第24話「重ねた罪の代償」

 噴き出した冷気によって空気中の水分が氷結し、視界が真っ白に染まる。


 強烈な冷気が身体を包み込み、全身に焼けた様な強烈な痛みが走る。


 しまった! そう思った時にはすべてが遅く、白く靄がかかった視界の向こうから白い何かが繰り出され、強烈な殴打が身体を襲う。


 気が付くとアーネストの身体は宙に舞っていた。


 油断があったわけでは無い。戦うと分かった時からずっと、頭の中でどうするべきか考え続けていた。けれど、結局対応しきれず避ける事ができなかった。


 エルバートの本気は、アーネストの想像を大きく超えていたのだ。


 浮遊感に包まれ、視界に青空が流れていく。


 死ぬつもりはない。その言葉は本心だった。けれど、結果としてその言葉は果たせそうになかった。


 もっと、良い立ち回り方があったのではないか? もっと確実で、良い戦い方があったのではないか? そんな後悔と悔しさが浮かぶ。


 背後から強い衝撃が襲う。身体が地面に落下したのだ。その衝撃で、冷気で脆くなった鎧がバラバラに砕け散る。落下による衝撃でアーネストは悶える。


(動かなければ)


 あらかじめ掛けてもらっていた『冷気保護レジスト・フロスト』の魔法のおかげで、冷気のブレスによるダメージはそれほど大きくはない。まだ動くことは出来る。ただ、それは相手も分かっている事だろう。動かなければ、止めを支える。


 身体を速やかに動かそうとする。けれど、痛みで鈍った身体は上手く言う事を効いてはくれなかった。


 目の前に白い影――フェリーシアの姿が映る。口を大きく開き、アーネストに向かって突撃をかけて来ていた。その姿は、記憶にある白竜シンシアの姿とよく似ていた。


 破損した兜がアーネストの頭部から崩れ落ちる。バイザーで覆われていた視界が開け、目の前の光景がはっきりと見えてくる。


 フェリーシアに騎乗したエルバートの姿が映る。こちらに竜銃を向け、引き金に指をかけていた。戦いに本気になったエルバートの姿。その姿をアーネストは始めて見た気がした。


