Bullet!! ～新人銃士、荒野に発つ～

０．ある人生の終わりに

　もし死んだあとに来世ってものがあるんなら

　――ギリ、と彼は太陽を睨み上げる――もし来世があるんなら、次はマトモな人生をお願いするぜ、神さま。そうだな、さしあたっては〈あいつ（レシャール）〉みたいな感じで頼むわ。

　彼は山積みの木箱に背を預けると、前に建つ朽ちた牛舎、横に伏した太った男、転がっていくホコリ草、と順に目を移す。

　そしてまた天を向き、蹄（ひづめ）の音にじっと耳を澄ませた。

　遠くからゆるりと迫る常歩（なみあし）。それが警戒の表れなら良いのだが。

　荒れた砂利道を挟んで反対側、黒く立ち枯れた茂みがザラリと揺れる。

　彼は手真似でそれを制した。相手は単騎。こちらが二人でも焦らなければ勝機はある。

　この廃牧場に逃げ込むまでに二番（スピ）と四番（ティビ）が脱落。

　六番（クティ）は見張りに出たまま帰ってこなかった。

　野盗頭（かしら）の一番（アーク）も虫の息。そのひげ面にはハエが集り、虚ろな目には天国の扉が映える。

　そんな危機的状況に、彼の目は曇るどころか秒刻みでギラつきを増していく。

　奪った金貨の袋はアークが大事そうに抱えているが、天国まで持って行けない事ぐらい彼も承知しているだろう。二人で分けても半年は遊んで暮らせる額だ。

　手に入れるためには銃士を一人屠ればいい。

　危険な相手だが野盗二人の命が掛け金ならまず充分といえる。

　――それにまだ、切り札も残っている。

　彼が腰に吊った二丁にそろりと手を伸ばしたとき、数十歩の距離を置いて小石を踏んだ蹄（ひづめ）がチリ、と鳴った。

　陽射しを鈍色に反射する輪胴（シリンダー）には左右合わせて十二発。茂みに潜んだ三番（シュルク）の長銃（ライフル）にはあと八発。だが全部撃たせてくれるとは思えない。

　手袋の下で古傷が引きつり、汗は止めどなく彼の額を伝う。

　高い鼻柱に下がった水滴が、やがてポタリと落ちて砂を濡らした。

　刹那、乾いた銃声が空へと伸び上がった。呻きを上げた茂みを突き破って、シュルクが背があらぬ向きへ曲げながら飛び出す。

　視界の端に仲間の最期を捉えるや、彼はためらうことなく砂を蹴った。

　もう身を隠すのは無理だ。どころか危険ですらある。なぜなら――

　間髪入れずキンと耳をつんざく、そしてジリリと不快にざらつく〈音〉が場を震わせた。木箱が一つ残らず粉微塵に吹き飛ばされ、そのついでにアークが血と肉の袋になって弾け飛ぶ。

