第22話「音のない殺し屋」

「なんでこうなった……」


 自分の置かれた状況を思い直し、アルミメイアは小さくため息を付いた。


 灯りが消され、暗くなったフィーヤの寝室。その部屋のベッドの上で、アルミメイアはフィーヤに後ろから抱き締められるようにして、横たわっていた。


 入浴を済ませた後、髪の毛の手入れをしない事に対しフィーヤに窘められ、フィーヤの寝室に連れ込まれた後、フィーヤに手によって髪の手入れをさせられた。


 フィーヤの膝の上に乗せられ、櫛で髪を梳かれ、乾いた布で水気を取る。その作業の途中、フィーヤはアルミメイアを抱えたまま、眠りに落ちてしまったのだ。


 確りと両手でアルミメイアの身体を抑えて眠るフィーヤ。強引に振りほどけば、抜けだす事も出来なくはないが、それではおそらくフィーヤを起こしてしまうだろう。


 一度、眠るフィーヤの姿を見てみる。気持ちよさそうな寝顔を浮かべ、眠っている。その姿を見てしまうと、起こしてしまうのが少し申し訳なく思えてしまう。


 一度ため息を付き、アルミメイアは諦めてこのまま眠る事にする。


って 今まではあれこれ理由を付け、眠ろうとせず、そのまま良く判らない質問や、話を聞かされるのに、今日に限ってはすんなりと眠しまった。その事に小さな怒りを浮かべるものの、普段見せないような無防備さを見てしまうと、その怒りもどこかへと消えてしまう。


 身体の力を抜き、ベッドに身体を鎮める。


 さすが王族と呼ばれる身分の者が使うだけあって、とてもふかふかで作りの良さそうなベッドだった。柔らかい布団に包まれ、目を閉じると、ここ数日で溜まった疲労が思い出さされ、一気に眠りえと落ちていく。


 一気に眠りえと沈み、意識が途切れる――。



 微かな、ほんのわずかな感覚の変化。それが、完全に沈む意識を、眠りから引き上げる。


 窓と扉が締め切られ、穏やかな室内の空気。それが、何処からか流れ込んできた流れを感じ、空気がアルミメイアの肌を撫でる。その微かな変化を、アルミメイアの敏感な感覚が捉える。


 小さな違和感を覚える。動く物の無い締め切られた部屋の中で、はっきりと分かるほどの空気の流れ。扉か、窓が開かれたのだろうか? けれど、その音は一切聞こえない。


 微かな異臭を感じる。フィーヤの寝室では感じた事のない、汗の臭いと、血の臭い、それから薬物の臭い。


 明らかに危険と分かる異臭に、アルミメイアの感覚はさらに研ぎ澄まされていく。


 微かに揺れる魔力の流れを感じる。魔法が発動している時に見られる乱れだ。


 軽く歯を打ち鳴らし、小さな音を発する。その小さな音は部屋全体に広がり、壁や家具に反射して戻ってくる。それで、大よその部屋の状況を察する事ができる。その全方へ向けて発せられた音は、しかし、一部の角度からは返ってくることは無かった。


 まるで、部屋の一部をぽっかりと切り取られたかのように、音は消え、反応が返ってこない。


 『消音サイレンス』の魔法。感じた感覚から、その結論に達する。


 音を殺し、気付かれないようにして入り込む何か、それは明らかな悪意が見て取れた。


 薄っすらと目を開け、部屋の中を見る。部屋の中に、人影が見えた。何か言葉を交わしているような動きをしている。けれどやはり声は聞き取れない。


 人影の一つがゆっくりとこちらへと近付いてくる。


 傍まで近付き、そして懐からナイフを取り出したかと思うと、握りしめ、振り上げた。


 窓から差し込む月明かりを反射し、ナイフの刃が輝く。そして、その輝きは綺麗な軌跡を描き、アルミメイアの隣で眠るフィーヤへと振り下される。


 アルミメイアはそれに、思わず手を伸ばした。



   *   *   *



 アーネストは、自身にあてがわれた小さな個室に入ると、服を脱ぎ捨てベッドに倒れ込んだ。古い石造りの冷たい室内。レリアと分かれ、一人だけになると、あれこれ考え始めてしまう。


