6 立ち込める暗雲1

 夏至が過ぎ、本格的な夏を迎えた頃、エドワルドはグロリアの墓参りの為に妻子を連れてあの館を訪れていた。

 フォルビアの新たな体制も整って軌道に乗り出した上に、各方面を任されていた親族達の不正の摘発も終わったので、彼の手がようやく空いたのだ。

 ラグラスやヘデラ夫妻を始めとした親族達が着服した金をエドワルドは利子をつけて返還するように命じていた。渋る彼らに親切にも返済計画書まで用意してやり、その通りに返済できないと追徴金も加わると脅しておいた。その支払いを待つ間、結婚式の準備を進めながら過ごせば、国主会議を終えたハルベルトと合流する丁度いい頃合いとなっているだろう。

「引っ越してから2ヶ月も経っていませんのに、随分と離れていた気が致します」

「そうだな。随分前の事の様だ」

 いつもの玄関前にグランシアードが着地し、フロリエはエドワルドに飛竜の背から優しく抱き下ろされる。続けてファルクレインが着地してアスターがコリンシアを抱き下ろし、同行した護衛の竜騎士5騎が飛竜を敷地の外へ着地させた。アスターも彼らも周囲への警戒を怠らず、鋭い視線を辺りへめぐらしている。

「なんだかほっとするわ」

「ああ。休暇を楽しむつもりでのんびりするとしよう」

「はい」

 歩きなれた玄関前のアプローチをエドワルドに手を引かれてフロリエは顔をほころばす。住み易い様に改善してもらったとはいえ、彼女には城よりもこちらが我が家と思えるのだろう。それはコリンシアにも同様で、先ほどからうれしそうにあたりを走り回っている。

「コリン、あまり走ると転びますよ」

「大丈夫」

 母親の心配をよそに、娘は両親の元へ戻ってくると、勢い良く父親に抱きついてくる。

 この休暇をゆっくり楽しむ為に、ここ数日仕事を優先して妻子とほとんど顔をあわせていなっかったので、コリンシアは父親といられる事が嬉しくて仕方ないのだ。そんな彼女の気持ちを知っているエドワルドは、ひょいと娘を抱き上げた。

「さあ、中へ入ろう」

「うん」

 当主一家がこちらに滞在する間、彼等の世話をする為にオルティスはあらかじめ元々こちらで働いていた使用人達を連れてきていた。彼らに出迎えられて一行は住み慣れた我が家に入っていく。

 当然、グランシアードを始めとする飛竜を世話する為に、ルークとの野外活動を終えたばかりのティムも呼ばれて来ていた。彼はエドワルドの推薦で、この秋から第3騎士団へ竜騎士見習いとして入団する事に決まっていた。基本的な武技と操竜術及び一般教養を学んだ後、皇都で最終的な試練を受けて合格すれば、神殿から飛竜が与えられて竜騎士と認められる。夢に一歩近づいた彼は、張り切ってグランシアードとファルクレインの世話をし始めた。

「エドワルド様、フロリエ様、冷たいお飲み物をご用意しております。どうぞこちらへ」

 張り切っているのはオルティスも同様だった。慣れた場所で勝手を知る人たちがいるので動きやすいのだろう。オリガと共に朝一番にこちらへ来て、全ての準備を抜かりなく整えて一家を出迎えてくれた。そして彼は先導してあの居間へと案内する。

「ありがとう」

 フロリエは座りなれたいつもの場所へ座り、向かいの席にエドワルドとコリンシアが座った。一番奥のグロリアの指定席は空いたままで、愛用の肩掛けがかけられたままとなっていた。

「ここはやはり落ち着くな」

「ええ」

 とりとめのない会話をしながらオルティスが用意したお茶で喉を潤す。開け放たれた窓から涼やかな風が通り抜け、実に心地がいい。ずっと仕事に追われていたエドワルドは久しぶりにのんびりと家族と過ごす事が出来てほっとしている様子である。

