超絶変身ユカリオン

服部匠

一.嵐の前の静けさ! 夢の中の宝石

 由香ゆかがよく見る夢は、炎と宝石の夢だ。

 激しい炎と非常ベルのうるさい音の中、由香利は泣きながら家の中を一人で逃げている。

「お母さん、お父さん、早田はやたさん、助けて!」

 何度も家族を呼びながら、玄関のドアを勢いよく開けて外に出る。その瞬間、後ろで爆発が起き、由香利の体は吹き飛ばされて宙を舞った。

 夢の中なのに体が――特に胸が痛い。苦しくて、もう駄目だ、と思ったそのときに、あの人は現れる。

 まるでヒーローのようにカッコよく現れるその人は、まばゆい銀の服で、耳元がウサギのように長い、不思議な姿をした人だ。

 その人のことを、夢の中の由香利は「ウサギさん」と呼んでいた。

 ウサギさんは、倒れた由香利をすぐに抱きしめてくれる。すると、痛みや苦しみが和らいで、楽になるのだ。

「由香利は私が守るわ、絶対に助ける!」

 ウサギさんの優しく力強い声は、どこかで聞いたことがあるはずなのに、由香利はどうしてもだれなのか思い出せない。

 そのうちに火事は消えて、ウサギさんも消えてしまう。

 真っ暗な世界で一人になってしまった由香利の手には、緑の光を放つ、宝石があった。


【ユカリ】


 どこからか優しく名前を呼ばれたそのとき、手の中の宝石から光があふれ、真っ暗な世界が明るく照らされる。

 由香利はほのかに温かさを感じる宝石を、それはそれは大事に胸に抱くのだった。



 朝。

 絶妙な焼き加減のフレンチトーストをナイフとフォークで器用に切りながら、由香利は昨夜見た夢を思い出そうとしていた。

(緑の宝石を、大事にしてたなぁ、私)

 一口大のフレンチトーストをフォークで持ち上げながら、由香利は考えた。

 いつ頃からあの夢を見るようになったんだろう。小学校に上がった頃からだ。しかし、目が覚めると肝心の内容はほとんど忘れてしまうのだ。いつも同じ内容のはずなのに。

(なんだか危ない目にあってる気がするけど、あいまいだなあ。でも、緑の宝石が出てきたことはしっかり覚えてる。なんでだろう?)

 口に入れることを忘れていた一切れから、黄金色のメープルシロップがぽとりと垂れた。

「由香利ちゃん、シロップが服に付いちゃうよ?」

 柔らかな声音にはっとなり、由香利はあわててフレンチトーストを口にした。香ばしいバターの香りと、ミルクと卵の甘さに頬がゆるむ。このときばかりは、不思議な夢のことを忘れてしまう。

「んー、おいしい! 最高です、早田さん!」

 由香利は後ろを振り向き、キッチンに立つ青年に声をかける。

 銀髪を後ろで一つに縛った長身の青年……早田は振り返ると、由香利に微笑んだ。

「ありがとう、由香利ちゃん。そう言ってもらえると、作りがいがあるよ」

 早田は由香利の父の弟、つまり叔父にあたる。早田は由香利が生まれる前からこの天野家に住んでいるので、由香利にとっては、叔父というより兄のような存在だった。

 銀縁眼鏡を手の甲で直した早田は、もう一人の家族のためにフレンチトーストを焼いていた。

 バターの香りが部屋中にただよう。早田がフレンチトーストを皿に移したそのとき、ダイニングのドアが開いた。

「おはよう諸君! おっ、今日はフレンチトーストか。素晴らしい朝だよ!」

 バラエティ番組のようなテンションの高い声が響く。よれよれの白衣を着た中年男性が、ずり落ちた太いフレームの眼鏡を直す様子もなく、両手を広げて立っていた。

 しばらくダイニングの観客、もとい家族の反応をうかがっていたが、由香利はなにごともなかったように朝食を摂り、早田は朝食の用意を続けていた。二人とも、彼を気にしていないのだ。

「うう、太陽の光は脳細胞を活性化させるんだよう……」

 ぶつぶつとつぶやく中年男性は、早田よりもさらに無造作にまとめた銀髪を揺らしながら、しぶしぶ自分の席――由香利の向かい側――に着いた。

「おはようございます、博士」

 早田は焼きたてのフレンチトーストが乗った皿を、中年男性の前に置いた。

「お父さん、おはよう」

 由香利は澄ました顔で挨拶をする。

「早田、由香利、おはよう。それはそうと、なんで君たちは朝っぱらから僕に冷たいんだい? お父さんはちょっと元気なだけなのにぃ」

「そのちょっとがウルサイの」

 おおいに呆れた顔で由香利は言った。

 中年男性――由香利の父であり、この天野家のあるじである天野あまの重三郎じゅうさぶろうは、しょんぼりと肩を落とした。オーバーだけど、なぜか憎めないその仕草に、由香利は思わず笑みをこぼす。

