第22話「抗う者」

 暗い山道を微かな月明かりと、おぼろげな記憶を頼りにアーネストは走る。


 少しずつ、報告に有った飛竜達の群れや、近隣の村々から離れていく。その事が、自分が今の状況から逃げている様に思え立ち止まりそうになる。


 向かう先に望むものがあるとは限らない。そんな不安がさらにアーネストの足を止めさせようとする。それでも、アーネスト止まることなく走り続ける。


 静かな岩場の影に隠れるようにしてある。そこへようやくたどり着くと、すぐさま飛び込み、走る。月明かりさえなくなり、ほとんど何も見えなくなる。それでも足は止めない。


 松明だけでも持ってくればよかったと、少しだけ後悔する。


 閉ざされた視界の中、何度か壁に身体をぶつけながら突き進む。そして、息が完全に切れそうになった頃、ようやく目的の場所へとたどり着いた。


 その場所は、地下の固い岩でできた地層を綺麗に切り取って作られたような大きな部屋。壁には緻密な彫刻が施され、部屋全体が一つの彫刻作品を思わせるような部屋。


 彫刻されているものの意味を詳しくは読み取る事は出来ない。けれど、それはここに住まうものを称えるものである事は何となく分かる。


 先日来たときは気付かなかったが、部屋の彼方此方に様々な色の、魔法による燐光で部屋全体が薄っすらと照らされていた。


 アーネストは一度息を飲む。ここへ来たのは、この部屋を眺めに来たわけでは無い。ここに居るものを求めてきたのだ。


 「頼む。居てくれ」と願いながら、真直ぐと部屋の最奥へと目を向ける。その場所には――



「俺の前から消えろと言ったはずだぞ、人間」



 静かな怒りを孕ませた声が部屋全体に響いた。岩肌と見まがうような、ごつごつとした灰色の鱗を持つ竜が、ゆっくりと身体を起こし、怒りに燃える黄金色の瞳をアーネストに向けてきた。


 ぞっとするような恐怖がアーネストの身体を走る。けれど、今はそれ以上の喜びが込み上げて来て、笑みをこぼす。


「やっぱり、ここに居たんだな」


 喜びと安どの籠った声を、アーネストは漏らす。それに竜は眉を顰める。


「死にに来たのか? 死にたいのなら、貴様の剣で自害しろ。俺の手を煩わせるな」


 お前と話す事は無いと言う様に竜は吐き捨てる。


「違う。お前に……あなたに頼みがあってきた」


「断る。貴様と話す事も無ければ、貴様の願いを聞くこともない。今すぐ消えろ!」


 どうあっても話す事は無い。そう言うかのように竜は吐き捨てる。それでも構わずアーネストは口を開いた。


「今、飛竜達が人を襲い始めた。あなたが、この地の守護者と呼ばれるほどの竜なら、彼らを止める事ができますか?」


「聞こえなかったか? 今すぐ消えろ!!」


 ドスンと脅すように、後ろ脚を地面に叩き付け、竜は一歩前に踏み出す。その気になれば、お前程度簡単に踏みつぶせると告げる様だった。アーネストはそれに怯むことなく、言葉を続ける。


「もし、止められるのなら、彼らを止めてほしい。頼む」


 アーネストは竜に向かって頭を下げる。


 それを見て竜はクスクスと笑う。


「理解が足りない様だな、人間。

 これは貴様ら人間が招いた結果だ。貴様ら人間、一つ一つの行動が積み重なった怒りの結果だ。それを、人間の願いで止めろだと!? ふざけるな!」


 竜は吠える。


「あなたなら出来ると思って――」


「ふざけるな! 人に怒りを抱いているのは俺も同じだ! そんな願い聞き入れるわけないだろ!」


「だから頼んでいる」


 脅すように吠え、鋭利な牙を見せつける竜に、アーネストは怯むことなく見返し答える。


 アーネストの答えに竜は大きな笑い声をあげる。


「貴様の願いを聞き入れて何になる。全員、人間の都合の良い奴隷に成れと言うのか!? 俺は奴隷商ではないぞ!!」


 竜は大きく尻尾を振り、尻尾の先端、固い外骨格に覆われた様な部分が地面を叩く。大きな衝撃が広がり、綺麗な歪みのなかった床に亀裂が走る。


「このままだと、飛竜達が皆死ぬことに成るんだぞ!」


「だからどうした? 貴様の言葉に乗り、人の下で生きるくらいなら、死んだ方がましじゃないか!