「平和……だな」

 彼はポツリとつぶやいた。




 次の日の明け方、エドワルドは言いようの無い恐怖と焦燥感に駆られて目を覚ました。

「一体……」

 手が震え、全身に寝汗をかいていた。開け放っている窓から入る、生温い風が更に気持ち悪く感じ、彼は体を起こすとふらつきながら寝台から抜け出した。

「……エド?」

 隣で寝ていたフロリエが彼の動く気配に気付いて目を覚ます。

「起こして済まない。なんだか変な夢を見たようだ。汗をかいたから体を拭いて着替える」

「大丈夫?」

 彼女も寝台から手探りで降りると、夫の側に近寄る。差し出された彼の手に触れると、汗ばんでいるのがわかる。

「心配ないよ。自分でするから君は横になっているといい」

 確かにルルーがいない状態ではさほど役には立たないと思い、フロリエは大人しく寝台の縁に座る。エドワルドは洗顔用においてある水差しの水で布を濡らし、それで汗をふき取ると替えの寝間着に着替えた。

「どこか具合でも悪いの?」

「違うよ。これではいつもの逆だな」

 心配そうな妻にエドワルドは苦笑する。しかしながら言いようの無い焦燥感はぬぐいきれておらず、彼は寝台脇のテーブルに置いていた寝酒のワインの残りを一気に飲み干した。

「エド……」

「大丈夫」

 心配する妻に軽く口づけると、彼は彼女を促して寝台に潜り込む。そしてもう一息寝ようと彼女を腕に抱いて横になったのだった。




 翌日は墓参りの予定にしていたのだが、来客があって行けなくなってしまった。当主夫妻がこの館に滞在しているのを聞きつけ、フォルビア東部の地主達だけでなくはるばるロベリアからも次々と客が挨拶に訪れたのだ。今後の領地経営を考えれば無視する事も出来ず、エドワルドとフロリエはその対応に追われてしまった。

 元々予定していた贔屓ひいきの仕立屋と婚礼衣装の打ち合わせやビルケ商会に結納の真珠の加工を依頼したりしたおかげで、グロリアの墓参りにようやく出かけられたのは館に来て10日目の事だった。

 いつもなら飛竜を利用するのだが、今回は近隣の視察も兼ねて馬で出かけ、神殿に一泊する予定となっていた。フロリエやコリンシア、同道するオリガの為に婦人用の馬車が用意され、その御者をティムが任された。エドワルドやアスター、護衛の竜騎士や騎馬兵は馬車を囲むようにして馬を併走させている。

「こうして外へ出るのは気持ち良いな」

「同感です」

 来客のため、外出も間々ならなかった上官の言葉にアスターはうなずく。決していい天気とは言えなかったが、こうして風をきって走るのは気持ちがいい。馬車に乗っているコリンシアも身を乗り出すようにして外の景色を楽しんでいる。

 行きかう領民達が一行に気付き、道を空けて馬を駆るエドワルドや馬車に乗るフロリエに恭しく頭を下げる。そんな彼らにコリンシアは元気良く手を振り、フロリエは娘を微笑みながら見守っている。領民達はそんな親子の姿をニコニコしながら見送ってくれる。

 一行は途中にある2つの村を視察し、午後になってようやくグロリアが眠る神殿に着いた。神官長長自ら頭を下げて出迎え、フロリエは夫に手を引かれて馬車から降りた。

「お待ち致しておりました。エドワルド様、フロリエ様」

「出迎えありがとう」

 フロリエは神官長に声をかけると、夫に手を引かれて神殿の中へ入っていく。オリガと手をつないでコリンシアが続き、アスターと護衛の竜騎士が最後に入る。ティムは神殿の係りと共に馬を厩舎へ預けに行った。

 神官長がグロリアの霊廟に一行を案内し、彼等は持参した花を供えてしばらくの間瞑目する。特にフロリエは墓前にひざまずき、最後まで祈りを捧げ、そんな彼女をエドワルドは穏やかな気持ちで見守っていた。

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