29 飛竜レース4

 ハルベルトに挨拶を済ませたエドワルドは、すぐに部屋へ戻らずにグランシアードのむろに立ち寄った。前日は街へ降りる前に世話をしてやり、帰ってきた時にも様子を見に来ていたのだが、やはり相棒の様子は気になる。皇都に来てからは気難しい相棒が世話係をあまり寄せ付けず、ルークがその世話をしてくれていたのだが、今朝はそんな暇など無かったはずだからだ。

「団長、おはようございます」

 甘えてくるグランシアードの頭を撫でながらジーンが声をかけてきた。放っておいたらルークは自分の事よりもグランシアードの世話を優先しそうだったので、今朝は彼女が引き受けてくれたようだ。

「来てくれていたか。すまないな」

「いえ」

 既に済んでいたようで、彼女は後片付けを始めていた。エドワルドは彼女の邪魔にならないよう、まとわりつくグランシアードの頭を撫でながら欠伸をかみ殺す。

「リーガスは?」

「アスター卿とレースの警備にかり出されています。場所は違うみたいですけど。私もここが済んだら貴賓席の警護を頼まれています」

 今日は皇女であるアルメリアを筆頭に多くの貴婦人が集まる。厳つい男達ばかりで警護するよりも女性が加わった方が彼女達も安心だろうし、細やかな気遣いができる。加えて竜騎士の彼女ならば、一般の兵士よりも腕が立ち、正に適材適所と言ったところだろう。

「そうか。あいつの調子はどうだ?」

「いいみたいです。昨日は他団の方と手合せをして、いい肩慣らしができたと言ってました」

 ジーンは頬を染め、うっとりと恋人の姿を思い描く。……厳つい大男のリーガスには頬に傷跡があり、見た目は大層怖い。逆にジーンは童顔でなかなかの美人だった。そろそろ結婚するとささやかれている美女と野獣のカップルは他団にも知れ渡っていて、中でも逃げ腰のリーガス相手にジーンの方が積極的に迫って付き合い始めた逸話はあまりにも有名だった。

「そうか……」

 恋する乙女全開のジーンに圧倒され、エドワルドは返す言葉が見つからなかった。

「それでは、これで失礼します」

 ジーンは固まったままの上司に頭を下げると、身支度を整えるために与えられた宿舎に戻っていった。警護するのは貴賓席である。正装するのは当然だった。

 ジーンを見送り、グランシアードの頭をひとしきり撫でたエドワルドは、自分も一旦部屋に戻った。

 コリンシアと小竜は寝台の真ん中でまだ気持ちよさそうに眠っている。その傍らで昨夜の女官がエドワルドを待っていた。

「ご苦労だった。下がってくれていい」

 女官にそう言って下がるように命じると、彼女はしぶしぶ頭を下げて部屋を退出していった。どうやら彼女は初日の初心な女官と違い、本当にしとねを共にしたかったのだろう。落胆の色がありありと見える。

 女官が出て行き、ようやくエドワルドはホッとして上着を脱いだ。上着をソファにかけ、寝台に上がるとコリンシアの隣に体を横たえる。中途半端な徹夜が2日も続き、頭痛がしてきた彼は娘が起きるまで少し仮眠をとることにした。




「父様、起きて」

 娘に体をゆすられてエドワルドは目を覚ました。寝たのは夜明け間もない時間だったが、今は日が随分と高くなっている。

「……おはよう、コリン」

「おはよう、父様」

 既に青いドレスに着替えて誰かに髪をリボンで束ねてもらった娘が顔を覗き込んでいる。その肩にはすっかり仲良しになった小竜が止まっていた。

「そろそろお支度してくださいって、お姉ちゃんが言ってたよ」

「…アルメリアが来たのか?」

 熟睡していたエドワルドは寝過ごしてしまっていたらしい。あわてて起き上がると、目覚ましも兼ねて浴室に足を向ける。

「うん。コリンが起きた時にもね、父様を起こしたけど、全然起きなかったの。それでね、おじちゃんに頼んでお姉ちゃんの所に連れて行ってもらったの」

 エドワルドが頭からぬるめの湯をかぶっていると、小竜がパタパタ飛んできて湯船に飛び込んできて気持ちよさそうに泳いでいる。

「それでね、お姉ちゃんの所でご飯食べさせてもらったの」

「そうか」

 コリンシアが一生懸命扉の外で話しかけてくるが、適当に相槌をうちながらおじちゃんとは誰だろうと考える。そこで兄が皇都滞在中につけてくれた、身の回りの世話をしてくれる若い侍官を思い出す。確かルークと変わらない歳だったはずだが、彼におじちゃんは何だか気の毒になってくる。

