54 慌ただしい帰還5

 和やかな雰囲気のまま何事もなく晩餐は済み、竜騎士達もグロリアに食事の礼を言って席を立ち、それぞれに与えられた部屋へ戻っていく。何よりも堅苦しい正装を早く脱ぎたいと言うのが本音だったかもしれない。

 エドワルドもまたもや恐縮するフロリエを抱え上げて彼女の部屋へと連れて行き、今夜は彼女と一緒に休みたがる娘を預けてから自分の部屋で正装を解いた。実のところ、グロリアにはまだ用事があった。彼女が寝支度を始める前に話しておかなければならない事がある。手早く身支度を整えると、すぐに一階の居間に向かう。

「叔母上、お疲れかもしれませんが、もう少しいいですか?」

 グロリアは就寝前の習慣となっている読書をしていた。彼が来るのを予想していたのか、着ているのは夜着ではなく普段着だった。

「かまわぬが……何ぞフロリエや子供に聞かせたくない話でもあるのかえ?」

「まあ、そういったところです」

 エドワルドはうやむやに答えるといつもの席に腰かけ、懐から2通の手紙を取り出した。オルティスがすぐさま彼に酒肴を整え、グロリアには香り高いお茶を用意する。

「父上と兄上からの手紙を預かってきました」

「どれ」

 一旦手紙をオルティスに預けると、彼はペーパーナイフで封を開けてグロリアに手渡す。

「まだまだじゃの」

 アロンからの手紙を見るなりそう呟くが、息子同然の国主からの手紙は嬉しいらしく目元が僅かに綻んでいる。だが、エドワルドには見せるつもりはないらしく、読み終えるとすぐにカードを戻して片づけてしまった。ハルベルトからの手紙は素早く目を通し、少し考える仕草をしてから口を開いた。

「フロリエを養女にする件は少し待った方が良いと言っておるな。そなたも同意見か?」

「ええ。確かに彼女は素晴らしい女性です。ですが、未だ後継を公表しておられない現在、他の親族方の手前、急に養女とすると反発も強くなるのではないかと懸念されます」

「確かにそうじゃな。妾とそなたの後見だけでは不足。少しずつ公の場に出して周囲に慣れさせ、認めさせる必要があるのは確か。やはり時間が必要か……」

 ハルベルトからの手紙を片づけながらグロリアは何事か思案している。エドワルドはその様子を見ながら、短期間でここまで彼女に気に入られたフロリエに感心していた。彼女の為に奔走するグロリアはどこか楽しそうでもある。

「ところで、そなたの要件はこれだけではあるまい?」

「ええ。本題が残っています」

 エドワルドはそう答えると、皇都でのゲオルグの一件と兄と姉から結婚を勧められていることを打ち明ける。

「あ奴もどうしてあそこまで甘やかすのか困ったものよ。遅かった気がするが、強引に引き離して正解じゃ。ハルベルトが教育すれば、少しはマシになるであろう」

 そこで一旦言葉を切ると、グロリアはお茶で口を潤す。

「相変わらずソフィアは強引じゃ。そなたが遊び歩いていた時にあれだけたしなめておきながら、今度は日替わりで女性を送り込むとは……。やっていることが逆であろう」

「おかげであちらではほとんど眠れませんでした」

 エドワルドがグロリアの怒りを和らげようと、少しおどけてみせる。

「だが、ハルベルトの言う事は正しいと思う。コリンシアには母親が必要じゃ」

「はあ……」

 気のない返事にギロリと睨まれる。

「そなたがいつまでも独り身だと、クラウディアも気が気ではなかろう。焦らずとも良いが、コリンの為には早い方が良い」

「……」

 グロリアの言葉にエドワルドは黙り込む。

「実は妾も相談したい事がある」

 間が持たないと思い、話題を変えようとしたところで徐にグロリアが口を開く。

「あの一件、解決したとはいえ気になる事がある」

「何でしょう?」

 副総督の件である事はすぐに理解した。

「面会を求めて来た時に、妾達の出かけ先が神殿である事をオルティスは一言も言ってはおらぬ。一々訪ね歩いた様子もないのに、あの場所へ来たと言う事は誰ぞから聞き出したことになる。疑いたくはないが、屋敷の者が洩らした可能性がある」

