116 尽きない渇望5

「随分と急ですなぁ」

今まで頑として帰ろうとしなかったベルクが急に辞去の挨拶に現れて神官長は少なからず驚いた。彼に急使が来たのは確認済みだ。どんなことを知らせて来たのか興味が湧いたが、内容を尋ねても里の秘匿扱いにされてうまくごまかされてしまうだろう。彼は率直な感想だけ述べるにとどめた。

「殿下に謝罪の機会を賜りたかったが、残念ながら里より用事を言いつかりましてな、戻らねばなりません。ご無礼致したと貴殿から伝えては貰えないか?」

 煩い客人が帰ってくれるのはありがたいと言うのが神官長の本音だが、あまりにも急な話で不審に思ってしまう。それでも内心に渦巻く不信感をおくびにも出さず、至って平静に応対できたのは長年神官長という地位を務め上げた賜物だろう。

エドワルドに請け負った調査の件も当人がいない方が調べやすい。ここは大人しく見送る事にした。

「承知いたした。慈悲深いお方ですから、殿下もこころよく許して下さるであろう」

「感謝します。それでは急ぎますので、これで失礼いたします」

 ベルクは早々に会談を切り上げると、本当に慌ただしく大神殿を後にしたのだった。




手紙に記されていたのはフォルビア北部の宿場町にある宿だった。ベルクが町で最も高級な宿に着くと、部下のオットーが彼を出迎えた。

「なかなか連絡が出来ず申し訳ありませんでした」

「いや、良くやった」

 恐縮するオットーをベルクは肩を叩いてねぎらった。確かにフォルビアでの異変を早く知っていれば状況は変わっていたかもしれないが、それでもエドワルドが助け出された時点で大勢は変わらないだろう。そうした中でオットーは、監視下にありながら最善の努力をして満足できる結果を出してくれたのだ。

「先ずは詳細を頼む」

 落ち着いて話をするために最上級の部屋に場所を移す。さすがに他人に聞かれると都合の悪い話となる為、人払いをしただけでなく扉の前にはベルクの護衛が見張りに立った。他の護衛やオットーが自身の護衛として連れて来たフォルビア正神殿に雇われた傭兵は宿の周囲を警戒させる。

「私が異変に気付いた時には既に城は竜騎士達によって制圧されておりました」

 オットーは上司に求められるまま事件のあらましを語っていく。そして捕らえられた『死神の手』の一部を解放するために、ロイスを利用しラグラスを脱獄させたと報告する。

「で、あ奴はどこにおるんじゃ?」

「この北にある準神殿におります。先日まで監視が付いておりましたので、私も事件後はまだ会ってはおりませんが、部下の話では今のところ竜騎士共には気付かれていない様です」

「そうか、そうか、よくやった」

 『死神の手』は全員解放されたので、これでこの件について情報が洩れる心配もなくなった。更にはベルクを虚仮こけにしたエドワルドに一泡ふかせることに成功したのだ。満足できる成果と言えるだろう。

「では、この件はお主に任せるとしよう」

 ベルクはこれで心置きなく里に戻れると、上機嫌で交渉内容や連絡方法等の話を詰めて行こうとする。だが、オットーは少し慌てた様に上司を制する。

「お待ちください、それが……」

「どうした? 何か問題でもあるのか?」

「それが……あの男は直接準賢者様と交渉したいと言っているのですが、如何いたしましょうか?」

「直接だと?」

 犯罪者の分際で賢者となる自分に直接交渉したいなどと生意気だとは思ったが、この時ベルクは機嫌が良かった。

「いいだろう。今夜中に手配しろ」

「かしこまりました」

 オットーはホッとした様子で頭を下げた。




 深夜、ベルクは少数の共だけ連れてラグラスが潜んでいる準神殿におもむいた。すると相手は酒盛りの真最中だった。

「おう、案外早かったじゃねぇか」

テーブルは酒肴が並び、高級酒の瓶が何本も空になっている。追われる身という自覚があるのか無いのか、そのふてぶてしい態度に呆れてしまう。

咎人とがびとの分際でワシを呼びつけるとは良い度胸をしておるではないか」

 扉の脇には護衛らしい大男が控えているが、人質にしているはずのロイスの姿は見当たらない。ベルクは立ったままソファでふんぞり返っているラグラスを見下ろした。

「あんただって似たようなもんだろう?」

「ワシは準賢者……もうじき賢者になる。お前ごときと一緒にするな」

 ベルクが不快そうに顔を顰めると、ラグラスは腹を抱えて笑い出す。

「……何がおかしい?」

「あんた……本気で言ってんのか? 俺様は知ってるんだぜ。あの薬草園で育てた薬であんたがぼろもうけしているのをな」

「……」

「それもただの薬じゃない。あの、神殿が禁止している劇薬だ。もうじき賢者になるお偉い神官様が関わってるなんて知られたらまずいんじゃないのかなぁ?」

 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながらラグラスはベルクを見上げる。だが、ベルクは表情を変えずにソファにふんぞり返るラグラスを見下ろす。

「言いたい事はそれだけか?」

「取引しようぜ」

「お前の様な者と取引して、ワシに何の益があると言うのだ?」

「聞くまでも無いだろう? こうしてここに来たのが何よりの証じゃねぇか」

「……」

 ラグラスは相変わらずニヤニヤしながらベルクを見上げ、グラスに注いだ酒をあおる様に飲み干す。

「今まで手を組んでた宰相殿が失脚して焦ってんだろ? すぐにばれるようなへまはしてないんだろうが、今までの様にはいかないよなぁ? エドワルドは女でも金でもごまかされねぇしな」

「……」

 まさにそれで失敗したベルクはピクリと眉が動く。

「あんたが協力してくれたら、汚れ役引き受けてやってもいいぜ?」

「……」

 ベルクはすぐに答えず、頭の中でラグラスの利用法を思いつく限り考えてみる。確かに利用価値はありそうだが、用事が済んだ時点で始末しないと害毒しか残らないだろう。

「やろうと思えばワシは今すぐお前を竜騎士共に引き渡すことが出来るぞ」

「へぇ~、強気だねぇ。俺様は別にかまわねぇ。捕まったところで刑罰は変わらねぇからな。だが、洗いざらいしゃべっちまうぜ。良いのかい?」

「ならばこの場で息の根を止めるまでだ」

 いざとなればラグラスを始末するつもりでベルクは腕の立つ護衛を潜ませている。タランテラ側が不手際で逃がした、目の前にいる相手を捕えるか仕留めるかすればエドワルドに恩を着せられる。それだけでベルクが望む答えを得る自信はあった。

「それは構わねぇけどよぉ、俺様が何の準備も無しにここへ来ると思う?」

ラグラスはすっかり開き直っていてそれだけになお厄介だった。しかし、逆にそれがベルクの興味を引いた。

「ほぉ……」

「3日以内に戻らなければ、散々あんたが利用した神官長殿が変わり果てた姿で竜騎士達の元に送られる。あんたとの関係を告発した遺書と一緒にな」

「手を掛けたのか?」

「どうかな?」

 ラグラスにとってもこれは賭けだろう。それなのに彼は相変わらず余裕の表情でベルクを見上げている。

 グスタフ程ではないにしても、頭はきれるようだし度胸もある。少々見くびっていたが、案外良い手駒になりそうだ。自覚もある様なので汚れ役に徹してもらい、手に負えなくなる前に始末してしまえばいいだろうとベルクは自身の中で結論付けた。

「……貴様の望みは何だ?」

「話が分かる相手でよかったぜ」

 ベルクの言葉にラグラスはニヤリと笑った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る