第一章「白き竜と傷だらけの竜騎士」

第1話「あかいそら」

『グオオオォォ』


 低く重たい咆哮が辺りに響き渡る。


 茜色に染まり、夏を感じさせる大きな積乱雲が浮かぶ空に、真っ白な鱗に覆われた蜥蜴の様な細長い身体に、前足はなく代わりに一対の巨大な蝙蝠の様な翼を持つ影が悠々と翼をはためかせ飛んでいた。


 飛竜ワイヴァーン――いにしえより伝わる竜族の末裔。その姿だった。


 悠々と飛ぶ白い飛竜に続くように、赤茶色の鱗に覆われた飛竜が二体続く。


「いや~。それにしてもうまくいきましたね。隊長」


 空に舞う三体の飛竜の背中にはそれぞれ人が騎乗していた。そのうちの一人、赤茶色の飛竜に載る男が陽気な声で、そう口にした。


 男の声を、彼が着る衣服の襟の辺りに備え付けられた、アクセサリー状の魔導具が拾い、飛竜に騎乗する他の者たちの耳につけられた、これまたアクセサリー状の魔導具を通して伝えられる。


「浮かれるのは判るが、気を抜くな、ラザレス。まだ敵がいるかもしれないだろ」


 ラザレスと呼ばれた男に対して、白い飛竜に騎乗する男――アーネストが答える。


「そんなこと言っても隊長。戦闘はもう終了していますよ。それに、ここ大空の上です。敵なんていませんよ」


 アーネストの忠告にラザレスはあっけらかんとした態度で返す。


「それでもお前――」


「それより隊長。聞きたいことがあるんですけど~」


 まったく態度を変える様子を見せないラザレスに、アーネストはため息を零す。


「なんだ?」


「フィーヤ姫とはどういう関係なんですか~?」


「フィーヤ様と? なぜ彼女の名前が出るんだ?」


「出立前に話してたじゃないですか。騎士たちの間でちょっとした噂になってますよ。な、ダリオ」


 唐突に話を振られた、飛竜に騎乗する最後の一人ダリオは「俺に振るな」と嫌そうに答えを返す。


「しかし、まぁ、フィーヤ様は人気がありますから、気にならないと言えば嘘になるな」


「だ、そうですよ。隊長」


「お前たちな……彼女とは何もない。ただ挨拶をしただけだ」


「な~んだ。つまんないの」


「俺とフィーヤ様では身分に差がありすぎる。何かあるわけないだろ。それくらい分かれ」


「そんなこと言われましても、俺たち天下の竜騎士ですよ。出自の身分なんて関係ないですよ」


「確かにそうかもしれないが、俺たちはまだその竜騎士になったばかりで、武勲を上げてすらいないぞ」


「そんなのこれからですよ。これから」


「隊長。ラザレスを納得させるなら。『俺はシンシア一筋だ』と言えばいいんですよ」


「確かに。隊長はシンシア一筋でしたね。これは失礼」


 ラザレスがからかうような事を口にすると当時に、大きな声でからからと笑う。そんなラザレスの笑いに釣られてか、ダリオも小さくクスクスと笑う。


 自分を出汁に笑うラザレスとダリオにアーネストは軽く頭を抱える。


 余り他人に見せられないような、みっともない部下たちの態度に、竜騎士としてもっとふさわしい態度があるのではないかと口にしようとする。そして、今の自分たちは初陣を終えたばかりで、少し浮かれてもいいのではないかと思い、強く言うことをやめる。


『クオオオオォ』


 楽しそうに笑うラザレスとダリオに呼応してアーネストが騎乗する飛竜――騎竜であるシンシアが、少し高い鳴き声を上げる。


 とても心地よい気分だった。初陣でどうなるかと不安でいっぱいだったが、終わってみればあっけなく、不安から解放されて羽目を外したくなるほどの開放感があり、とても心地よかった。



『グオオオォォ!!』



 重々しく大きな咆哮が響いた。それと同時に、アーネストたちの頭上をかすめるように巨大な影が差す。


 何が起こったのか確認すべくアーネストは頭上をかすめたものの姿を目で追う。


 アーネストたちが騎乗する飛竜より一回り大きい、鈍く青白い鱗に覆われた飛竜とよく似た姿の影が、大きくい旋回しこちらへと舵を切る姿が目に入る。


「隊長。五時の方向、悪竜ドレイクです!」


 叫び声に似たダリオの報告を聞き、今度は後方、五時の方向へと目を向ける。そこには、先ほど目にした飛竜とよく似た姿の影――悪竜四体が散会するように広がっていくのが目に映った。


 悪竜達は上下左右それから正面を抑えるように、取り囲んでいく。


 飛竜達の旋回能力はそれほど高くはない。よって、即座に後方へ方向転換して逃げることは出来そうになかった。


(なぜ、もっと早く気付かなかった!)


