138 戻せない時間2

 その感触は一月以上経った今でも忘れられなかった。激情に駆られるまま奪った剣を振り下ろしたその瞬間の手ごたえと生温かい血の感触を……。

「うあぁぁぁぁぁ!」

 ゲオルグは叫び声と供にいつもの悪夢から覚めた。ほとんど暖房の無い部屋だというのに、全身汗にまみれている。体の震えが治まるのを待ち、固い寝台からのろのろと体を起こすと、傍らの古ぼけたテーブルにある水差しから木の椀に水を注いで一気に飲み干した。

「……」

 比較的身分が高い罪人用に作られたその牢獄に入れられたのは今年が初めてでは無かった。昨年もここで冬を越したが、密かに差し入れをしてもらっていたので比較的快適に過ごす事が出来ていた。だが、今年はその差し入れてくれる人物はいない。何故なら、それは……。

「うあぁぁぁ!」

 ゲオルグはまたもやあの感触を思い出し、頭を抱えて転げまわる。

こうして彼は一日の大半を苦悩して過ごしていた。3食はきちんと差し入れられるが、誰からも話しかけられることはない。彼が祖父を……初めて己の手で直接人を殺めた瞬間を思い出しては苦悩するという、自業自得だがいつ発狂してもおかしくない程壮絶な毎日を過ごしていたのだ。


ギギギ……


 久しく開く事の無かった扉が開く音でゲオルグは我に返った。見ると戸口にフードつきの長衣に身を包んだ長身の男が立っている。男が無造作に中に入って来ると、重々しい音がして再び扉が閉められた。

「久しいな、ゲオルグ」

 室内に静けさが戻ると、男は長衣を脱いだ。伸ばしたままになっているプラチナブロンドが肩に流れ落ち、少しやつれた風情は同性が見てもドキリとするほど美しかった。サファイアの様な瞳を向けられ、耐え切れずに目を逸らす。

「お……」

 ゲオルグは「叔父上」と声を掛けようとしたが、血が繋がっていなかった事を思い出して口を閉ざす。きつく唇を噛みすぎて切れた個所から血がにじんだ。そんなゲオルグにエドワルドは静かに語りかける。

「様子を見に来たかったのだが、忙しくてな。ようやく時間が取れた」

「な、何をしに……」

 とうとう死を言い渡されるのではないかとゲオルグは身構える。今の状況から逃れられるのならその方が楽かもしれないが、それでも死ぬのは怖かった。

「少し、話をしたいと思ったのだ。今まで不思議とそんな機会は無かったからな」

「話す事なんてねぇよ」

 今更何を話すというのだろう。疑り深くゲオルグはエドワルドの様子を伺うが、彼は腕を組んで壁にもたれかかり、真っ直ぐゲオルグを見返していた。その視線に耐え切れず、ゲオルグの方が先に視線を逸らした。

「……先日、父上が亡くなられた」

 アロンの死を告げられたゲオルグは動揺を見せるが、未だに素直になれない彼の口からは皮肉しか出てこなかった。

「は? 自慢に来たのかよ?」

「……そうじゃない」

 相変わらずの物言いにエドワルドはため息をつく。逆にこんな所へ一月以上も放置していたにも関わらず、口が減らない事に安堵すればいいのだろうか……。

「サントリナもブランドルもあんたの味方だ。フォルビアもワールウェイドもあんたが選ぶんだろう? 残るリネアリスだって状況見れば反対しねぇだろうし。国主様になった姿を俺に見せつけ、優位に浸って俺様の首を刎ねんじゃないのかよ?」

「私も舐められたものだな」

「……」

 エドワルドの声色が代わり、さすがのゲオルグも反省して黙り込む。

「皇家から除籍された事をそれほどまでに恨んでいるのか? 真実はどうであれ、家族と信じていた相手が亡くなったと聞いてもそんな事しか口から出て来ないのか?」

「……俺はかわいがってもらった記憶はねぇ」

 ゲオルグは不貞腐れたようにそっぽを向いた。ワールウェイド家で育ったこともあり、本宮へご機嫌伺いに行ってもアロンがかまってくれた記憶がないのだ。逆にアルメリアに相貌を崩している姿を目撃してしまい、ひねくれていたゲオルグ少年は彼女に嫌がらせをしていたのだ。

「私も無いな」

「え……」

 返って来た意外な言葉にゲオルグは思わず振り返る。

「お忙しい方だったからな。子供の頃に構って頂いた記憶は殆どない。兄上と姉上に育てて頂いたようなものだ。成人して竜騎士になってからだな。父上とまともに会話できるようになったのは」