「……それが事実とすれば遺憾ですね」

「左様」

「ロベリアに戻ったら聞き出してみましょう」

「出来れば、これは済んだことゆえ穏便に済ませたい。聞き出せたら内々に知らせておくれ」

「わかりました」

 他ならぬグロリアの頼みである。エドワルドは快く引き受けた。

「繋がりがあるとまでは言い切れぬが、オリガが気になる事を言っておった」

「オリガがですか?」

 神殿からの帰り、馬車の中で彼女はずっとフロリエに謝って泣いていた。フロリエを守れなかった事を悔やんでいたらしい。2人で慰めていたのだが、感情的になった彼女が年若い侍女達がフロリエをねたんでいることをつい洩らしたのだ。

「話を聞いただけですか?」

「その様じゃ。証拠がない上に下手な事も出来ぬと思い込み、ティムと2人でずっと用心しておったと後になって話してくれた。妾でなくともオルティスにでも話せばそれとなく対処したものを……」

「それにしてもいい加減な噂を広めてくれる。その娼妓は単に身受けが決まっただけの話だったんだが」

 エドワルドもグロリアも深く息を吐く。オリガが言っていた若い侍女達はオルティスだけでなく侍女長からも奉公には向いていないと進言されていた。ならばそれを理由に家に帰してしまえばいい。根本的な問題の解決は先になるが、少なくともフロリエの安全は確保できるだろう。

「それにしても生真面目な娘じゃ」

「ルークも似たところがありますよ」

「似た者同士がくっついたようじゃの」

 悪戯っぽい笑みを浮かべるグロリアにつられてエドワルドもつい口元が綻ぶ。グランシアードを通じて知った昼間の告白は苦笑せざるを得ない内容だったが、一番は飛竜と聞いてもその思いに応える彼女は案外大物なのかもしれない。

「本当は早々に養女として確たる身分を与えたかったのじゃが、まだしばらくは無理の様じゃ。まあ、それまではこちらで何とか対処致そう」

「そうして下さい」

 エドワルドは注がれたワインの香りを楽しんでから口に含む。今夜はタランテラ国内で出来たものだが、上品な口当たりが気に入りついつい杯を重ねてしまう。

「最後に、彼からの忠告です」

「会うたのか? 元気じゃったか?」

 グロリアは懐かしそうに顔を綻ばせる。

「足を痛めておられました。もう自らは遠出をなされず、後進に後を任せて居られるようです」

 皇都でルルーを買ったビルケ商会の元会頭ことである。グロリア自身もこの館からあまり出ない生活をしているので、彼の部下に会う事はあっても本人には当分会っていなかった。足を痛めていたのはグロリアも知らなかったらしい。

「そうかえ。して、何と?」

「北方に不穏な動きがあると」

「……」

 グロリアは少し考え込むと、オルティスに命じて何やら書類を持ってこさせる。

「これを見てもらえぬか?」

「……」

 目を通し初めてすぐにエドワルドの表情が強張る。

「確認……なさらないのですか?」

「頼める者が最早おらぬ」

 一見、巧妙に偽装されているが、それは紛れもなく横領が行われていることを示唆していた。橋や砦の修復に穀倉地帯ならではの治水事業等々、大規模な工事に関わる請求金額が巧みに操作されているのがわかる。彼等だからこそ気付く高度な偽装である。

「手をこまねいていたわけではないのじゃ。幾人も人をやったが、妾の手のものはことごとく寝返るか行方が分からなくなっておる」

「……これを見せたと言う事は、私に頼むと言いたいのですね?」

「……そうじゃ」

 珍しくグロリアの表情が固い。彼女としては苦渋の選択なのかもしれなかった。

「もっと早く頼んで下さい」

 エドワルドの答えにグロリアはしばらく呆然として彼を見ていた。それを気にすることも無く、彼は資料を見ながら打開策を思案する。

「但し、少し時間を下さい。とりあえず今年の分は理由をつけて保留にすればいいでしょう」

「良いのか?」

「頼んだのは叔母上ですよ」

 こともなげにエドワルドは返答する。

「……すまぬ」

「少しは成長していますから、頼ってください」

 エドワルドは残りのワインを飲み干すと、資料を片手に立ち上がる。昨日からの強行軍で疲れている上に、昼間は結局ゆっくりと休むこともできなかった。とりあえず今は休息をとり、頭をすっきりとさせてからの方がいい案も浮かぶだろう。

「エドワルド」

「何ですか?」

「ありがとう」

 グロリアの感謝の言葉に彼は少し照れて片手を上げると、居間を後にした。


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