10 グルースの受難1

 色とりどりの花をつけた薬草畑の世話をしていたグルースは、かがんだままで凝り固まった腰を伸ばして一息ついた。

 綺麗に見えるが、ここに植えられている薬草は有用な薬効を持つ反面、強力な毒を含んだものばかり。栽培にも細心の注意が必要で、たずさわれるのはペドロの一番弟子を自称する彼を含むわずか数人。その為に畑の周囲には厳重な柵がめぐらされている。

 唯一の師として敬愛するペドロの研究用の薬草なので、グルースとしては他の誰にも触らせたくは無かったのだが、この半年余りは時間が取れずにここの世話も他人任せになってしまっていた。

 だが、原因となっていたタランテラのお家騒動もどうにか治まり、村に滞在していたプルメリアの竜騎士達も帰還して日常が戻ってきた。グルースは誰にも邪魔されない師の為に尽くせる至福の時をかみしめるように過ごしていた所だった。

「おーい、グルース。若が呼んでいるぞ」

 グルースの姿を見つけてレイドが柵の外から声をかけてくる。レイド自身も栽培に携われる数少ない1人ではあるが、グルースの性格を良く知り得ている彼は律儀に外から声を張り上げていた。

「終わってから行く」

 ペドロへの奉仕の時間は、一番弟子を自称する彼にとって何物にも代えられないかけがえのない崇高な時間である。余程の事がおこらない限り動くつもりのない彼の答えはそっけなかった。

「その賢者様も呼んでおられる」

「それを早く言え」

 師の呼び出しと知ったグルースは、急いで農機具をまとめて畑から出ると、入り口に厳重に鍵をかける。そして倉庫へ放り込むように農機具を片付けると急いで部屋に戻って作業用の衣服からいつもの神官服に着替えた。

「グルースでございます。お呼びでございますか?」

 待っていたレイドと共にペドロの部屋におもむくと、彼は神妙な面持ちで声をかけた。

「お入り」

 返事を待って中に入ると、そこには既にアレスとスパークが待っていた。今朝がた帰還した彼等は、先程までタランテラでの顛末をペドロに報告していたのだろう。聖域外の事に興味のないグルースは、いつも通り畑仕事に精を出していたのだ。

「こちらに」

 いつも通り師の後に立とうとすると、ペドロは彼の正面に来るように促す。嫌な予感がするが、おくびにも出さずに言われるまま師の向かいに移動する。

「グルース、タランテラの事は聞き及んでいるな?」

「嬢様がご夫君と無事に再会されたんですよね?」

 確認するようにアレスに視線を移すと、彼は無言で頷いた。

「あと……何かあったかな」

 グルースの行動基準は基本的にペドロの役に立つか否かである。仕事なので負傷したティムの治療に当たったが、その他の事は適任者に任せればいいと考え、ペドロも何も言わなかったのでわざわざ自分から関わるような真似はしなかった。その為、正直タランテラで何が起こっていたかを彼は全く知らなかった。

「ベルクがワールウェイド領に広大な薬草園を作っていたのは聞いてないか?」

 呆れた様子のアレスに言われ、ようやくグルースはその薬草園で新たに育てる薬草の選定を手伝ったのを思い出した。

「そう言えば、そんな事も聞いたな……」

 呑気な答えにその場にいた3人は深いため息をつく。

「……その薬草園だが、今後はタランテラと礎の里が共同で運営する事になった。こちらからも薬師を派遣する事になり、グルース、お前が適任ではないかと話がまとまった」

 アレスの話を聞いたとたん、グルースの眉間に皺が寄る。

「俺よりも高位の神官はいくらでもいるだろう?」

 タランテラに派遣されれば、彼が最も神聖とする賢者ペドロの世話が出来なくなる。とたんに不機嫌となる彼の反応は、当然、アレスも予測しており、淡々と話を続ける。

「賢者ベルクとその一派は失脚し、大がかりな人事の異動が行われる。里の立て直しには1人でも多くの人材が必要となるから、高位の神官の移動が難しくなるのは分かるだろう? 里への召還対象外となる下位の神官でありながら大規模な薬草園を取り仕切れるほど薬学に精通しているのはお前ぐらいしかいないんだよ」

「……俺はそんな事望んでいませんが?」

 アレスの説明は理解したが、それでもグルースには納得できない。敬愛する師の前なのでどうにか怒りを抑えている状態だった。

「グルース、尽くしてくれるのは本当に感謝している。だがな、そろそろ独り立ちしてはどうか?」

 黙って聞いていたペドロが口を開き、怒りに支配されていたグルースは少し冷静さを取り戻す。

「独り立ち……ですか?」

「左様。この聖域に籠り、研究ばかりしていると真に人々の役に立っているのか分からなくなることがある。新たな修行と思い、それをそなたの目で確かめて欲しい」

「……わかりました」

 師匠に弱いグルースは不承不承頷くしかなかった。




 話がまとまれば行動は早かった。5日後には身の回りの品をまとめ、案内役のスパークとレイドと共にタランテラへと向かっていた。ただ、すぐにワールウェイド領には向かわず、タランテラ側から責任者として赴くことになっている医者と顔合わせをする事になっており、一行はロベリアへ立ち寄った。

「帰りてぇ……」

 視察の為にロベリアに滞在中のエドワルドとフレアも顔合わせに同席する事になり、一行は総督府の応接間に通された。元々権力とか権威といった類のものを毛嫌いし、更には普段ラトリ村での質素な生活に慣れている為、こういった場所にいると正直言って落ち着かない。グルースは早くも引き受けたことを後悔していた。

「嬢様の伴侶だ。そう嫌な顔をするな」

「案外気さくな方だ。そう身構えなくても大丈夫だ」

 見るからに仏頂面のグルースをレイドとスパークがなだめる。本人は最大限に努力しているのだが、どうやらその努力は実を結んではいないらしい。

「お待たせいたしました」

 片目を眼帯で隠した男が声をかけ、続けて他に4人の男性と2人の女性が入って来た。レイドとスパークが立ち上がるので、グルースも仕方なく立って彼等を迎える。

「グルース、来てくれて嬉しいわ」

 夫に手を取られて入って来たフレアは、肩に止まる小竜を通じて彼の姿を見つけると、嬉しそうに顔をほころばせる。そしておそらくはグルースの性格を考慮したのだろう、彼女がタランテラ側の同席者を紹介してくれた。

「賢者ペドロの弟子、グルースと申します」

 国主代行のエドワルドを始め、春に就任したばかりのワールウェイド公夫妻とロベリア総督に第3騎士団長、そして薬草園の統括責任者に任命される年配の軍医が順に紹介されるが、グルースは端的に名乗って頭を下げるにとどめた。

 顔合わせも済んだし、もう用は無いと思ったのだが、どうやらこれだけでは済まないらしい。振舞われたお茶を飲みながらの世間話が始まってしまった。

 紆余曲折を経て結ばれたからか、エドワルドとフレアの2人が醸し出す空気が異常に甘い。更には一足先に婚礼を挙げたワールウェイド公夫妻の間にも甘い空気が漂っており、独り身のグルースにとっては苦行以外何物でもなかった。正直、居心地が非常に悪いのだが、同じ独り身の筈のレイドもスパークも慣れてしまっているのか平気な顔でお茶をすすっていた。

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