183 悪夢の終焉8

 気付けば体が小さくなっていた。波に翻弄ほんろうされる船の上ではしっかりと縁に掴まっていないと湖に体が投げ出されそうだった。感じるのは猛烈な空腹感と喉の渇き、そして言いようのない恐怖。

 縁に掴まったままの手も痛く、だんだんと痺れてきた。その手が緩んだ瞬間に小船が波で大きく揺れる。

「うわっ」

 体が宙に浮き、湖に落ちるとギュッと目をつむった。だが、いつまで経っても水に落ちない。恐る恐る目を開けて見ると、今度は薄暗いながらも豪奢な部屋の中にいた。元の大きさに戻ったようだったが、何故か体は女性になっていて何も身に付けていない。

「!」

 ひんやりとした床の上に座り込んでいたのだが、目の前に立つ男の顔を見てギョッとなる。それは自分だった。

「な……」

 驚いて固まっている間にヒュッと風を切る音と供にピシッと何かが打ち付けられ、肩に鋭い痛みが走る。それが何度も何度も繰り返され、止めてくれとすがろうとすると、今度は足で蹴飛ばされた。ひっくり返った自分のお腹をもう1人の自分は凶悪な笑みを浮かべながら何度も何度も踏みつけてきた。

「うあぁぁぁ」

 お腹を守ろうと反射的に体を丸めるが、それでも何度も何度も蹴りつけられる。下腹に激しい痛みが襲い、泣きわめいていると、もう1人の自分はそれを高笑いして見下ろしていた。

 その激しい痛みに意識が遠のき、再び気が付くと辺りは真っ暗だった。目を凝らしても何も見えない。手を動かしてみると何かにあたった。

 驚いた事に男に組み敷かれて口を塞がれていた。しかも男の荒々しい息遣いがすぐ間近に感じる。嫌悪感から抵抗を試みるが、男の力が強くて振りほどけない。それでもめちゃくちゃに暴れると、男の顔に手が当たる。

 怒ったらしい男が何かを叫ぶ。その声は紛れも無く自分の声だったが、驚いている場合では無い。この状況から脱しようと必死に抵抗を試みるが、頬を叩かれ、後ろにあった硬い物に頭を打って意識が途絶えた。


 パチパチと火の爆ぜる音で意識が浮上する。今度は飛竜となって何故か火のついたはりを支えていた。火事となった厩舎らしい建物にいるのだが、どうやら人間達が逃げるまで崩れないように支えているらしい。

「くっ……」

 煙が目に染みる。丈夫なはずの飛竜の皮膚も炎が直接当たればさすがに火傷を負った。これだけ被膜も傷んでしまえば飛べるかどうかも不安だったが、それでもパートナーの元へ行かなければならない。

 最後の1人が脱出した。えそうになる気力を振り絞り、自分も脱出する為に炎に包まれた屋根を体当たりして突き破った。


 全身に焼け付くような痛みを感じる。気付けば人間に戻り、長剣を振るっていた。味方は既になく、大多数の敵を相手に最早気力だけで動いている。

「!」

 何人も敵を切り伏せ、切れ味の悪くなった長剣が弾き飛ばされる。とうとう素手となったが、それでもこのまま倒れる訳にはいかない。1人でも多くの相手を道連れにしようと武装した相手にもひるむことなく立ち向かっていく。

 だが、それもいつまでも続かない。とうとう顔に致命的な傷を負って地面に倒れる。敵は無様な自分の姿を嘲笑し、動かなくなった体を蹴飛ばしてその場を去って行った。その光景が暗くにじんでゆく。


 今度はしかばねが累々と横たわる光景を目の当たりにして立ち尽くしていた。体はまた小さくなっており、絶望が彼を支配していた。

 傍らには他にも子供が何人かいて、皆、泣いていた。そこに横たわっているのはこの村の住人達で、皆、この村で家族の様に暮らしていた人達だった。朝方、嵐と共に襲ってきた兵士達によって殺されてしまったのだ。

