92 責任の在りか5
「殿下……」
「もう大丈夫だ」
エドワルドは羽織っていた寝巻を脱ぐとフロリエに着せ掛け、震える彼女を左腕だけで抱きしめた。隠していた彼の右腕が
「貴公だって女を抱くではないか……。同じだろう」
「私は嫌がる相手に無理強いした事は無い。一緒にしないでもらおう」
エドワルドの怒気が外のグランシアードにも伝わり、外から飛竜の咆哮が響く。そこへ騒ぎにようやく気付いたらしく、階下から階段を駆け上る複数の足音が聞こえる。エドワルドの全身から出る怒りのオーラに足が
「殿下! フロリエさん!」
先ず飛び込んできたのはアスターで、状況を理解するとすぐにその場でラグラスを取り押える。少し遅れてオルティスとバセットが駆けつけ、最後にオリガが入ってきた。
「外に……リューグナーが逃げた。捕まえろ」
エドワルドの命令にオルティスがすぐに部屋を出ていく。使用人達を呼び、すぐにリューグナーを追跡するように命じているのが聞こえる。
「この愚か者は摘みだせ。二度とこの館に入れるな!」
エドワルドの怒声と共に外からはグランシアードの咆哮が響き渡り、彼の怒りの凄まじさを伝える。アスターはバセットに手伝ってもらってラグラスを後ろ手に
それを見届けると、エドワルドの全身から緊張が解け、その場に倒れ込む。
「殿下!」
フロリエの悲鳴と共に慌ててバセットとオリガが駆け寄ってくる。
「大丈夫……」
エドワルドは口ではそう言うものの、右肩は痛み、全身から力が抜けていく。
階下からグロリアがラグラスを叱るのが聞こえる。事情を聴いた彼女は彼に更なる謹慎を言い渡していた。
フロリエが自分を呼ぶのを聞きながら、エドワルドは彼女を助けた安堵感と共に意識が遠退いていった。
エドワルドが倒れた後、フロリエは半狂乱で彼に
縛り上げたラグラスをフォルビアの騎士団に預けるとアスターはすぐに戻ってきたので、バセットはオリガにフロリエを任せると、2人がかりで気を失ったエドワルドを寝室に運び、すぐに開いた傷口の手当てを施したのだった。幸いにも傷口はそれほど開いてはおらず、命に係わるような事態にはならなかった。
「もっと早く来てくれればとも思うが、まだあのタイミングで良かったと言わざるを得ないの」
一連の報告を受け、自身の持病をバセットに診察してもらいながらグロリアは呟く。
「左様ですな……。しかし、肝が冷えましたぞ」
館に着く早々、ファルクレイン経由でグランシアードからフロリエとエドワルドの状況を聞き、アスターは説明もそこそこに2階へと駆け上がった。ただならぬ様子にバセットとオルティスも後を追い、それに丁度コリンシアの部屋から出てきたオリガも加わってフロリエの部屋に駆け込んだのだ。
「お体に随分とご負担がかかっておられるようですな。ご無理は禁物です」
エドワルドの処置を終え、バセットはグロリアの診察をしていた。本当は2日後が往診の予定だったのだが、アスターがエドワルドに急用ができたため、一緒に来たのだ。
用というのはリューグナーが薬草庫に保管していた薬の件である。記録にも残していないその薬草は当初、ハーブの一種だと思われていた。総督府に持ち帰り、バセットが詳しく調べたところ、使用が禁止されている薬の原料だと分かったのだ。
それは、竜騎士としての力を一時的に高める作用があった。一般の兵士でも竜騎士並に能力を高める事が可能だと言われている夢のような薬だが、その分大きすぎるリスクを背負う事となる。一度使うとやめられなくなり、しかも使う毎に10年寿命を減らすとまで言われている代物だった。それはもう100年くらい前に神殿からのお達しで使用を禁止された薬物だった。
「そうしたいのは山々じゃがの、状況がそうはさせてくれぬのじゃ」
「……確かにそうですが、休める時にしっかりお休みになって下さい」