 迎撃するしかない。アーネストはいら立ちと共にそう結論付ける。


(五体なら……まだどうにか)


 敵の平均的な能力と自分たちの大凡の能力から、勝算を考える。多少被害が出る可能性が高いが、勝てなくはない。


「迎撃する。各騎散会! 悪竜のブレスには注意しろよ!」


 ラザレスとダリオの二騎に指示を飛ばしながら、鐙を蹴り、手綱を握りしめ、腰のあたりに下げていた竜銃ドラグーンの持ち手を握る。


『グオオオオオォォォ!!』


 アーネストの指示を受け、シンシアが大きく威嚇するように咆哮を上げる。それに呼応してラザレスとダリオが騎乗する飛竜達も咆哮を上げ、三騎それぞれ大きく羽ばたき速度を上げ、散り散りになるように飛行する。


 アーネストはシンシアを正面の悪竜へと向けさせ、走らせる。


 前方の旋回で速度の落とした悪竜との距離が、縮まっていく。アーネストは攻撃態勢を取るために、竜銃を引き抜き、構える。


 正面の悪竜は器用に首をこちらに向け、対峙してくる。そして、攻撃を仕掛けようとするアーネストとシンシアの攻撃より早く、口を大きく開きブレス攻撃を発射する。同時に悪竜は、羽ばたき一つと共に急速に速度を上げ旋回を終える。


 悪竜の腹のあたりから口にかけて、鱗と鱗の間に青白い光が走り、それが口まで達すると同時に白い泡のようなものが吐き出される。それはアーネストとシンシアを捉え、弾丸の様にまっすぐ飛んでいく。アーネストは即座に手綱を引き、シンシアに即座に高度を上げるように指示を飛ばす。シンシアは、その命を聞き入れると大きく羽ばたき上空へと高度を上げる。少し遅れて、アーネストとシンシアがいた空間に先ほど悪竜が放った白い泡が弾け、辺りが真っ白に染め上げられると共に、急速に冷却され凝固した水蒸気がキラキラと輝く。


 どうにか悪竜のブレス攻撃を避けたが、まだ息を付くことは出来ない。アーネストとシンシアを正面に捉えた悪竜が、そのまま噛みつこうと突撃をかける。


 それに対し、アーネストは反撃をかける。手にした竜銃を構えなおし、悪竜へと向け、引き金を引く。撃鉄が下ろされ、火花が散る。その衝撃に連動して条件起動式の魔術が作動し、竜銃の銃口から赤い閃光が走り、正面の悪竜の体を貫く。


『グギャアアアァァ!』


 悪竜は悲鳴のような咆哮を上げる。しかし、それでアーネスト達の攻撃は終わりではない。悪竜が怯んだすきにシンシアが速度を上げ接敵し、悪竜の首筋に噛みつく。さらにそれに続くように、アーネストは打ち終えた竜銃を腰のホルスタに戻し、すぐさま鞍の側面に備え付けられていたランスを引き抜き、止めとばかりにシンシアが拘束する悪竜へと突き刺す。


『ガアアアァァ……』


 悪竜は断末魔の声を上げ、少しの間暴れた後、動かなくなる。噛みついていたシンシアが悪竜を離すと、そのまま何の抵抗も示す事はなく地上へと落ちていった。


(まずは一体)


 アーネストはほっと息を付き、労いとばかりに優しくシンシアの背中を撫でる。


(残りは?)


 状況の確認とばかりに、振り返りかえる。



「タイ、チョウ。ニゲ、テ」



 弱々しく掠れたラザレスの声が、耳飾りの魔導具を通して、アーネストの耳に届く。


『グオオオォォォ!!』


 続いて大きな叫び声の様な咆哮が響く。


 アーネストの視界に、二体の悪竜に噛みつかれ錐もみするラザレスの騎竜の姿が映った。そして、当のラザレスは打ち上げられたかのように宙を舞い―――――どこからか現れた悪竜によって噛み潰された。


『ラザレス!!』


 無意識のうちに、無残にも噛み潰されていく部下の名前を叫ぶ。


「なん……で」


 一、二……七体の悪竜が戦場を舞っていた。


(見落としていた? いや、隠れていたのか)


 辺りの空に浮かぶ積乱雲、悪竜達が体を隠すには十分すぎる大きさの雲が並んでいた。


「ダリオ」


 状況を立て直すべく、もう一人の部下を探す。


「た、隊長」


 向こうからの返事はすぐに帰ってきた。けれどその声は苦し紛れの声だった。即座に状況を確かめるべくアーネストは視線を走らせる。


 白い泡の悪竜のブレスが爆ぜ、それに煽られるようにしてよろめいて飛ぶ、ダリオの騎竜の姿を発見する。ダリオはまだしっかりと騎竜にまたがっていた。けれど、ダリオと彼の騎竜の周りには悪竜が舞い、嬲るようにブレスを浴びせていた。


「ダリオ。今助け――」


 ダリオを助けるべく手綱を引き、ダリオの方向へシンシアを向けようとする。しかし、それは間に合うことはなく、上空から急降下してきた悪竜が、怯んでいたダリオの騎竜に噛みつく。上空から勢いを乗せて、体をぶつけるように悪竜が噛みついたため、ダリオの騎竜は大きく高度を落とし、その衝撃で振り落とされるようにダリオの体が宙に舞う。そして、それを待っていたかのように、周りを舞っていた悪竜が口を大きく開けて、ダリオへと襲い掛かる。