 多くの人間を道ずれに出来るんだ! これ以上の何がある!!」


 大きく笑う様な声で竜は答える。


「本気で……言っているのか?」


 笑う様な声を上げる竜の姿を見て、アーネストにはそれが少しだけ強がっているように見え、憐みの気持ちが沸く。


「本気以外の何が有る? これ以上の選択などありはしないのだからな!」


 竜は大きく叫ぶ。


「なら、なんでお前はここに居る?」


 アーネストは小さく尋ねる。部屋全体に響く竜の声で、容易に掻き消えてしまう様な小さな一言。けれど、その言葉で、竜の言葉は途切れた。


「お前だって、伝説に歌われる様な竜なんだろ。飛竜なんかとは違う、圧倒的な力を持っているんだろ。なら、その力を飛竜達に貸せば、もっと多くに人間を道ずれに出来る。もしかしたら、この国そのものだって滅ぼせたかもしれない。そうでなくても、傾かせるだけの事ができたかもしれない。

 なのに、お前は飛竜達に力を貸さず、ここに居る。なんでだ?」


「何が言いたい?」


「お前は、この選択が最良の選択だとは思ってないんじゃないか? この選択の先に良い結果が無いと思ってるんじゃないのか? だから、飛竜達を先導するわけにはいかず、力を貸さないんじゃないのか?」


「俺は人間が嫌いだ。人間と関わるのが嫌だからここに居るだけだ!」


「飛竜達の命より、自分の好き嫌いを優先するのか? お前にとって、飛竜達の命はそんなに軽いものなのか?」


「そうだ! 他者の命など知ったことか! 守護者が何だ!? 俺は、俺の生きたいように生きる! ただそれだけだ!」


 竜は大きく咆哮を上げる。アーネストはそれに小さく笑う。


「もう。強がるのは辞めろ。

 お前の力なら、今、ここに立つ俺を消す事は容易なはずだ。それなのにしない。人間と関わりたくないと言いながら、人間である俺と言葉を交わす。

 お前は……お前だって、今を変えたくて、もがいているんじゃないのか?」


 不安そうで、泣きそうな表情のアルミメイアの姿が頭に浮かぶ。圧倒的な力を持つ竜でありならが、それでいて何もできず、無力さに打ちひしがれるアルミメイア。竜であり力を持とうと、悩み、間違え、もがき、何かに縋りたくなることもあるのだろう。目の前の竜も、現状を変えよと思いながら、変える術を見つけられず、もがいているのかもしれない。


『この村の殆どの者は、お主ら竜騎士達を敵視しておる。じゃが、同時に争いを望まぬ者も多くいる。わしもその一人と言う事じゃよ。』


『わしはお主たちに、わし等の現状を知ってもらいたかったのかもしれぬ。お主なら、何か今を変えられる様な気がしたのじゃ』


 先日会った老人の言葉が頭に浮かぶ。きっと、目の前の竜も、現状を変えたくて、何か変わるかもしれないと言う小さな望みから、無意識のうちにアーネストと言葉を交わす事を選んだのかもしれない。そんな風に思えた。


 風を切る音が響く。アーネストが立っていた場所に、竜の長い尻尾が降り遅され、地面を穿つ。アーネストはそれを横跳びで避け、躱す。


「いいだろう。お望み通り殺してやる」


 ドスの効いた声を響かせ、竜はアーネストを睨みつける。殺意がはっきりとした形で伝わるほどに鋭い瞳だ。


(すんなり聞き入れられるとは思わなかったけど……こうなったか……)


 アーネストは手にしていた剣を鞘から引き抜き、鞘を投げ捨て構える。


「力でねじ伏せるのは好きじゃないが……分からず屋を従わせるには、これしかないよな」


 息を吐き、剣を握る手に力を籠め、目の前の竜を見据える。


 それを見て竜は笑う。


「魔力の籠らないただの剣で、俺の鱗を貫けると思っているのか?」


(一目で、そんなことが分かるのか……)


「さてね。やってみなくちゃ判らないだろ?」


 アーネストは強がるように笑う。


 魔力の籠らない武器では竜族の鱗を傷つける事すら出来ない。それが常識だ。けれどそれは、竜族の鱗がそれほど固く、魔力が込められ硬度と切れ味がました剣ぐらいでなければ、竜族の鱗を傷つけられる可能性がないと言うだけで、魔力が込められていない武器を遮断する能力などを持つわけでは無い。


 力強い打ち込みが有れば、理論的には竜族の鱗で有ろうと傷つける事は可能で、力の籠らない攻撃ではたとえ魔力の籠った武器であっても、竜族の鱗は傷つけられない。試したことは無いが、魔力の籠らない武器でもアーネストの斬撃が竜族の鱗を突破できる可能性はある。


「愚かな! なら、死ね!」


 大きな叫び声をあげながら竜は口を大きく開け、突撃をかけてくる。鋭い牙と強靭な顎による一撃だろう。身体の形が殆ど同じであるだけあって、動きの殆どが飛竜と酷似している。けれど、飛竜より遥かに素早い。


 けれど、動きが同じなら、避け方も同じで、死角も同じになる。避けられない事は無い。


 アーネストは突撃をかけてくる竜に向かって駆け出す。アーネストと竜との距離が一気に縮まる。竜の牙がアーネストの達する直前、アーネストは踏み込むように、斜め右に飛び、竜の側面、死角に滑り込む、そして――