 親によってかくまわれ、彼等は運よく生き延びたが、子供だけでどうやって生きていいのだろうか? 絶望だけが彼を支配していた。




「うあぁぁぁ!」

 地面の上でもがき苦しむラグラスをアレスは無表情で見下ろしていた。その光景を、エドワルドを始めとしたタランテラの竜騎士達はただ、呆然として眺めている。

「何が……起こっているのだ?」

「幻覚のようなものです、エド」

 呆然と呟く夫にフレアは簡単に説明する。飛竜が記憶したものをパートナーに見せる様に、小竜が記憶している内容を強制的にラグラスに見せているのだ。小竜1匹だけでは難しいが、これだけの数が揃えばかなり現実感のあるものが再現されているらしい。

「あの子、かなり怒ってましたから、容赦しないと思うのだけど……。大丈夫でしょうか?」

 あんな男の心配までする己の妻にエドワルドは半ばあきれて溜息をつく。

「あんな男でも苦しむ姿は見たくないのか?」

「……そうじゃありませんの。あれは度を越すと正気を無くしてしまいます。ベルクの事とは切り離して審議されると思うのだけど、そこまでしてしまうと逆にあなたに悪評が付いてしまうのではないかと……」

 フレアの答えにエドワルドは寸の間目をしばたかせ、やがて笑みを浮かべると彼女を抱き寄せた。

「奴の所業は既に正気の沙汰ではない。それに、審議するまでも無く奴の処遇は決まっている。その辺は心配しなくても大丈夫だ」

「そう……」

 再びラグラスに視線を移すと、一体、どんな幻覚を見せられているのか、彼は涙を流しながら何度も止めてくれと叫んでいた。状況を1人理解できていないコリンシアが「あの小父さんどうしちゃったの?」と首を傾げている。

「グランシアードが自分も混ぜてくれと言っている」

「ファルクレインもです」

 今、何が行われているのか飛竜達にも伝わったらしく、内乱の折にはパートナー共々重傷を負った2頭が参加を強く希望する。確認の為にアレスに視線を向けると、彼は無表情のまま頷いたので、それを伝えると飛竜達は嬉々として自分達の記憶をラグラスに送り込んだ。




 気が付くと再びあの黒髪の男が自分の顔を覗き込んでいた。

「お前のそのとんでもない欲の犠牲になった人たちの苦しみが少しは分かったか?」

 ラグラスは何度もうなずく。体の震えが止まらないのは寒さだけでは無かった。

「も、もう許してくれ……」

「……そう懇願する相手をお前はそれで許したか?」

 それだけで許す気のないアレスは意地の悪い笑みを浮かべる。ラグラスにはそれがとてつもなく恐ろしく感じ、思わず「ひぃっ」と情けない声を上げて後ずさりした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



やっとラグラスを捕縛。

ちなみにラグラスの罪は反逆罪なので、当然極刑になります。

ベルクが余計な事をしなければ、例え討伐期でも捕えて刑を執行できていました。


アレスがラグラスに見せた幻覚の補足

最初は「悪夢の始まり1」の後、小舟で脱出したコリンシアの記憶。

ちなみに船から投げ出されそうになっても、ティムやオリガが体を支え、その後はフレアが彼女を抱きしめていました。


続けて出てきたのは「交錯する思惑1」でラグラスの夜伽に呼ばれた女性のもの。

フォルビア城解放後に助け出されたが、心身ともに傷ついており、女医のクララが診察。なかなか回復せず、レイドの紹介という形でロイスの治療の為に来ていたアイリーンにも声がかかった。そのおかげで彼女の壮絶な記憶を知る事となった。


次は「責任の在り処2」でラグラスに襲われかけたフロリエ(フレア)の記憶。アレスはルルーから読み取った。


次は「悪夢の始まり」で館が襲撃を受けた折のグランシアードの記憶。ラグラスはその熱さも体感。

その次は「悪夢の始まり1」のラストで倒れる前のアスターの記憶。ファルクレインが是非ともとラグラスに送り込んだ記憶。

最後は「手がかりを追って」でリーガスに保護される前のニコル達の記憶。

これもグランシアードが記憶していた。


これで多少はラグラスも反省してくれるといいのですが……。


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