 人の胴を軽々と覆う大きな顎が開かれ、ダリオの体に覆いかぶさるようにして、悪竜の顎がダリオの身体を噛み潰す。赤い鮮血を宙に弾ける。


「ダリオ!」


 手を伸ばし、もう返事を返すことのできない部下の名を叫ぶ。


『クルルル』


 シンシアの何かを伝えるような喉を鳴らす音と同時に、ガクンと体を揺らされる。シンシアが大きく羽ばたき高度を上げたのだ。そして、シンシアの元いた場所を、一体の悪竜が空を切るようにして掠め飛んでいく。


『グオオオォォ!!』


 目の前で起きた衝撃的な光景で、呆然自失に陥った主を呼び覚ますように咆哮を上げ、シンシアはひとりでに戦線を離脱するかのように、悪竜達の群れとは反対方向に旋回し飛ぶ。


 シンシアの咆哮でアーネストは己を取り戻し。手綱を握り直す。


「シンシア。すまない」


『クルルルゥ』


 アーネストがシンシアに謝罪を口にすると、シンシアは可愛らしく喉を鳴らして答える。それからアーネストは後方を振り向き、状況を再度確認する。


 ラザレスとダリオの姿はもう確認できない。そして、彼らがいたことを示すように彼らの騎竜だった飛竜が、悪竜達に啄ばまれるように噛まれ、抉られていた。とても、直視できるようなものではなかった。


 何体かの悪竜が、目標をアーネスト達に定めたのか、こちらへと向かって飛んでくる。


 数にして七体の悪竜達。竜騎士一騎ではとても相手にできないような絶望的な数の差だ。アーネストは悪竜達から視線を外し、前へと向き直る。


 生き残るためには逃げるしかなかった。


 ラザレスとダリオの遺体を回収できず、かたき討ちすらできない事に悔しさを滲ませ、手綱を強く握り、歯を食いしばる。


『グオオオォォ!!』


 唐突にシンシアが咆哮を上げた。


 何かの警告だろうか? アーネストはとっさに辺りを見回した。そして――



 鼓膜を突き破るような鋭い雷鳴が響いた。



 視界が真っ白に染まり。気が付くとアーネストの体は宙に投げ出され、地上へと落下していた。


 一瞬の事で何が起きたのか理解できなかった。ただ、見えたのは積乱雲の中から、物理法則を無視したように真っ直ぐ伸びた稲妻が、シンシアの体を貫いていた事だ。


 目の前に、アーネスト同様に力を失い地上へと落下していくシンシアの姿が見えた。アーネストはどうにかシンシアの手綱を握ろうと手を伸ばす。けれど、びりびりとした痺れが襲い身体が言う事を気かなった。シンシアが受けた雷撃が、シンシアの身体を伝いアーネストにもダメージを与えたのだろう。


 視界の端に先ほど稲妻を走らせた積乱雲が映る。


「あ……ああ」


 言葉にならない声がこぼれる。


 積乱雲の中から大きな影が顔を出した。


 飛竜の優に倍を超える大きさの身体に、飛竜と同様な細長く全身を深い青色の鱗で覆われた身体、飛竜の様な翼生やし、飛竜とは異なる前足を有した四肢。それは、まぎれもないドラゴンの姿だった。


 飛竜でも悪竜でもない、古の伝説にのみ登場する竜そのものの姿だった。


 これは夢なのだろうか? アーネストの頭にそんな思いが浮かぶ。


『グオオオォォ!!』


 しかし、撃ち落とされたアーネスト達に向かって、悪竜達が嬉々として襲い掛かり、現実の脅威として牙を向けた。


 どうにかしようと身体を動かそうとするが、動かない。あきらめがアーネストの頭に浮かぶ。そして――鋭い顎が、肉を噛み潰す音と、そこから噴き出す血流の音が耳に響いた。



『グオオオォォ!!』



 目の前に、身を盾にするように身体をめいっぱい広げ、襲い掛かる悪竜達の攻撃を一身に受けるシンシアの姿が映った。


 雷に打たれ所々焼けたような跡を残し、その上真っ白な鱗を血で痛々しく濡らしながら、必死に身体を動かし、アーネストと悪竜の間に身体をすべり込ませていた。


 そして、シンシアは大きく身体を動かし、尻尾と翼で噛みついた悪竜に抵抗を試みると同時に、羽ばたきの風圧でアーネストを自分からできるだけ遠くへと吹き飛ばした。


「あ……あああ」


 未だにうまく動かない口と身体でアーネストは、シンシアに手を伸ばし名前を呼ぼうとした。けれど、その手と声は届くことはなかった。


 遠ざかる視界の向こうで、悪竜達に必死の抵抗を試みるシンシアの姿が映っていた。

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