「……」

「お前はワールウェイド家で育ったからな、余計に接点は無かっただろう。だが、そんな記憶があろうと無かろうと、人が死んだと聞いて思うのがそんな事とは情けなくないか?」

 怒った口調ではなく、どちらかといえば言い聞かせるような口調で語りかける。それでも子供の様に不貞腐れたゲオルグは黙り込んでそっぽを向く。

「グスタフの命令でそのように育てられたのだから仕方がない部分もあるのだが、お前は我慢と己を押さえる事を覚えねばならない。理由は分かるな?」

「……」

 ゲオルグはまた、あの瞬間を思い出して体を震わせる。

「俺は……」

「その術を知らないせいで取り返しのつかない事が起こった。分かるな」

 否定出来る筈も無い。ゲオルグは力なくうなずく。その一時の感情を抑えきれなかったばかりに、自分にとって大事な家族をこの手で殺めてしまったのだ。彼が見せた家族の情愛が例え彼自身の野望の布石ふせきに過ぎなかったとしてもだ。

「お前を極刑に処する事は無い。ある意味、お前もグスタフの被害者だからだ。だが、お前自身が犯した罪はうやむやにできるほど軽いものでは無く、その為、残る生涯、お前に自由を与えることはない。ここで今までの行状をかえりみて、一先ず春までに自分が何をすべきか考えなさい」

「……お、叔父上……いや……」

「構わぬ。そう呼べばいい」

「……」

 エドワルドの返答にゲオルグは改めて相手を見る。

「兄上は手間のかかる甥っ子が心配でならなかった。だからこそ、昨年は強引な手段を取ってでもお前を自分の手元に置こうと決めたのだ。私もその方針を引き継ごうと思う。自由は与えてやれないが、やりたいことが出来れば許される範囲で善処しよう」

「……」

 静けさが牢獄を支配する。だが、遠くの方でドーンという腹に響く太鼓の音が聞こえてきた。

「出たか……」

 エドワルドは寄りかかっていた壁から身を起こし、手にしていた長衣を頭からかぶった。あの太鼓は妖魔の襲来を知らせる合図である。体調が良くなったとはいえまだまだ討伐に出るような状態ではないのだが、長年身に染みた竜騎士の性というべきか、この音を聞くだけで気分が高揚する。

 責任感の強いアスターは今回も出撃する筈だ。その間は全ての業務をブロワディが引き受けるのだが、エドワルドも不測の事態に備えて控えておくのだ。フォルビアやワールウェイドに経験豊富な竜騎士を送り込んだために、全軍を指揮できるほどの人材が不足している為でもある。

「……ふんぞり返ってればいいだろうに」

「そうもいかない。上に立つ者が示しをつけねばならぬこともある」

 呆れたように呟くゲオルグにエドワルドは言い聞かせるように答える。

「ああ、そうだ。ここは思った以上に冷えるな。これで暖を取れ。但し、一気に飲みすぎるなよ」

 エドワルドは去り際に何かを思い出したように懐から何かを取りだした。それを食卓の上に置くと、軋む様な音をたてる扉を開けて颯爽さっそうと部屋から出て行った。

「……恰好かっこうつけやがって……」

 呟くように悪態をつくものの、エドワルドが去って行った扉を見つめたままゲオルグはしばらく動くことが出来なかった。10年近く前になる。本宮を訪れた彼は、竜騎士の装束に身を包んだ叔父達が颯爽と歩く姿に確かに憧れていたのだ。長らく忘れていた憧憬を、彼は先程のエドワルドの姿を見て思い出していた。

「……どうして間違ってしまったんだろう」

 ポツリと呟き、去り際にエドワルドが置いていった物に視線を移す。それは蒸留酒の小さな瓶だった。

「敵わねぇ……や」

 寝台からのろのろと立ち上がると、その小瓶を手に取る。蓋を開けて直接飲もうとしたが、エドワルドの忠告を思い出す。

寝台脇のテーブルに置いたままの木の椀に少量を入れ、水を入れて飲み干した。腹の底が厚くなる感触は久しぶりだった。知らずに視界がぼやけてくる。

「敵わねぇ……」

 ゲオルグは袖でゴシゴシと涙を拭きながらまた呟いた。


 その夜ゲオルグは、久しぶりに夢を見ることなく朝までぐっすり眠ることが出来た。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



牢で猛省中のゲオルグ。

なんだかんだで彼も竜騎士にあこがれていたのでした。

ちなみにアルメリアにちょっかいを出していたのは、好きな子に振り向いてもらおうという、子供の悪戯と同じ(苦笑)。内面が育ち切っていなかった証。


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