 鋭い一閃が空を切る。寸前のところでアーネストは後ろに飛び、繰り出された攻撃を避ける。それでも、攻撃を完全に避けきる事ができず。服が裂け、胸の辺りを浅く裂く。


 爪による攻撃だった。飛竜と竜大きく異なる部位の一つ、前足の爪による斬撃だ。


 竜族は非常に鋭い感覚器官を持ち、たとえ視界から敵が消えていても、聴覚、嗅覚でもって、敵の位置を把握できると言われる。そして、完全に死角を突き、通常飛竜が攻撃を加えられない位置であっても、爪による斬撃を加えてきたのだ。


 続けざまに、もう片方の前足による斬撃が襲い掛かる。寸前のところで、アーネストは再び後ろへ飛び、竜から大きく距離を取る。


 息を飲む。速度が違うだけ、そう思っていたが甘かった。飛竜より多くある攻撃部位。それによる連撃と攻撃範囲。それだけで、飛竜が持っていた死角が無くなり、隙がなくなる。


 一度剣から片手を離し、胸を触れてみる。ちくりと痛みが走る。


 軽く裂かれただけなのに、大きく無骨そうに見える爪であったにかかわらず、鋭利な刃物のような切れ味だった。


 潰されれば終わりどころか、爪でさえ容易にアーネストの身体裁断できそうだった。


 力の大きさを見せつけられ、少しだけ怖くなる。それでも怯むことなく、竜へと視線を向け、剣を構え直す。


「威勢のわりに逃げの一手か。どうした、俺を、その剣で切って見せるのだろ? やって見せろよ」


 竜があざ笑う様に告げる。


「あんたも、俺をさっさと踏みつぶして見せろよ。竜の力ってのは、こんなものなのか?」


 煽るような竜の言葉に、アーネストも煽るような言葉で返す。


「死ね!」


 竜はアーネストの言葉に触発されたのか、大きく踏み込み、前足を振り下す。それをアーネストは前に踏み込み相手の懐に潜り込むようにしながら、横跳びで躱す。竜はそれをはじめから判っていたかのようにもう片方の前足が横から振るわれる。アーネストはさらに踏み込み、竜の腹の下の辺りまで潜り込み躱す。けれど、それで竜の連撃が終わりではなかった。先端が固い外骨格に覆われ、鎌の様になった尻尾が、器用に竜の腹の下に潜り込ませアーネストに襲い掛かる。跳躍。縄を飛び越えるようにして、アーネストはその攻撃を躱す。そして、その勢いのまま剣を振り上げ、竜の腹を切り裂く。


「やああああ!」


 ガツンと大きな衝撃が剣を伝い、アーネストの腕と身体に響く。限界まで力を込めての一撃、両手で持った腕が悲鳴を上げる。巨大で強固な城壁に剣を振り下したような感触。


 剣を打ち込んだ反動でアーネストの身体が大きく後方に飛ぶ。


 空中で身体を制御し、足を先に付けどうにか着地する。


 顔を上げ、すぐさま竜の姿を見据える。


 竜の腹に打ち込んだ一撃は――竜の鱗を傷つける事は叶わなかった。


「どうした? そんな攻撃じゃ、俺を傷つける事なんて出来ないぞ」


 呆れた様に竜は告げる。


「まだ一撃だ」


 強がるように告げ、剣を構え直す。その姿に竜は笑みを浮かべる。


「来いよ人間。今度こそ踏みつぶしてやる」


「まだ捉えられていないじゃないか、できもしない事で脅かすなよ」


 今度はアーネストが先に駆け出す。


 竜の動きはだいたい読めてきた。早くあり、強力な攻撃だが、大振りで、大雑把だ。避けられない事は無い。


 閉ざされた室内で、宙を飛び回る事は出来ない。空から一方的に攻撃を仕掛けられる事は無い。なら、戦いようはある。こちらの攻撃は当てられ、向こうの攻撃は当たらない。竜の鱗とはいえ完璧ではないはずだ。どこかに隙があるはずだ。ならそこを付けば勝機はある。


 竜の身体に比べアーネストの剣は酷く小さい。鱗の隙を突いても死に至らしめられるかは分からない。けれど、殺す事が目的じゃない、屈服させることが目的だ。時間をかけ、ゆっくりと分からせる。目の前の相手が無視できない存在である事を、そうすれば少しは話を聞いてくれるはずだ。


 体力勝負。どこまでも食らいついて見せる。


 大きく竜の懐へ飛び込むようにアーネストは駆ける。


 目標は守りが薄くなる関節部、そこに狙いを定める。



「人間。お前は強い。人間相手の戦いなら、お前は英雄と歌われたかもしれない。

 だが、相手は俺だ。人じゃない。

 己の無知と、無力さを後悔しろ」



 アーネストの動きに対し、ほとんど動く事が無かった竜が、ゆっくりとそう告げる。


(え……あ)


 その竜の言葉に合わせ、まるでアーネストの思考が加速したかのように、辺りの景色の動きが遅くなる。


(いや、違う)


 アーネストの身体の動きがどんどんと遅くなっていく。


 『減速スロー』の魔法。アーネストに身体に何が起こっているのか、理解したとき、すべてが手遅れだった。


 竜の間合いの中、減速したアーネストの動きでは、到底竜の攻撃を避けられない。竜はアーネストに向けて、前足を振り下した。



「終わりだ。人間」

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