　ばらまかれる赤と金の雨をくぐり、彼は紙一重で強烈な破壊を免れた。

「くそったれの〈銃士（レシャール）〉が！」

　罵りながらも冷静に振り向き、彼は右の輪胴銃（リボルバー）を二度吠えさせる。

　しかし弾丸は白いローブに穴を穿っただけ。

　相手はすばやく馬馬の背後へと滑り落ち、すかさず馬脚の隙間から銀の筒先が彼の額をひたりと照準する。

　銃声が轟き、彼の頭からヨレた帽子が剥ぎ取られた。

　――切り札を切れ！　彼は心の叫びに衝かれ、とっさに銃を手放すと、さらに左手の黄ばんだ手袋をむしり取って地面に投げつける。

　降伏にしては険がある動作に、だが追撃はこなかった。

　固唾を呑む彼の前で、尻を叩かれた馬がゆったりと歩き出し、陽炎の向こうで白いローブと赤い髪が風に沸く。

　総身を現した〈銃士〉は、手にしたライフルで油断無く彼を狙いながら、ふむ、と紅色の唇を引き絞った。

「野盗が、どこで決闘の作法を聞きかじった」

「……じ、地面の下に引退した、お友達（・・・）からさ」

　冥く穿たれた銃口を睨め付けながら、彼は薄茶けたコートを引きずって立ち上がる。その瞳に何を見たのだろうか、銃士は彼を凝視して言葉を足す。

「盗人ごときに銃士の礼も無いだろうが……おもしろい奴だ、銃を拾え」

　促されて再び銃を両手に収めながら、彼は改めて銃士に目を戻し、そして困惑する。

　その銃士は女だった。

　面鎧（バイザー）から覗く顔は若くはないが、そう年かさでもない。

　肩にはためく飾り帯には八片の水晶――銃士の証が連なり、虹色の煌めきがチクチクと目に痛い。

　鎧は左右ちぐはぐで、心臓と肩を守るだけがその役割のようだ。

「立ち会いのない決闘だからな。変則だが、互いに機を見て撃つとしようか」

　彼が武装したのを見届けると、紅髪の女銃士は気負いない様子で宣言し、ライフルを地に向け二歩、さらに三歩左に動く。その雲を踏むような軽い足どりは、しかしカミソリめいた鋭さを隠そうともしない。

　彼は機を計って一歩左に。

　心の中では、自分を奮い立たせるための言葉が渦巻く。

　――いくら銃士でも一時（いちどき）に撃てる弾は一発。取り回しの利はリボルバーのこちらにある。鎧のない顔かノドを狙え。

　太陽は天頂にあって、相対する貴人と悪漢を公平に見下ろしていた。

　風に砂埃が舞えば、そのつど両者の間に緊張が募る。

　方や純然たる闘志に、方や生存への焦りと色を違（たが）え、見えざる衝突は徐々に研ぎ澄まされていく。

　やがて、どちらともなく機が頂点に達する。

　先に吠えたのは、今度も彼の銃であった。

　音より速い一撃が、わずかに狙いを逸れてバイザーに火花を散らす。

　だが銃士は怯むことなく、むしろ彼の気迫を呑む勢いでライフルを構え直し、引き金に指を這わせた。赤い瞳が照門（サイト）越しに彼を捉える。

　返る銃声。彼は肩から宙を舞い、勢いよく地面に接吻した。

　――普通の弾だ、俺はまだ死んでない！そう直観できても彼は動かなかった。

　いや、動けなかった。

　彼（か）の銃士は〈銃士〉たる所以（ゆえん）を、彼らだけに許された〈竜の咆吼〉を捨て、技量と度胸で彼を打ち負かした。彼に利があったにも関わらずだ。

　敗北への理解と、生かされたという事実に彼は呆然と砂を舐める。

　だがさして間を置かずに乱暴に蹴り転がされ、仰向けになったところでブーツの踵が胸に突き刺さった。

　太陽を背に、女銃士の燃える瞳が炯々と光る。

「わかってるだろうが手加減してやったんだ。だからおい、死んだら殺すぞ」

　その力に狂った輝きに戦きながら、彼は絞り出すように自らの敗北を認めた。

「……俺は、負けた」

「ハッ！　盗人ふぜいが容易（たやす）く〈銃士〉に勝てると思うな。そら、いつまで銃を握って――？」

　女銃士は彼の左手から予備の銃をもぎ取ろうとして手を止める。

　彼の古傷に目を留め、何かを感じ、すぐに腰に下げたサーベルを抜いて彼の首筋に沿わせた。

「おい貴様、名は」

「…………五番（ヴェク）」

「生まれ賜った名を聞いている。番号はいらん」

「そんなものは、知らん。俺には無い」

「そうか。ならヴェクとやら……ときに銃士になる気はないか？」

　冷たい一陣の風。言葉が彼から地面の熱を奪い去る。

　何を聞いたのかとしきりに瞬きを繰り返す彼に、女銃士は邪悪で冷たい薄氷のような笑みを浮かべる。

「もし銃士にならぬというなら、この場で駅馬車強盗の罪により斬首するが」

　銀の刃が首の皮に食い込む。

　選択肢など最初から提示されていない。

「さあ、銃士に生まれ変わるか、朽ちて辺境の砂に戻るか……疾（と）く答えよ！」

「……畜生が――」

　女銃士の艶然たる貌に単純で工夫のない呪詛が向けられる。

　それを号砲として彼の、ヴェクの人生が幕を閉じ、もう一つの人生の幕が開いた。

　＊＊＊

　これは一人の野盗が、誇りある法の番人へと生まれ変わる、その物語である。