バセットも渋い表情で調合した薬をグロリアに渡す。夏から続いた元副総督がらみの事件や秋のコリンシアの大病、そしてこの度のエドワルドの負傷と立て続けに起こった悪い事件は少なからずグロリアの健康を蝕んでいた。加えて信頼していたリューグナーの裏切りが多大な影響を及ぼしている。
「あれも昔は真面目に励んでいたというのに……」
グロリアはため息をつく。リューグナーは前任のグロリアの専属医の弟子の1人だった。若いながらも腕は確かだったので、彼の師匠が老齢を理由に引退した折、後事を託されたのだ。
グロリアの病を治したいと熱意を込めて語っていた若者を彼女は好ましく思い、様々な面で優遇してやったように思う。どこでどう間違ったのか……それとも自分の目は節穴だったのか……苦い思いが込み上げてくる。
「悪い方向へ考えるのも良くありませんぞ」
「……わかっておる」
グロリアはいつものように憎まれ口を叩こうとしたが、出てきた言葉は思ったよりも弱弱しいものとなってしまった。バツが悪そうに顔を
「フロリエの様子でも見てから休むと致そう」
「ご無理をなさいませんよう……」
バセットはフロリエの休む部屋までグロリアに付き添って送ると、自身は再び寝込んでしまったエドワルドの様子を見に、彼の部屋へと向かった。
フロリエは夢を見ていた。どこか懐かしさを覚える景色の中、泣いている自分の肩を自分と同じ年頃の若者が抱いてくれていた。
『どうして……泣く?』
そう困った様に言われても無性に悲しかった。
『俺はもういい。ここへ戻れたから』
言葉とは裏腹に寂しそうな口調だった。けれども顔を思い出せない。彼は一体誰だろう……。
「気が付いたかえ?」
フロリエが目を覚ますと、驚いた事にグロリアが側についてくれていた。
「女大公様……」
慌ててフロリエは体を起こそうとする」
「まだ横になっていなさい」
「殿下は如何されましたか?」
グロリアが起きようとする彼女を押しとどめるが、フロリエはエドワルドの事が気が気ではなかった。
「バセットがついておる。心配いたすな。それよりも妾はそなたが心配じゃ」
「私は……私は大丈夫です」
枕元にいるルルーが心配そうにすり寄ってくる。彼はラグラスに振り払われた時に足と羽を痛めていた。バセットに薬を塗ってもらったらしく、軟膏の匂いがする。フロリエは彼にも助けられたことを思い出し、お礼を言いながら優しく頭を撫でた。彼は嬉しそうにクルクルと喉を鳴らす。
「ラグラスは我が一族に名を連ねる者。妾が代わってお詫び申し上げる」
グロリアがそう頭を下げると、フロリエは慌てて彼女をとめる。
「女大公様の所為ではありません。どうか、頭を上げて下さい」
「あのような者を重用しておった妾の手落ちじゃ。怖い思いをさせたの。本当に申し訳ない」
グロリアはフロリエの手を握りしめる。確かにエドワルドが来てくれなければ、あの男に彼女は手籠めにされていた。今更ながらに寒気がする。
「殿下は大丈夫でしょうか?」
「そなたは優しいの。確かにちょっとだけ傷が開いたようじゃが、命に別状はない。また2、3日バセットが居てくれると言うから、そなたはゆっくりと休みなさい」
「ですが……」
言いよどむフロリエにグロリアは微笑みかける。
「そなたはいつも他人の事ばかりを心配しておる。じゃがの、今は自分の為に休みなさい。ルルーも随分と疲れておるから一緒に休ませておやり」
グロリアの言う事も
「そうじゃ。何も心配せずに今はゆっくり休みなさい」
グロリアが優しく声をかけてくれる。バセットが飲ませた鎮静剤の効果がまだ残っているらしく、彼女は素直に目を閉じた。そして、今度は夢も見無い程深い眠りについたのだった。
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