164 蠢動する者達6

 春の穏やかな日差しが降り注ぐ窓辺でフレアは編み物をしていた。いつもならば心配性のマルトかオリガが側に付いているのだが、今は来月に決まった引っ越しに備え、冬物をまとめている最中で席を外している。弟が産まれてからはお姉ちゃんの自覚が芽生えたコリンシアも彼女達を手伝っているので、部屋に居るのはフレアとエルヴィン、そして小竜のルルーだけだった。

 今編んでいるのはコリンシア用の春物のショール。柔らかく春らしい淡い色合いの毛糸を選び、花の模様がいくつも連ねるデザインとなっていた。


 ふぇ、ふぇ、ふぇ……。


 静かな室内で夢中になって編んでいると、かたわらのゆり籠で眠っていた赤子が泣きだし、フレアは急いでルルーに意識を集中する。お乳は先程乳母役を引き受けてくれている村の女性が飲ませてくれたし、触ってみてもおむつは汚れていない。優しく赤子を抱き上げて子守唄を歌う。

「お休みエルヴィン。私のかわいい子」

 赤子の額に口づけてあやしていると、エルヴィンは自分の小さな指を吸いながらまた眠りについた。その様子をルルーの目を通じてフレアは眺め、思わずため息を漏らす。

 僅かながらも生えている赤子の髪はタランテラ皇家の象徴プラチナブロンド。国の立て直しに奔走ほんそうしている子供の父親にはまだその存在すら知らされていない。安全の確保の為とは言え、フレア達がこうして無事でいる事も公に出来ず、手紙すら書けない事に後ろめたさを感じていた。

 それも後一月……ブレシッドの外れにある別荘に移るまでの辛抱だった。だが、今まで黙っていたこと、本当はタランテラ皇家と確執のあるブレシッド家の養女である事を知れば彼は何と思うか……。彼女の懸念を知ったオリガは杞憂きゆうに終わると断言するが、フレアは不安で仕方が無い。

「ふう……」

 悩みは他にもある。出産直後の朦朧もうろうとした意識の中、おぼろげに思い出したのは2年前、慰問していた村が襲撃を受けた時の記憶。自分を逃がそうとしてくれた護衛の竜騎士が多勢に無勢で倒された。そして襲われかけたところを襲撃者の雇い主らしき人物が制止した。そして何かの荷物と一緒に自分を北へ連れて行くと言っていたのを思い出し、ルイスの推測を裏付ける結果となった。そしてフレアにはその声に聞き覚えがあった。それはベルクの側近の一人、オットー高神官の声で間違いなかった。

「フレア、ちょっといいかい?」

 寝ている息子を抱いたまま物思いにふけっていると、いつの間にか部屋に来ていたルイスに声を掛けられる。驚いて体が硬直すると、抱いているエルヴィンも驚いたらしく、体をビクつかせる。

「ごめんね、エルヴィン」

「ご、ごめん」

 泣き出した赤子を慌てて宥め、あやしていると、どうにかまた眠ってくれた。驚かせるつもりのなかったルイスは焦った様子で平謝りする。

「大丈夫、眠ったわ」

 ぐっすり寝入ったのを確認すると、フレアは再びエルヴィンをゆり籠に戻す。むずかる事なく指を吸いながら眠ったので、上掛けをかけてホッと一息つく。

「ほんとにゴメン」

「大丈夫」

 ゆり籠から少し離れ、ルイスはフレアに椅子を進める。そして自身はいつも通り立ったまま用件を切り出す。

「準備は順調に進んでいるけど、君の体調はどうだ?」

「心配ないわ。お祖父様もマルトも心配し過ぎなのよ」

「君は無理しすぎる事があるから無理もないよ」

「もう……」

 寝ている赤子を起こさないよう、2人共声を抑えて会話を交わす。

「さっき、母上から連絡があった。タルカナ王家の説得に成功したそうだ。大母補がベルクに張り付いて、奴がこちらに来るのを阻止してくれた。豪華な船を仕立てて観光気分でタランテラに向かっているそうだ」

「そう……」

 取り戻した記憶の内容をアリシアやペドロに相談したところ、彼女はペドロも引くくらいそれは恐ろしい笑みを浮かべていた。そして頭脳をフル回転させて策を練り、その場で審理の補助として派遣される大母補のお付きとしてベルクの元へ乗り込むと宣言したのだ。

 フレアだけでなくペドロもルイスも驚いて反対したのだが聞く耳はもたず、速攻で準備を整えると里へ行ってしまった。その後本当に作戦を実行してベルクに同行しているらしいのだが、どうやらまだばれずにいるらしい。フレアは作戦がうまく進んでいるよりも彼女の身が無事である事に安堵する。

「ただ、ベルクの側近がこちらに向かっているそうだ。たどり着く前に捕える様に命じたからそちらは心配はいらない」

「そう……」

「それから、審理の日取りが決まった。来月早々に行う事にしたらしい。向こうでは審理の準備の為、ベルクはフォルビアの正神殿に滞在するらしい」

 元々弱っていたとはいえ、神官長のロイスに毒物を盛って衰弱死させたベルクがフォルビアの大神殿に滞在する。いったいどんな神経をしているのか疑いたくなるが、いくら断ってもフレアも自分に気があると思い込んでいる彼の神経を今更理解するのは無理な話だろう。ルイスは淡々と新たに得られた情報を彼女に伝えた。

「神殿の方々は複雑なお気持ちでしょうね」

 混乱を避ける為、ロイスの死因を知っているのはごく一部の人間だった。彼の死後、フォルビア正神殿を預かっているトビアス高神官もその1人で、ベルクの使いが来た時は平静を装うのも苦労したと聞く。

「今のところ分かっているのはそれだけだ。……休憩を入れるとはいえ、飛竜での移動でも体力を使う。まだ少し日にちが有るけど、無理は禁物だからな?」

「ええ、分かっているわ、ルカ。教えてくれてありがとう」

「ああ」

 荷物を、纏めるお手伝いが済んだのだろう、扉の外から元気な足音が聞こえてくる。ルイスは苦笑すると扉に向かい、姫君が勢いよく入って来る前に扉をそっと開けた。するとタイミングよくコリンシアが現れ、戸を開けてくれた叔父に感謝して頭を下げ、母親の元に駆け寄った。

「母様、お手伝い、終わった」

 一応気遣って小さな声で報告したつもりだったのだが、それでも小さな弟を驚かしてしまったらしく、エルヴィンは盛大に泣き出してしまう。

「あらあら……。ちょうど起きる頃合いだったのかもしれないわ」

 フレアは苦笑し、立ちすくんでしまったコリンシアを抱きしめる。そうしている間に泣き声を聞きつけた乳母役の女性とオリガが部屋に現れ、2人がかりで小さな皇子様の世話を始める。

「じゃ、俺はこれで」

 ルイスは苦笑し、フレアに一言断ると、賑やかになった部屋を後にした。



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エルヴィン君は髪がポヤポヤw 辛うじてプラチナブロンドが分かる程度。

最近はいろんなものを握って離さない。

一番被害にあっているのはコリンシアの髪。なかなか離さないので、ルルーのしっぽを囮にして小さな手から解放しているらしい。


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