 距離にして20ftフィートも離れていない。もう、避ける事は出来ない距離だ。



『嘘は許さない。もし、死なないってのが嘘だったら、私は、私に嘘を付いたお前を一生恨み続ける。数百年、数千年恨み続ける。それだけは覚えておけ』


 アルミメイアの言葉が思い出される。その願いに、答える事は出来そうに無い。その事に、大きく罪悪感を覚える。


「……俺は……ごめんなさい……」



   *   *   *



 誰も居なくなった砦の一室でフィーヤは椅子に座ったまま、じっと結果だけを待っていた。


 戦場から少し離れ、壁に隔たれたこの場には、戦場からの音が殆ど届くことは無く、嘘のように静かだった。


 外からの音が少なく、変化の少ないこの場所。ここでは流れていく時間がとても長く感じられた。


「姫様。まだここに居られたのですか」


 じっと、ただじっと終わりを待っていると、いつの間にか戻ってきていたレリアが、そう声をかけてきた。


「外の様子は、どうなっていますか?」


「予定通り進んでいます。先ほどアーネストが竜騎士達との戦闘を開始しました。今のところ、問題はありません」


「そう、ありがとう」


 レリアの返答に、フィーヤは小さく息を付く。


「まだ、不安ですか?」


「そう……かもしれませんね」


「大丈夫ですよ。彼は強い。その事は、あなたも知っているではないですか。たとえ王国の竜騎士が相手だったとしても、そう簡単に死ぬなんてことはありませんよ」


 レリアはゆっくりとフィーヤの傍に歩み寄り、そう優しく言葉を口にする。


 けれど、フィーヤが抱えた不安と後悔は、その事まで拭えるものではなかった。


「ありがとう、レリア。そうですね。彼ならきっと、やってくれますよね」


 フィーヤは優しく取り繕ったような笑みを返す。しかし、それは直ぐにレリアに見抜かれてしまう。


「まだ何か、あるのですか?」


 問われ、フィーヤは言葉を詰まらせると共に、後ろめたさからレリアから視線を逸らしてしまう。


「何が、あるのですか?」


 レリアが再度尋ねて来る。フィーヤはそれに、口を紡ぎ直ぐには答えを返さなかった。


 答えを求め、そして、戸惑ったようなレリアの視線を感じる。それが、どこか自分を責めているかの様に思え。フィーヤは居た堪れない思いに駆られる。


 しばらくして、フィーヤは諦めたように息を吐く。


「レリア。あなたは、今目の前にしている相手の事をご存知ですか?」


「エルバート・ミラード。20年ほど前にあった戦争の英雄ですよね? それでしたら、私も知っています。ただ、私の場合は、英雄ではなく、無慈悲な殺戮者としての名で、聞いていますが……それが、何か?」


「では、彼が戦後どのような道を歩んだかは、知っていますか?」


「……すみません。さすがにそこまでは、知りません」


「でしょうね。彼は、王国内でも彼に関する事柄の多くが、秘匿されていますから……」


「英雄なのに、ですか?」


「英雄だから、ですかね」


「どういう事ですか?」


「彼が英雄である事を、多くの貴族が快く思っていないのですよ。だから、彼に関する多くの事柄を秘匿し、彼の素性を隠しているのです」


「そうだったのですか……それが、今と何のかかわりがあるのですか?」


 唐突に切り出された話の意図が理解できなかったのか、訝しげな表情を浮かべレリアが尋ね返してくる。


「彼は、竜騎士ではありますが、貴族ではない農奴の生まれだったのです」


「竜騎士は、貴族しか成れないはずでは?」


「基本的にはそうなっています。けれど、例外的な事例として――いえ、これが本来あるべき竜騎士の姿なのかもしれませんね――彼は、騎竜である飛竜に認められ、選ばれれば騎士として竜騎士に成ったのです。そして、英雄へ呼ばれるだけの成果を得た。

 だから、元農奴であった彼の存在を、貴族達は秘匿したがるのです。

 貴族は、他の国民たちとは違う特別な存在でなければならない。故に、農奴から英雄になり、貴族達を同じ立場に立たれる事を、嫌ったのです」


 言葉にした貴族達の考えに嫌気を覚え、フィーヤは少しだけ語気を荒げる。


「戦後、そのせいでエルバートは多くの貴族の間で問題視されました。竜騎士として、貴族として扱う事への抵抗。英雄として称える事への抵抗。いろいろあったそうです。

 最終的にはある貴族の元に婿養子としてはいる事で、この事は決着が尽きました。未だに幾人かの貴族は、それを不満に思っているみたいですけれどね。

 そして、エルバートが婿入りした相手の名が、


「オーウェル……?」


 ようやく話していた話の意味を理解したのか、レリアは驚きの声を上げる。


「はい。エルバート・ミラードは旧姓で、今の彼の名は、


「姫様は……それを知っていらしたのですか?」


「いま、この事を話しているのは、誰だと思っているのですか?」


「それは……」


「そうです。私は、肉親同士が戦う事を許可したのです。それがどれ程罪深い事か、私は理解しています。

 けれど、それに以外にどのような選択肢を取る事が正しくて、どの選択肢なら今この時を脱する事が出来るか、分からなかったのです。だから、私は可能性のある、この罪深い選択肢を選んだのです」


 ざんげにも似た言葉を紡ぎ、すべてを打ち明ける。


 戸惑いか、軽蔑か、レリアはその言葉に答えを詰まらせる。そして、しばらくして微かな怒りの籠ったレリアの声が響いた。


「姫様が悪いわけではありません。たとえどのような状況でも、可能性がある選択肢なら、私達はそれに従います。たとえそれが、肉親であったとしても戦う覚悟は、持っているつもりです。

