろのとろとろを掛け回す。
「先ずは、食べちゃう?」
利恵子さんが微笑む。
理由が明かされることはない。
ずっとない。
それでも僕は良いと考えてる。
ビールは苦味を楽しむよりも、ホップの香りを楽しむ方が好き。
週末
利恵子さんはいない。
明日も利恵子さんはいない。
僕はマグカップにあけた乾燥スープの粉末をお湯でときながら、浮かんできたクルトンの数を数える。
理由はないし、必要ない。
利恵子さんが外さない指輪と、ジェイソン・ムラーズ。
嫌いじゃない。
うそをつかない利恵子さん。
嫌いじゃない。
嫌いになる理由もない。
僕はスマホを操作してお気に入りの曲を爆音再生する。
https://youtu.be/3YtH2rjrfaI
おわり
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