第3話「追憶の景色」

 竜騎学舎の敷地内をアーネストは一人、のんびりと歩いていた。


 だいぶ日の高い時間に着いてしまったために、アーネストは暇を持て余していた。


 一応荷物の整理などがあったが、それも大した量はなく、自身に割り当てられた教員寮に行ってもすぐにやる事が無くなってしまいそうに思えた。そのためアーネストは、暇つぶしがてらにこうして、懐かしい竜騎学舎の敷地内を散策していた。


 まだ新学期が始まっていないからだろう、敷地内に学生の姿は見当たらず静かなものだった。


 見れば見るほど竜騎学舎の風景は、三年前と殆ど変わっておらず、まるで自分が三年前に戻ったかのように錯覚させられた。


 懐かしさからか、自然と足はある方向へと向かい、アーネストは竜騎学舎の裏手へと出た。



『クルルルゥ』



 飛竜が喉を鳴らす音が遠くから響いた。


 竜騎学舎の裏手の広々とした空間には、学舎に通う学生たちの為の飛竜を育てるための竜舎が併設されていた。


 飛竜を飼育する場所だけあって、その場所には多くの飛竜が飼育小屋や、放牧場で思い思いに過ごしていた。


 のびのびと過ごす飛竜達を眺めながら、アーネストはそっと目を細める。


 この場所はかつてのアーネストのお気に入りの場所だった。


 アーネストはゆっくりと放牧場を囲う柵の方へと歩み寄る。


 すると、一体の飛竜がアーネストに惹かれるように、放牧場の淵までやってきて、まるで餌でもねだるように、首を伸ばし『クルルルゥ』と喉を鳴らした。


 残念ながらアーネストは、飛竜用のエサなど持っていない。そのため、そっとなだめるように飛竜の頭を撫で紛らわさせる。撫でられた飛竜は気持ちよさそうに目を細め『クルルルゥ』と喉を鳴らす。



「あ、ちょっとそこの人!」



 しばらく飛竜の頭を撫でていると、遠くの方から慌てた様子で、声をかけられる。


 声をした方へ視線を向けると、飼育員らしき若い男性が慌てた様子でこちらへ走ってきた。


「飛竜に近付くのは危ないですよ」


 飼育員がアーネストの元までやってくるとそう忠告した。


「ああ、すいません。ちょっと撫でてほしそうにしていたので、つい」


 アーネストは再び飛竜の頭をなでると、嬉しそうに『クルルルゥ』と飛竜は返事を返した。


「あ、いえ。危険が無いのならいいです。ただ、飛竜は人を襲うこともあるので、気を付けてください。新入生の方ですか?」


 飼育員の男性はざっと、アーネストのいでたちを見た後、尋ねてきた。


「いや、今年から竜騎学舎で講師をすることになったものです」


「あ、そうでしたか。すみません、図々しいことを言ってしまって」


 アーネストの返事を聞くと、飼育員は少しだけ背筋を伸ばし、謝罪を口にした。


「構わないよ。俺は竜騎士じゃないからね。謝る必要はないよ」


 勘違いをされたらしい飼育員の態度に、アーネストは訂正を入れる。アーネストの返答に、飼育員は少し驚いた表情を浮かべる。それもそのはず、基本的に竜騎学舎の講師は現役の竜騎士か、引退した竜騎士がなる。そのため、竜騎士でないアーネストが竜騎学舎の講師になることは、異例と言えるものだった。


「それにしても、よく育てらえているみたいですね。みんな元気そうだ」


 竜舎で伸び伸びと暮らす飛竜を眺め、アーネストは感想を口にする。


「ここで働いているものは、みんな飛竜が好きですからね。彼らが安心して過ごせるようにするのが、俺たちの生きがいみたいなものですから、下手な仕事はできませんよ」


 飼育員は少し照れくさそうにしながら、笑顔で返した。


「おい、トーマス! 何やってる! 早くしろ!」


 遠くの方で怒りの声を上げる、別の飼育員の姿が見えた。


「あ、すみません! すぐ行きます!」


 トーマスと呼ばれた飼育員は、大声ですぐさまそれに返事を返し「すみません。俺、行きますね」とアーネストに謝罪を告げる。


「時間を取らせてしまって、悪いな」


「いえ、呼び止めたのはこちらですから。それでは」


 トーマスはそそくさと、先ほど怒鳴りつけた飼育員の方へと走っていった。


「ここも、変わらないんだな」


 走り去っていくトーマスを見送った後、相変わらず伸び伸びと過ごす飛竜達を眺めながら、アーネストはそう口にする。


 先ほどの飼育員は三年前には見ない顔だったが、竜舎に流れる空気や、そこで過ごす飛竜達の姿、飼育員から感じられる熱意なんかは、三年前のものと何一つ変わるものはなく、アーネストにとってのお気に入りの場所だった。それだけに、アーネストには居心地の悪い場所に思えた。