 可能性を切り開くための道を選択し、主君の為に、その力を尽くす。姫様、それにアーネストは、それの役目を、ただ忠実に実行したにすぎません……」


 拳を強く握りしめ、レリアは怒りを強く抑え込むようにして告げる。


 理解こそしても、完全な納得までは出来ていない様だった。



 小さく扉の軋む音が響いた。


 誰かが入室してきたのだろう。目を向けると、目を見開き驚いた表情を浮かべたアルミメイアが立っていた。


「あいつは……自分の父親と……戦っているのか?」


 半ば呆然としながらアルミメイアが尋ねて来る。


「聞いて、いたのですね」


「なんでだ? なんでそんなことに成ってるんだ?」


「それは……」


 尋ねられ、言葉に詰まる。そうするしかなかったと、それしか選択肢しが浮かばなかったと、素直に口にすることに、躊躇ってしまった。


 大きな衝撃音が響く。アルミメイアが力任せに扉を閉じたのだ。


 金属で補強された木製の扉が、バラバラに砕け散っていた。その向こうに、アルミメイアの姿はなくなんていた。



   *   *   *



 急ぎ足で階段を駆け上っていく。


(なぜだ? なんでだ?)


 そう疑問と、怒りが沸いてくる。


 アーネストが、前にアルミメイアと交わした約束の為に動いている事は良く判った。そのために、出来る限りの事をしてくれていることが嬉しかった。


 けれど、自らの肉親に剣を向けてまで、その事を成せとは言っていないし、その事を隠していて相談すらしてこなかったアーネストに強い怒りを覚える。


 階段をすぐさま登り切り、見張り塔の上に出る。


 今ならまだ間に合う。そう思って戦場へと目を向ける。


 遠くの戦場にアーネストの姿が見える。膝を付き、身を守る為の鎧は既にボロボロに砕け散っていた。もう、動く事すらままならない。そう思える姿だった。


 アーネストに迫る、一騎の竜騎士の姿が映った。騎竜が牙を向け、竜騎士は竜銃を向けていた。


「やめ――」


 マズルフラッシュ。竜騎士の竜銃の引き金が引かれ、撃鉄が下ろされると共に、閃光が走った。



   *   *   *



 これは罰なのだろうか?


 多くの人を殺し、多くの人の幸せを奪ってきた俺への罰なのだろうか?


 命乞いをする者さえ、年若い者さえ殺してきた。そうすることが役目だったから、そうしてきた。


 けれど、罪は罪だ。それは変わらず、消える事は無い。


 血塗られた腕で、掴んだ幸せが、幸せとしてあっていいのだろうか? ずっとそう思っていた。その答えが、ようやく出た様な気がした。



 銃口の目の前に、見知った顔が映る。もう二年も顔を合わせていなかった息子の顔だ。


 ほんの小さく、懐かしさと、嬉しさが沸いてくる。けれど、それはすぐさま消えていく。



 これは罰なのだろうか?



 なぜ、目の前に、あいつの姿が映るのだろう? 自虐する自分の意志が見せた幻想だろうか? そんな、逃避にも似た想像が浮かぶ。けれど、それは直ぐに否定される。


 黒騎士との戦闘。その最初から有った微かな違和感。その微かな違和感が、一気に組み合わさっていく。すべてが、目の前の現実を肯定していたい。



(やめ――)



 意識が、行動を否定する。


 しかし、戦士として積み重ねてきた時間が、人殺して積み重ねてきた経験が、己の意識から行動きり離し、動いていく。もう止まらない。もう、止められない。


 引き金に掛けた指が、勝手に動いていく。止まらない。止められない。


 引き金が引かれ、撃鉄が下ろされる。


 マズルフラッシュ。閃光が視界を引き裂いていく。


 ほんの僅かに心の片隅に描いた、ただ小さな幸せ。家族が揃い、簡単なお祝いをする。自分が居て、妻が居て、息子が二人に長男の嫁さん、そしてその長男の嫁さんは新たに生まれた孫の身体を抱きかかえ、皆が笑っている。そんな、何処の家庭にもあるような小さな幸せ。自分にとっての大切な幸せ、それが自分の引いた引き金の、自分が手にした銃からの放たれた閃光によって、バラバラに引き裂かれて行く様に見えた。



「ああああああああ――」





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