 ざっと汗を流し、伸びていたひげをそる。最後にもう一度頭から湯をかぶり、水気をきると乾いた布で体をふきながら浴室を出た。そこへ寝室の戸を叩く音がする。

「どうぞ」

 例の侍官だと思い、素肌にシャツを羽織った状態で返事をする。髪をふきながら振り向くと、顔を真っ赤にしたアルメリアが立っていた。

「キャッ」

「アルメリア?」

 彼女はあわてて居間に駆け戻り、寝室の扉を閉めた。下履きは身に付けているものの、肌蹴たシャツからは鍛え上げられた肉体が覗いている。初心な彼女にはたとえ身内でも成人男性の体は直視できないほど艶めかしかったに違いない。部屋に入ってきたのがアルメリアだったことに驚いたものの、エドワルドはいたって冷静だった。

「すぐに支度する」

「は……はい」

 髪を乾かして整え、侍官が整えてくれていた竜騎士正装に袖を通す。上着に付けられている記章を全て確認し、まだ身に付けるには暑い長衣と愛用の長剣を手に立ち上がる。

 傍らではコリンシアが、ずぶ濡れで出てきた小竜の体を拭いて首にお揃いの青いリボンを結んでやっていた。小さな姫君は彼のお世話をして、気分はすっかりお姉さんだ。

「朝食の用意をさせましたが、お召し上がりになりますか?」

 居間に行くと、テーブルの上に簡単な朝食が用意されていた。アルメリアは先ほどの動揺からまだ立ち直れないらしく、顔を赤らめ、エドワルドの顔を直視できないでいる。

「ああ、ありがとう。もらおう」

 エドワルドは何事もなかったかのように、席に着いて食事を始める。

 裏ごしした豆の冷たいスープに蜂蜜を塗った薄焼きパン、香草入りの焼いた腸詰に生野菜が添えられている。そしてデザートに付けられた甘瓜を横から小竜がつまみ食いしている。

「お前、それがすっかり好物になったな」

 叱られたと思ったらしく、小竜はシュンとして大人しくなる。エドワルドが苦笑しながら甘瓜を差し出すと、彼は大喜びでそれにかぶりつく。

「リボンが汚れるー」

 コリンシアが注意するものの、小竜は好物に夢中でリボンの事など気にもしていない。そんな和やかな光景にアルメリアも顔がほころび、先程の動揺もすっかりおさまったようだ。

「お爺様もお出ましになられます。今、お支度をなさっていると知らせがありまし

た」

「父上が?」

 手早く食事を済ませ、最後にアルメリアが淹れたお茶で喉を潤す。花嫁修行の成果が存分に発揮されたお茶はエドワルドを唸らせ、それを伝えると彼女は嬉しそうに頬を染めた。

 既に身支度を整えている彼女はラベンダーを思わせるドレスを身にまとっていて、幸せそうな彼女はまるで花のようだった。

 食事を終えたエドワルドは、脱いでいた上着を着ると、上から長衣を羽織る。背中に刺しゅうされているのは飛竜が抱えた盾に星が3個描かれた文様。第3騎士団を示す紋章だった。そして長剣を腰にき、鏡の前で身だしなみを確認する。

「では、行こうか」

 子供たちも連れて部屋を出ると、ちょうど国主アロンの乗った輿が通りかかる。まだ長い時間歩けない彼は、めったに部屋から出ないのだが、必要なときには城の中でもこうして移動していた。エドワルドは父親に朝の挨拶を済ませると、それに付き従いながら本宮2階のテラスに向かう。

 本宮前広場では、レースに参加した竜騎士が戻るまでの余興として大道芸人による曲芸が行われていた。それに気づいたコリンシアが目を輝かせてテラスに駆け寄るが、父親に抱き上げられる。すると、彼に気づいた市民から大きな歓声が沸き起こる。前日の一件で、彼の人気は更に上がったようだ。彼が片手を上げて応えると、コリンシアもそれを真似、見物人から笑いが起こる。

 続けてアルメリアが姿を現し、美しい姿に感嘆の声があがる。ハルベルトに手招きされて彼女はその隣に座る。

 最後にアロンが輿に乗って登場し、大きなどよめきが沸き起こる。輿が降ろされ、アロンが席に移動しようとすると、ハルベルトとエドワルドがその体を支える。兄弟で父に手を貸す姿に大きな拍手が沸き起こった。


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