『グオオオォォン!』



 よく響く飛竜の咆哮が響き、アーネストの頭上を漆黒の鱗に覆われた飛竜が掠め飛び、綺麗な動きで、近くの飼育小屋の前へと着地した。


 着地した飛竜には人が騎乗する用の鞍と手綱、それから戦闘用のプレートメイルが装備されており、それは紛れもない騎竜の姿だった。


 戦闘用の重い完全装備で、あのように綺麗に着地して見せた騎竜とその騎士にアーネストは少しだけ興味が惹かれ、居心地の悪さを紛らわすように、飛竜が着地した場所へと早足で向かった。


 近づきながら飛竜を眺めると、先ほどまでは見えなかった姿がはっきりと認識できた。艶と光沢のある漆黒の鱗は若々しさを示し、他の飛竜に比べて無駄のない肉付きと確りとした佇まいは、凛々しさと力強さを感じさせた。


 相当の訓練が施された飛竜の様に思われた。


 そして、そんな飛竜に対し、飛竜から飛び降りてきた人物は、半ば正反対なものだった。スラッとした細身の体に、淡い栗毛の髪を結わえて流した少女の姿だった。


 少女は飛竜から華麗に飛び降り着地すると、小さく息を付いた。その姿は、外見こそ少女のそれだったが、醸し出す雰囲気は竜騎士のものだった。


「何か用ですか?」


 少女の佇まいに見とれていると、少女はアーネストに視線に気づいたのか、アーネストに訝しげな視線を返してきた。


 声をかけられアーネストは我へと帰る。


「綺麗な飛竜だなって、思ってね」


 少女に見とれていたことを隠すように、アーネストは漆黒の飛竜を見上げ、無意識に飛竜の足を優しく撫でながら答える。


 アーネストの対応に少女は少し驚いた表情を浮かべる。


「君は、学生さん?」


「一応、そうですけど。あなたは?」


 アーネストが尋ねると、不信感をむき出しにしたまま、ぶっきら棒な態度で少女は答えを返した。


「俺はアーネスト・オーウェル。今年からこの竜騎学舎で講師をすることになったものだ」


「そうですか」


 竜騎学舎の関係者であることを口にすると、少女の態度は少しだけ棘が取れ柔らかくなる。


「それにしても、女性で竜騎士だなんてすごいな」


 女性で、それも自分より若い少女でありながら、完全装備の飛竜を完璧に近い形で着地して見せた技量に、アーネストは素直な賞賛からそう零した。


 それを聞いた少女は、何か気に食わなかったのか、表情を厳しくした。


「行くよ。ヴィルーフ」


 怒気を孕ましたような静かな言葉で、漆黒の飛竜――ヴィルーフに指示を飛ばすと、まるでアーネストを無視するかのように少女は踵を返し、飼育小屋の中へと入っていき、ヴィルーフもそれに続いた。


 そして、飼育小屋の前にはアーネストだけが残された。


 初めて会った学生に、どういうわけか嫌われてしまったようだ。そのことが、これから学生たちと共に過ごす、竜騎学舎での講師生活を上手くやっていけるものかと、不安にさせられた。



 しばらく竜騎学舎の敷地内を散策し日が傾き始めたころ、アーネストは自分に割り当てられた教員寮の部屋へと帰ってきた。


 掃除の行き届いた部屋には、タンス、机と椅子にベッドと生活に必要最低限の家具が備え付けられており、部屋の片隅には事前に運び込ませておいたアーネストの私物が置かれていた。


 部屋に入ると一度息を付いてから、アーネストは荷解きがされていない私物に近付くと、ゆっくりと荷解きを開始した。


 着替え、本などの小物、武器、防具と私物が全部ちゃんと届いているかを確認しながら、荷解きを進めていく。


 ゴトリと、荷解きをしていると、私物の中から一本の金細工の意匠のこらした剣が、私物の山から滑り落ちた。それは竜騎士の叙任式の時、竜騎士の証として国王から授けられた剣だった。


 そして、剣が滑り落ちると同時に、剣の持ち手に括りつけられたペンダントが床に落下し、カツンと小さく音を立てた。ペンダントは、卵の殻の欠片の端に穴をあけ、そこに金細工のチェーンを通しただけの簡素なペンダントだった。


 卵の殻。飛竜の卵の殻だ。かつて、アーネストの騎竜だったシンシアの卵の殻。シンシアが生まれたときから、アーネストと共に過ごし、育ったことを示すためにと、ずっと持ち歩いていたペンダントだった。


 そっとアーネストはペンダントの卵の殻に触れる。


 自分もまだ幼く、その頃の記憶ははっきりと覚えていないが、固い殻を一生懸命割りながら、卵から這い出てきたシンシアの姿、今でもはっきりと思い出せるほど鮮明に覚えている。


 触れた卵の殻は、石の様に冷たかった。シンシアが生まれたばかりのころは、人肌の様な温かみがあったことを思い出せるのに、今は何もないことを示すかのように冷たかった。


 シンシアはもういない。そう告げているようだった。


「引きずるなら、いっそ全部捨ててしまえって、誰かが言ってたっけな」


 アーネストは自傷気味に呟いた。


「俺は、何をやっているんだろうな」


 アーネストは一度、卵の殻を握りしめると、剣を優しく持ち上げ、そっとタンスの奥に入れ、荷解きを終えた衣服と共に仕舞、閉じた。

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