 現状の事、これからの事。見えなかったものが見えて来て、同時に先が見えなくなっていく。


 自分に何が出来て、何をするべきなのか。何度もしてきた問いを、改めて問い直す。


 相変わらず答えは出ない。


 ベッドに身体を沈め、大きく息を吐く。疲れを感じる。不意に始まった思考を断ち切り、今は身体を休めるのだと言い聞かせる。


 目を閉じ、眠りへと向かう。


 ちょうど、その時だった。音が響いた。


 とても小さな音で、静かな室内でなければ聞き取れなかったかもしれない音。その音が、床を伝い、アーネストの耳に届いた。


 すぐ近くの、ちょうど今仕えている主の部屋の方から、何かが崩れるような音が響いた。


 二、三度そんな音が響いた後、直ぐに静かになる。その音の正体が何かは判らない。けれど、寝静まったこの時間に聞くには、どこか不自然な音。


 ふと沸いた不安から、アーネストはベッドから起き上がり、ベッドの傍に立てかけていた剣を手に取る。そして、急いで部屋から出て、フィーヤの寝室へと向向かった。



 フィーヤの寝室の扉の前まで来ると、アーネストと同じように、響いた音を聞きつけたのか、レリアも扉の前まで来ていた。


「何が有った?」


 軽く、状況確認のために尋ねる。


「まだ分かりません」


 一度、アーネストの言葉に、視線を返しながらレリアは答えると、直ぐに向き直り、扉をノックする。


「姫様。何かありましたか?」


 起こさないように慎重に、それでいて声が届く様に強めの声で、レリアが尋ねる。


 部屋の中から、ゴトゴトと物音が響き、少ししてから「大丈夫です。入ってください」とフィーヤの返事が返ってくる。


「失礼します」


 レリアは断りと入れ、扉を開くと室内へと踏み込む。


 フィーヤの寝室の中は、すでに明かりが灯されており、崩れた本の山が、床に広がっていた。そして、その散らかった床の上に、痙攣させたかのように小さく身体を震わせた男が二人、倒れていた。


 闇に紛れるような黒い衣装に、戦闘用と思われる皮鎧を装備した姿。明らかに、まともな客人と呼べるような出で立ちではなかった。


 床に倒れる男の姿を見て、アーネストとレリアは眉を顰め、フィーヤの方へと目を向ける。


 フィーヤは何処か怯えるような表情で、布団をかき寄せた格好をしていた。アルミメイアもフィーヤの傍におり、フィーヤとは対照的に険しい表情で、片手をかざし、床に倒れる男を睨みつけていた。


「何が、ありました?」


 上手く状況を読み込めないレリアが改めて問い直す。


「さぁな。襲撃者ってやつだろ」


 レリアの問いにアルミメイアが答える。


 『襲撃者』その言葉を聞いて、レリアはより一層表情を顰めると、床に倒れる男の姿を睨みつけると共に、腰に差した剣に手をかける。


「もう無力化してある。けど……これは、完全に殺す気だったみたいだな」


 フィーヤのベッドから飛び降り、床に倒れる男の傍にアルミメイアが近付く。そして、男が手にしていたナイフを手に取り、そう答える。


「もう……大丈夫なのですか?」


 ベッドの上で怯えた様なままのフィーヤが尋ねる。


「放って置くと、また動けるようになるけど……今は大丈夫だろうな」


「そう……ですか。助かりました」


 アルミメイアの答えに、フィーヤはほっと息を付き、崩れる様にベッドの上に倒れる。アルミメイアが言う様に、男が思う様に動けない事を見て取るとレリアは剣から手を離し、警戒を緩める。


 そして、一度部屋を見渡し、開いている窓を見つけると、外を覗く。


「ここは、あとは私に任せてくれ。お前は、そこに転がっている男達を拘束するために人を呼んできてくれ」


 一通り確認を終えると、アーネストの方に向き直り、指示を飛ばす。


 アーネストはそれに頷いて返事を返すと、人を呼びに行くため、その場を後にして行った。

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