52 時が来るまで1

「おはよう、カーマイン」

 夜明けとともに起きて、朝一番にカーマインの世話をするのがマリーリアの日課だった。ルバーブ村の村長の館の敷地内にある離れに彼女は住んでいて、カーマイン専用の竜舎が隣接している。

 マリーリアは入念にブラシをかけてやり、この時期にいつも用意されている瓜を水と共にカーマインに与える。その間に下僕が竜舎の掃除をしてカーマインの寝藁を取り換えてくれる。

「ちょっと運動していらっしゃい」

 マリーリアは食事を終えたカーマインを外へ連れ出し、運動を兼ねた散歩に行かせる。前日は雨で放してやらなかったので、飛竜は嬉しそうに大空に飛び立った。あの日と同じように……。




 あの嵐の翌日、あの日もマリーリアは同じようにカーマインを散歩に出した。霧雨の中を飛び立ったカーマインを見送り、自分も鍛錬をしようとしたところで出かけたばかりの飛竜が切羽詰った思念を送ってきたのだ。何事かと空を見上げると、戻ってくるカーマインの側に見覚えのある飛竜が何かを抱えて飛んでくる。

「ファルクレイン?」

 それは紛れもなく、タランテラで知らない者はいないほど高名な竜騎士の相棒だった。飛竜もその俊敏さで名が知られているが、いつもの風と一体となるような機敏さは無く、その羽ばたきは今にも墜落しそうなほど弱弱しい。

「ファルクレイン!」

 カーマインが離れの前にある中庭へファルクレインを誘導する。飛竜はやっとと言った様子でどうにか着地に成功するが、彼は体中に傷を負っていた。その大半は酷い火傷で、翼の皮膜ひまくもボロボロである。

「一体……」

 騒ぎを聞きつけて館の中から従兄や使用人達が出てくる。誰もが傷ついた飛竜を見て驚愕する。

「嘘……」

 マリーリアはうずくまってしまったファルクレインに近寄り、ギョッとする。飛竜は大事そうに血まみれの人間を抱えていた。それは紛れもなくその飛竜の騎手、アスターだった。

 その後は本当に大騒ぎとなった。村長をしているだけあって従兄の行動は素早く、アスターがかろうじて生きていることを確認すると、使用人達に指示をして彼を母屋の客間へ運ばせる。村で唯一の医者である義弟を呼びに行かせ、傷ついている飛竜の手当を下僕達に指示する。

「しっかりしなさい、マリーリア」

 従兄に肩をつかまれて彼女はようやく我に返った。とにかく何が起きたのか、今ファルクレインから聞き出せるのは彼女しかいないのだ。マリーリアは気を取り直すとまだ意識があるファルクレインにカーマインを通じて何が起こったのか尋ねてみる。そして乱れがちな彼の思念から、館になだれ込んでくる兵士と、炎の中に取り残された人と飛竜の姿を読み取ったのだった。

「館が……」

 あの美しかった館が焼け落ちる場面を目の当たりにし、マリーリアの眼からは思わず涙が溢れていた。

「では……殿下は? フロリエ様とコリン様は?」

 分からないといった思念と共にファルクレインの意識が途絶えた。傷ついた体でアスターを抱えてここまで飛んできたのだ。体はもう限界だったのかもしれない。

「ファルクレイン!」

 マリーリアは慌ててすがりついたが、いつもカーマインの世話をしてくれる下僕の一人が彼女を安心させるようにうなずく。どうやら気を失っただけのようだ。カーマインの竜舎にいつもより大目に寝藁を用意し、そこへファルクレインを休ませる。かわいそうだが、カーマインはしばらくの間、竜舎の隅の方で休ませるしかない。

 一方の竜騎士は瀕死の重傷だった。特に左肩と顔に受けた傷がひどく、回復したとしてもおそらく左目は光を失ってしまっているだろう。飛竜の手当てが一通り済んだ後、マリーリアが母屋に入ると、従兄が医師からそんな説明を受けていた。

「フォルビアで一体何が……」

 エドワルドと共に行動し、並はずれた武技を身に着けている彼が瀕死の重傷を負っているのだ。内情に詳しくない者でもフォルビアで何かが起こった事を容易に想像できた。そうなると、彼が仕えていたエドワルドと彼の家族の安否が気にかかる。

 マリーリアの気持ちも汲んで、従兄はすぐに何が起こっているのか調べるためにフォルビアへ人を送りこんだ。そして事実関係の確認の為に皇都とワールウェイド城へも使者を送ったのだ。




 アスターは5日間生死の境をさまよい、その間、マリーリアはつきっきりで看病をした。

「……お逃げ下さい……殿下……」

 彼はしきりに譫言うわごとでそう訴え、右手を差し伸べる。マリーリアはその手をそっと握った。

「アスター卿……」

 その呼び声に反応したのか、ピクリとまぶたが動いて彼は右目を開けた。

「……殿下」

「アスター卿」

 マリーリアの呼びかけに一瞬怪訝そうな表情となるが、ぼやけていた視界がはっきりとしてきたのだろう、手を握ってくれている相手がマリーリアであることに気付く。

「ここは……」

「ルバーブ村よ。ファルクレインが傷ついたあなたを運んできたの」

「……」

 混濁した記憶がはっきりとしてくると、アスターはハッとした表情となって体を起こそうとする。

「アスター卿?」

「行かねば……殿下が……」

 アスターは止めようとするマリーリアの手を振り払い、体を起こそうとするが力が入らない。それでもなお、歯を食いしばって体を起こそうとする。

「無理だわ、アスター卿。横になって」

 マリーリアは必死に起き上がろうとする彼を止める。

「行かないと……。殿下やフロリエ様が危ない……」

 マリーリアも負傷している相手に遠慮があり、寝台から身を乗り出した彼を力で留めることが出来ずに2人はもつれるようにして床に転がる。

「う……」

 アスターはマリーリアにのしかかるようにして倒れ込み、全身に走った激痛に思わずうめく。思った以上に体を動かすことが出来ない。幸いにしてマリーリアの体がクッションとなって強打せずに済んだ。

「だ……大丈夫?」

 マリーリアは慌てて体を起こし、のしかかったままのアスターを一度床に座らせてから寝台へ彼の体を持ち上げる。

「何故……」

「これだけの怪我をしているのよ、当たり前だわ。どこへ行こうというの?」

「フォルビアへ戻らなければ…。殿下がラグラスの兵に襲われた」

 彼はなおも必死に動こうとするが、マリーリアは内心の動揺を抑えながらそれを押し留める。

「だからって一人で動くこともできないのにどうするつもり? ファルクレインだって怪我をして飛べないのよ?」

「それでも行く」

「冗談じゃないわ! もうだめかもしれないと医者に言われたのに助かったのよ? それでも行くというのなら、私を倒してから行きなさいよ!」

「マリーリア……」

 マリーリアの剣幕にアスターは圧倒されて黙り込み、寝かしつけようとする彼女に大人しく従った。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




12時に次話を更新します。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る