136 企てと誤算3

「あの女が生きているだと?」

 ラグラスに同行させた同僚からの報告を受け、オットーは締め付けられるような胃の痛みに襲われた。そんなはずはない。そう言い切れるだけの根拠があるのだが、報告書を読めば読む程、聖女とエドワルドの妻となった女性は同一人物と思えるほどその特徴が似通っていた。

「どうにか……しなければ……」

 エドワルドの妻は記憶を失っていると言う。盗賊達の話から判断して彼女が聖域で保護されて既に2ヶ月以上経っているが、聖域から何の反応もない事からするとまだ記憶を取り戻していないとみていいだろう。勿論、まだ同一人物と決まった訳ではないが、早急にその確認が必要だった。

 集落の壊滅作戦の場に偶然居合わせた彼女を拉致してタランテラへ連れて行こうとしたのは完全にオットーの独断だった。そして小休止の折、迫りくる妖魔に気付き、自分の命惜しさにオットーは彼女を見捨てて逃げたのだ。正直に言ってあの状況で生きている方が信じられない。

 そして上司は、彼等が壊滅させた集落に後から彼女が来たところを盗賊に襲われたのだと信じている。それはもちろん、彼がそう信じ込ませたからだ。

「行かねば……」

 会って確認するのも怖いのだが、この事実を上司に知られるのはもっと恐ろしかった。苦労して手に入れたこの地位を失うだけでなく、命すら危うい。

 とにかく、ラグラス発案のラトリ襲撃の計画を実現させる必要がある。そして聖女と同一人物だった場合は、上司に悟られないよう計略を練る必要があった。

「大丈夫だ、大丈夫」

 オットーは自分を勇気づける様に何度も呟く。衰弱したロイスはもう寝台から起きることもできなくなっているので、フォルビアの後始末はもう部下に任せてしまえばいい。

 己の輝かしい未来の為にも、無謀とも思える計画の実現に向けて方策を練り始めた。




 天候の悪化で船を出せず、結局春までタルカナに滞在しなければならなくなったベルクは、国の重鎮を筆頭とする貴族達と精力的に交流する毎日を送っている。この日もタルカナの宰相主催の夜会に出かけ、屋敷に戻ってきたのは深夜となった。

 そこへフォルビアから戻ってきていたオットーがタランテラでの首尾の報告に上がる。薬草園へのタランテラ側からの急な視察も首尾よくごまかせ、ロイスも手筈通り衰弱の一途をたどっている。特に問題なく後始末が済んだことに安堵したが、オットーが最後にもたらしたラグラスに付けた部下からの報告に驚愕する。

「彼女が生きておるだと?」

 一目見ただけで虜となり、ついその場で求婚した女性は、その年の冬の終わりに訪れた集落で妖魔の襲撃を受けて他界したと聞いていた。口説こうと画策し始めた矢先に届いた訃報に落胆したのはもう2年近く前の事だ。

 2人の仲を反対していた家族による裏工作かとも疑ったが、その後の調べて本当に彼女の消息は不明となり、状況を見る限り生存は不可能と結論付けたのだ。

「エドワルド殿下が妻に迎えた女性の特徴があの方の特徴と一致しておりまして、更にはあちらに逃げ込んだ盗賊も聖域の山中であの方の姿を目撃しております」

「……名前が違うであろう?」

「ご記憶を無くされておられたとかで、タランテラにいる間は先のフォルビア女大公が仮に付けられた名前を名乗っておられたようです」

 美しい黒髪に盲目といった身体的特徴に加えて小竜を連れていた事を聞けば、ラトリの聖女と称えられていた女性の姿と重なる。だが、行方が分からなくなった集落から随分と離れた場所で保護された理由までは不明だった。

「しかも、あの男の妻だと?」

 妖魔に襲われていた所を助けられ、その後も親身に世話を焼いてくれれば恋も芽生えるのも道理である。いや、権力を笠に迫られれば誰しも否とは言えないだろう。それにしても自分の婚約者がいつの間にか他の男のものになっているのがベルクは許せなかった。

「はい、先のフォルビア女大公が今際の際に、神官を呼んで組み紐を交わしたそうです。正式な婚礼は秋に行う予定だったとか……」

「そんなもの無効だ。あの男には更なる罪を課してやる」

 自分の仲立ちを蹴っただけでなく、無効な儀式で自分の婚約者を奪った男に沸々と怒りが込み上げて来る。叔父の老ベルクを通じ、今回の心理官長の任命に根回しは済んでいるので、罪の上乗せは自由自在となる。徹底的におとしめてやろうと決意する。

「彼女が生きているのは間違いないのだな?」

「はい。盗賊の頭領の話では、聖域の竜騎士に保護されていたので、まず間違いないかと」

「……あそこにいるのか」

 ベルクは少し冷静になる。ただならぬ結束力を誇る聖域を力押しだけで従えさせるのは難しい。しかもあの姉弟の背後にはブレシッド公夫妻が控えて居る。エドワルドに彼等が肩入れするとなると少々厄介な事になる。

「もしや、あの男と聖域の連中が手を組んでいるのではなかろうな?」

「アレス・ルーンが潜入している可能性があると報告を受けていますが、定かではありません」

「まずいな」

 聖域を統べる賢者の孫だけあって彼は薬物に詳しい。あの薬草を一見しただけでその正体が分かってしまうだろう。それはペドロだけでなく、ブレシッド公夫妻にも知られる事となる。そうなるといくらベルクでも揉み消す事が難しくなってくる。まやかしは一切通用しない相手だ。

 ベルクにとって一番困るのは、あの薬草園に自分が関わり、禁止薬物を売りさばいて儲けている事を暴かれる事である。事情を知っていたロイスも投与している薬で衰弱し、既に回復する見込みはない。他に証拠を残すようなへまはしていないが、それでも万が一何か感づかれた場合は全てグスタフの独断として彼に罪をなすりつけるつもりだった。

「聖女に濡れ衣を着せられてあの2人が黙っているとは考えにくい。あるいは相手がタランテラと見て関わりを拒んだか……」

 ベルクは考え込む。あれだけの事件が起きたにもかかわらず、他の国に比べてプルメリアの反応は薄かった。単にタランテラとは国交を断絶しているからだろうと思っていたが、聖女から詳細な説明があり、それを踏まえた上で冷静に対処したのだろうと今では想像できる。

 それにもかかわらず、娘の為に何の行動も起こしていないのは解せなかった。もしかすると、元々良い心象のないタランテラとの関わりを嫌い、記憶を失っていた間の事を無かったものとしたのかもしれない。

 それならそれでラグラスの計画を後押しすればいい。エドワルドには重罪を課し、晴れて賢者となった自分が傷ついた聖女を慰めるのだ。

「聖域だけでなく、ブレシッドの様子も探らせろ」

 念には念を入れておいた方が良い。ベルクはそうオットーに命じるが、彼は難色を示す。

「すぐには難しいかと……」

「やれ」

「かしこまりました」

 命じられれば従うしかない。オットーは頭を下げて部屋を出て行く。

 しかし、ベルクはまだ知らない。既に薬草園との関わりは知られ、着々と証拠が集められている事を……。そして、フレアの為に彼女の家族が一肌も二肌も脱いでいる事を……彼はまだ知らない。

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