63 踏みにじられた温情3

 アスターは不機嫌な上司を前にしていつになく緊張していた。

 誘拐事件から一夜明け、犯人たちの供述を纏めた報告書を手渡したのだが、それに目を通していくうちにエドワルドから一切の表情が消えた。彼が内包する怒りを抑え込んでいる時の顔だった。長い付き合いで、幾度かそういった場面に遭遇したことがあるアスターですら背筋が冷たくなる。

「首謀者はリリー・シラー。ロベリア西部の地主の娘で先日までグロリア様の館に奉公していた1人です。先日の一件により自宅謹慎となっていたのですが、更生する気配がない事を危惧した両親により修道院に送られていました。しかし、規律の厳しさに耐えられず逃げ出していたようです。

 その後は彼女に甘い祖母によってかくまわれ、遊び歩いていたのが実情です。知人の伝手でドレスラー家の祝いの席にも出席しており、その時目撃した殿下とフロリエさんの仲を邪推したようです。そしてフロリエさんの事を先日まで行方不明と噂のあった娼妓だと未だに思い込んでいます」

「……それで?」

「彼女が神殿での慰問を終えたフロリエさんを訪問し、殿下を騙していると追及したところ、フロリエさんが姫様をさらって逃げたのだと主張しています。親切な男達に協力してもらって自分はそれを追跡し、あの猟師小屋で追い詰めて姫様を奪い返したところまでは良かったが、そこで男達に裏切られて襲われそうになったと供述しています。

 男達はフロリエさんの仲間で、姫様を人質にして身代金を得ようと計画していたと訴え、そして自分が犯人として扱われることに納得できないと言っております」

 あまりにも勝手な主張にエドワルドのこめかみに青筋が浮かび上がっている。激昂しないのはまだ報告がすべて終わっていないからで、理性だけで辛うじて抑え込んでいる状態だった。

「男達は近隣を荒らしていた盗賊でした。あの猟師小屋は地下に小部屋があり、一時的に盗品を隠すのに利用していたそうです。今回も身代金が手に入るか女性達の買い手がつくまでそこで監禁する予定だったらしいのですが、予想以上に早く見付かってしまったと供述しています。

 リリーとは仲間の1人が酒場で知り合ったと言っています。女大公様の元侍女と聞いて利用できると思い、彼女に協力を申し出たそうです。そしてあの小神殿にフロリエさんが慰問に訪れると聞き、今回の事を計画したそうです」

「忌々しい……」

 アスターはエドワルドの放つ殺気を意識しないように淡々と報告書を読み上げる。リリー以外の6人の男達は捕えられて観念したのか、比較的大人しく取り調べに応じていた。いや……正しくは5人だった。突入した時、フロリエに伸し掛かっていた1人はエドワルドに顎の骨を砕かれてしゃべる事が出来なくなっていた。怒りに任せた一撃は思った以上に力が入っていたらしい。今は治療して休ませているが、簡単な質問ならば答えられるので、今朝から医師の立会いの下で尋問が行われる予定だった。

「リリーは特別なお茶だと言って神殿に睡眠薬入りのお茶を持ち込んでいました。自分が姿を見せると警戒されると思ったのか、お茶は接待役の女神官に淹れさせています。

 一方、顏が知られていない護衛達には、フロリエさんからだと言って自ら眠り薬の入ったお茶を差し入れてます。それを彼等が口にして寝入ったところで盗賊達が入れ替わったそうです。縛り上げた彼等を馬車の中に入れたので、オリガさんまでは乗せる余裕がなくなり、彼女は神殿に残していったそうです」

 フロリエが階段から落ちた時に彼女が温情をかけたおかげで厳しい罰を免れたというのに、リリーは恩を仇で返したのだ。あの事件の後、彼女を殺すことになったかもしれない事実に蒼白となっていたのだが、あれも演技だったのだろうか? 

「護衛達の話では、今回の慰問の相手が神殿に身を寄せている女性達だったために、彼らは中までついていくことが出来なかったそうです。この反省を踏まえ、今後は護衛には女性を付けることを検討した方がよろしいかと思われます」

「わかった」

 手元の資料に目を向けながら、最後に付け加えられたアスターの私見に短く答える。そして退出していいと身振りで伝えると、アスターは頭を下げて部屋を下げて部屋を出て行った。

 アスターの指摘は当然の事なのだが、現在フォルビアの竜騎士に女性はいなかった。彼等をまとめる立場だった親族が女性にだらしがないために、フォルビアに女性竜騎士は寄り付かないのだ。今回の不正の発覚により彼も失脚しているのだが、信用できる人物か調査も必要な上に、人員交代の時期は過ぎているのですぐに集めるのは無理があった。

「新婚夫婦には悪いが協力してもらうか……」

 こんな時に頼りになるのは配下の女性竜騎士ジーンである。リーガスと結婚したばかりで申し訳ないが、仕事の一環だと思って協力してもらうしかない。

 それに……事件で忘れそうになっているが、今日の夕刻には新人達が到着する。その中には2人目となる女性竜騎士も混ざっているので、彼女にも両力してもらおう。何やら屈託もある様子だし、自分やアスターには言えなくてもここの女性陣ならば心を開いてくれるかもしれない。

 そう自分の中で結論が出ると、荒れていた気持ちも幾分落ち着いてくる。感情に飲まれていては大事なことも見逃してしまう。1つ深呼吸して気持ちを落ち着けると、見落としはないかもう一度確認しようと報告書を手に取った。




 1人部屋に残ったエドワルドが改めて報告書に目を通していると、戸を叩く音がする。アスターだと思って返事をすると、入ってきたのはコリンシアの世話を任せた年配の侍女だった。

「殿下、姫様が殿下かフロリエ様にいてほしいとぐずっておられるのですが、ご都合は如何でしょうか?」

 薬で眠らされていたコリンシアは、明け方になって目を覚ました。フロリエが懸念した副作用はそれほどひどくなさそうだったが、どんな悪影響があるか分からない為に今日は一日寝台の上で過ごすことになっていた。

 当のフロリエも攫われて襲われそうになったショックからまだ十分に立ち直ってはいない。助け出してから館へ帰還するまでにどうにか落ち着いたものの、治療を受けて休んでから一時もしないうちに悲鳴を上げて飛び起きた。うとうとすることはできても、寝付くと悪夢にうなされる。朝まで眠る事が出来なかった彼女は軽い鎮静剤を投与され、今はどうにか眠りについていた。

 ちなみにオリガが起きたのは夜中で、自分の知らない間にこんな大事となっていた事実に彼女は真っ青になった。またもやフロリエを守れなかったと嘆き、彼女や姫君の側にいると言い張ったが、コリンシアと同様の理由で一日休みとなっていた。今はルークが付き添っている。

「分かった」

 エドワルドは短く答えると、手にした報告書を机に残し、部屋を出ていった。




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