106 想いはいつしか1

 グロリアが倒れて数日経ったが、かろうじて命は取り留めたものの予断を許さない状況が続いていた。2人の医師だけでなく、フロリエもオルティスもオリガを始めとする侍女達も交代でグロリアの看病をしていた。特にフロリエはエドワルドからの求愛という現実から逃避とうひするように、グロリアの看病やコリンシアの世話をして体を動かし続けた。

「ねえ、ママ・フロリエ」

 お休み前にフロリエに着替えを手伝ってもらっていたコリンシアが真剣な表情で彼女を見上げる。

「いかがされましたか?」

「父様の事嫌いになっちゃったの?」

「……どうしてそう思われるのですか?」

「だって……」

 フロリエは内心ドキリとした。子供は敏感である。この数日の間に2度、仕事の合間のほんのわずかな時間を使ってエドワルドはこの館を訪れていた。そう長い時間は滞在しないが、フロリエは勤めて彼と顔を合わさないようにしていた。今の状況を考慮して彼のほうも無理に話しかけてくることも無い。今までとは異なる微妙な違和感をコリンシアは敏感に感じ取っていたのだ。

「あの方を嫌う理由はございません。考えすぎでございます」

 フロリエはそう言うと、コリンシアの支度を終える。

「さあ、出来ましたよ。お休みしましょう」

 フロリエがコリンシアを寝台へうながすと、彼女はしぶしぶ横になる。エドワルドが娘の為に新しく買って来てくれた本を広げ、読み始めようとしたところで扉を叩く音がする。

「はい?」

 フロリエが出てみると、オリガが立っている。

「フロリエさん、グロリア様がお呼びでございます」

「女大公様が?」

「はい。代わりますので行って下さい」

「分かりました」

 フロリエはコリンシアに断ると、後をオリガに任せてグロリアの部屋へ向かう。静かに扉を叩き、返事を待ってから中に入ると、寝台の上で半身を起こしたグロリアが待っていた。他にはバセットとオルティスも控えている。

「お呼びと伺いましたが?」

「ここへお座り」

 グロリアはフロリエを寝台脇の椅子へ座るようにうながした。彼女はすぐには座ろうとはせず、心配そうに尋ねる。

「起きられて大丈夫ですか?」

「そなたは優しいな。大丈夫じゃ」

 グロリアはフロリエに微笑みかけ、彼女が椅子に座ると手を伸ばして頭を優しくなでた。

「そなたに話があるのじゃ」

「話……ですか?」

 不思議そうにしている彼女の手をグロリアは握り、傍らに控えるオルティスに声をかける。

「オルティス、あれを」

 うながされてオルティスは何やら大事そうに布に包まれたものをグロリアに渡す。

「これは我が家に代々伝わるものじゃ。これをそなたに預かって欲しいのじゃ」

 そう言って包みの中からフォルビア家の紋章の入った金のペンダントを取り出す。色とりどりの宝石がちりばめられ、まばゆいばかりの輝きを放っている。

「大事なものではありませんか? 私が預かっていいものでは……」

「本当は、コリンに譲ろうと思っておったのじゃ。だが、私の体もいつまで持つか分からぬ。あの子が成人するまでそなたが預かってくれぬか?」

「それでしたら、エドワルド殿下に預かっていただくのが筋ではないかと……」

 フロリエの言葉にグロリアは笑う。

「あれは案外そそっかしくてのう、信用できぬ。じゃが、そなたなら安心して預けられる」

「……」

「少し早いが、妾の形見と思うて受け取っておくれ」

「形見などいりません。弱気な事を仰せにならないで下さいませ」

 フロリエは涙を流して訴える。

「ほんに、そなたは優しいのぉ」

 泣き伏すフロリエの頭をグロリアが優しくなでる。

「じゃが、本当にわが身がいつまで持つか分からぬ。そうなればそなたの行く末が気がかりじゃ」

「女大公様……」

 フロリエは少し顔を上げる。

「先日、エドワルドに頼んで陛下に書状を届けてもらった」

 ここでグロリアは一度言葉を切った。オルティスがそっとほんのりと暖かい湯冷ましを差し出すと、それで彼女は喉を潤した。

「そなたを我が養女にしたいと申し出たのじゃ」

「!」

「陛下はこころよく承諾して下された。そなたに断り無く話を進めてしまったのは申し訳ないが、今日より、そなたは妾の娘じゃ」

「……」

 フロリエは突然の事に言葉も無かった。

「エドワルドのことは好きかえ?」

 突然訊かれて戸惑ったが、彼女はためらいながら小さく頷いた。

「……はい。」

「そなたの身元は妾が保証する。あれの気持ちに応えてはくれぬか?今までいろいろ遊び歩いておったが、今度ばかりは本気のようじゃ」

「女大公様……」

 グロリアはホホホと笑う。

「これこれ……母とお呼び」

「……お母…様」

 ためらいながらフロリエがそう呼ぶと、グロリアは満足そうに頷く。

「そうじゃ、フロリエ。そなたは妾のかわいい娘じゃ」

「お母様」

 グロリアはいとおしそうにフロリエの頭をなで、忠実な執事に命じる。

「オルティス、明朝、フロリエが我が娘になった事を館の者達に公表せよ」

「かしこまりました」

 オルティスは頭を下げる。

「ご親族方はどう思われるでしょうか……」

 フロリエはふと心配になってつぶやく。

「放っておけばよろしい。文句は言わさぬ」

 グロリアはいつもの口調で言い放つ。その様子に思わずフロリエも笑みがこぼれる。その様子にグロリアもオルティスも無言で控えていたバセットもうなずく。そして長く話をして疲れた様子のグロリアを横にさせると、その夜はフロリエが彼女に付き添った。




 翌朝、オルティスの口から使用人達にフロリエが正式にグロリアの養女となった事が公表された。館の中で一目置かれる存在になっていた彼女は、皆から口々に祝福される。

 特にオリガは彼女の事を尊敬していたので我が事のように喜んでいた。今まで彼女に仕えてきたが、どんなに尊敬していても決して様をつけて呼ばせてくれなかったのだ。これからはその違和感がなくなるのが嬉しかった。

 ちなみにコリンシアはよく分からないながらも自分が母親のように慕うフロリエにいい事があったのだと理解し、一緒になって喜んでいた。



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