69 嵐の日に2

 館は夜明け前だと言うのに煌々こうこうと明かりが点いていた。いつもの玄関前に飛竜が着地すると、エドワルドはすぐに館の中へ入っていき、ルークはいつも通り2頭の飛竜を労いながら厩舎へと連れて行く。

「コリンの具合は?」

 エドワルドの到着を知り、真っ先に出迎えたオルティスに開口一番尋ねる。

「リューグナー医師のお話によると、紅斑病の疑いがあると……」

 子供がかかる致死率の高い病名を聞き、エドワルドは血の気が引く。雨具も外套も脱ぎ捨て、コリンシアの部屋に駆け込む。

「コリン!」

 寝台にコリンシアが横たわっていた。汗ばんだ顔にプラチナブロンドの髪は張り付き、苦しそうにしている。未だ病の特徴である紅斑は出ていないが、楽観できる状況ではないのが一目瞭然だった。

「殿下、申し訳ございません」

 コリンシアの看病をしていたフロリエがエドワルドに頭を下げる。

「一体いつから?」

「一昨日からお加減が悪かったのですが、今日になって熱が……」

 涙声のフロリエは頭を下げる。肩にとまるルルーも怯えたように一声鳴いた。

「そなたが付いていながら……」

 エドワルドの声に怒りがこもる。さらに何かを言おうとしたところで扉が開き、グロリアが部屋に入ってくる。

「お待ちなさい、エドワルド。フロリエを責める資格がそなたにあるのかえ?」

「それは、私が……」

 グロリアは最後まで言わせない。

「親だからと申すのか? 笑わせるでない。預けたら預けっぱなしで碌に様子を見に来ず、しかも躾は他人任せ。それでようこの子の親と言い切れるものよ。

 しかも妾がそなたに使いを送ったのは昨夜のうちだと言うのに、今はもう夜が明けようとしておる。大方あのエルデネートという女の元に居たのじゃろう。

 一睡もせずにコリンシアの看病しておるフロリエをそなたが責める資格などない!」

 たまりかねた様子のグロリアは一気にまくしたてる。エドワルドは言い返す事も出来ずに手を強く握りしめ、唇を強く噛んでいる。

「女大公様、病人の前でございます」

 遠慮がちにフロリエが声をかける。

「エドワルド、続きは下じゃ。ついて参れ」

 グロリアは冷たく言い放つと踵を返して部屋を出ていく。エドワルドも後に続こうとしたが、苦しんでいる子供の側を離れ難く、ふと、足を止める。

「……フロリエ……どこ?」

 コリンシアが譫言でフロリエを呼び、探るように手を動かす。

「ここに居ります、コリン様」

 フロリエはすぐに寝台の側に跪くとその手を握り返し、そして濡れた布で優しく額の汗をぬぐう。肩にとまるルルーも心配そうにクウクウ鳴き、苦しむ姫君の顔を覗き込む。

「フロリエ、先程は済まなかった」

 献身的に看病するフロリエの姿を目の当たりにし、エドワルドは声を絞り出すように謝罪する。グロリアの言葉で、彼女を始めとしたこの館の人々にどれだけ甘えて来たか痛感した。更には病気の我が子が求めているのは親である自分ではなく、フロリエだった事にも少なからずショックを受けていた。

「いえ、私が悪いのです。私がもっと早く気付いていれば……」

 フロリエはコリンシアの汗を拭いた布を桶の水に浸し、絞るとコリンシアの額に乗せる。

「叔母上と話をしてきます。後で代わりましょう」

 フロリエの返事を待たずにエドワルドは部屋を後にする。1階に降り、居間に行くと厳しい表情のグロリアが座って待っていた。

「遅い」

「フロリエに謝罪してきました」

「謝罪だけでは済まぬ」

「分かっております」

 重苦しい空気の中、2人はしばらく無言だった。

「冬までこちらからロベリアに通おうと思います。よろしいですか?」

「好きにしなさい」

 グロリアはどこか投げやりな言い方で返す。

「少なくともコリンが回復するまではそうするつもりです。迷惑かけますが……」

「そなたの迷惑はいつもの事であろう」

 呆れたように返されると、エドワルドはがっくりとうなだれる。

「そうですね……」

「それで勤まるのかえ?」

「なんとかします」

「その決意が変わらぬことを願っておる。また同じような事を繰り返すようであったら、もう二度とこの屋敷には入れぬから覚悟おし」

 おそらく冗談ではないであろう。この人なら本当にやりかねない。

「わかりました」

 覚悟を決めてエドワルドは返事する。

「良かろう。後でフロリエと代わりなさい。あの娘も少し休ませなければ」

 エドワルドの覚悟にようやくグロリアも許す気になったらしい。

「わかりました。ちょっと失礼します」

 彼はそう断り、居間を出るといつも使う部屋に向かう。そこでアスター宛ての手紙を書くと、ルークを呼ぶ。

「失礼します」

 すぐにルークが部屋に現れる。コリンシアの病名を聞いたのか、彼も心なしか青ざめている。

「お呼びでしょうか?」

朝餉あさげが済んでからでいい。これをアスターに届けてくれ」

「かしこまりました」

 ルークは差し出された手紙を懐に入れた。

「コリン様は……大丈夫でしょうか?」

「大丈夫だ、きっと。しばらくこちらにいる。お前が一番大変かもしれないが……」

「平気です。団長はコリン様の側にいてあげて下さい」

 その言葉にエドワルドは自嘲気味に答える。

「あの子は私よりもフロリエにいて欲しいみたいだ」

「彼女はすっかり、コリン様の『お母さん』ですね」

 ルークは何気なく言ったが、エドワルドは少なからず動揺する。

「そ……そうだな」

「では、失礼致します」

 ルークはエドワルドの動揺にも気づかず、頭を下げると部屋を出て行った。

「お母さん……か」

 正直、エドワルドにも縁の無かった存在である。実の母親は病気がちで幼少の頃、アスターの母親でもあった乳母も竜騎士見習いになる前に他界していた。だが、彼には幸いな事に歳の離れた姉が2人もいた上に、彼女達が嫁いだ後はハルベルトの妻セシーリアが何かと親身に世話をしてくれた。その為に寂しいと思う事は無かったし、竜騎士見習いとしての訓練も始まっていたので、そう思う余裕もなくなっていた。

 だが、似たような境遇でもコリンシアは違う。まだまだ幼い彼女には甘えられる存在が必要なのだ。母親が必要だと言ったハルベルトの言葉を理解していたつもりでいたが、先程のコリンシアの部屋で垣間見た光景で本当に理解できた気がする。

「ふう……」

 グロリアに喝を入れられて自分がどれだけ無責任であったか痛感した。落ち込んだ気持ちで窓の外を見ると、雨は既にやんでいて、山際の雲の切れ間から朝日が見えた。

 今はとにかくコリンシアの回復を願うしかない。エドワルドは暗鬱とした気分を抱えたまま、フロリエと看病を交代するために子供部屋へ向かった。


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