「お父さんって、ホント子供っぽーい。でも、そこが面白くて好き」

 するとたちまち重三郎は表情を明るくした。

「お父さんも優しくて可愛い由香利が大好きだよ!」

 と、ニコニコしながら答えた。

 その様子を微笑ましく見守っていた早田も、自分の席に着き、朝食を摂り始めた。

 これがいつもどおりの天野家の朝の様子だ。六年前から四人掛けのダイニングテーブルに、三人で座って食卓を囲んでいる。

「ごちそうさまでした」

 一番に食べ終わったのは由香利で、使った食器を流しに置くと、ダイニングの隣にある和室へ向かった。

 和室の一角に、簡素で小さな仏壇がある。由香利は仏壇の前に正座し、手を合わせて目を閉じた。仏壇には、髪の長い女性、五歳の由香利、今より少し若い重三郎、そして今とほとんど変わらない姿の早田、その四人が写った写真が飾られていた。

「お母さん、行ってきます」

 髪の長い女性……母に向かって、由香利は優しくささやいた。

 由香利の母、由利ゆりは六年前にこの世を去った。

 重三郎と由利、早田の三人は、介護・福祉用パワードスーツの研究開発をしていた。しかし、新しいスーツの研究開発中の事故が原因で、当時の研究所兼自宅が火事で焼けてしまった。由利はその際に命を落としたのだった。

 家にいた由香利も巻き込まれたが、すぐに気を失ってしまい、ほとんど火事の記憶はない。火事や母の最期に関しては、すべて重三郎や早田から聞いた話しか知らなかった。

 今、重三郎と早田は現在の自宅とは別にある、新しい研究所で一日の大半を過ごす。必ず由香利より先に帰宅し、休みも必ず一緒にいてくれる。二人とも由香利がさみしくないよう、気を遣っているのだ。



 学校に行く支度を終え、玄関に立った由香利の目に、カレンダーが映った。明日の日付には、由香利自身が花丸をつけた『誕生日』の文字が書き込まれている。

 明日は由香利の、十二歳の誕生日だ。

 天野家では毎年家族で誕生日パーティをするのが習慣だ。料理の得意な早田は由香利の好物ばかりを並べ、重三郎は由香利へのプレゼントを用意してくれる。由香利にとって、とても楽しみな行事の一つだった。

(明日は早く帰ってこなくっちゃ。楽しみだなぁ)

 顔がにやけていることに気づき、少し恥ずかしくなる。気づけば玄関に重三郎と早田がやってきていた。

「行ってらっしゃい、気をつけてね」

「くれぐれも気をつけるんだぞ。最近不審者がウロウロしているらしいからな。学校からのメールに書いてあったぞ」

 その話はクラスでも噂になっていた。黒いフードをかぶった人物が、子供に訳の分からないことを言いながら近づいてくるのだ。中には倒れて入院した子供もいるらしい。

 噂の中には、倒れたのは命を吸い取られたからだという話もあった。もちろん、先生はそんなことは言わない。

「うん、気をつける。ほら、防犯ブザーも持ってるし」

 ランドセルの背負いベルトにつけられた淡いピンクのブザーを見せる。しかし二人は「ちゃんと気をつけるんだよ」と念を押すのだった。

 ここ二、三日、二人は不思議なほど由香利の登下校を心配している。登校は集団の上、PTAの人もいるが、下校は早田が学校まで迎えにきてしまうので、他の生徒に珍しがられるのが恥ずかしい。

 六年生なのにお迎えなんておかしいよ、と文句を言ったのだが、早田は聞く耳を持ってくれなかった。

「早田さん、今日もお迎えに来るの?」

 上目遣いで、拗ねるように訊いてみる。

「うん、今日もクラブがあるでしょう? 昨日と同じ時間に迎えに行くね」

「でも、早田さん、お仕事も家のこともしていて、疲れるでしょ? 体が弱いんだから、無理しなくてもいいのに」

 早田は昔から病弱で、無理をすると発作を起こしたり、寝込んでしまうことがある。由香利は自分が恥ずかしいことよりも、そのほうが心配だった。

「由香利ちゃんを迎えに行くのは散歩のようなものだから、気にしないで、ね?」

 有無を言わせぬ微笑みと声音で早田は言った。隣で重三郎もうなずいている。これ以上の抵抗は無駄だと由香利は思い、うなずいた。

 早田は由香利にはとても優しい叔父さんだ。しかし、優しいながらも強引な一面がある。故に由香利は昔から、早田の笑顔には逆らえないのだった。

「じゃあ、行ってきます」

 玄関のドアを開ける。四月の心地よい風が、鼻先をくすぐった。

「行ってらっしゃい」

 重三郎と早田の声が重なって、由香利の背中に投げられた。振り返ると、二人とも小さく手を振っている。

 由香利も応えるように手を振ると、学校へと向かった。


 *


 由香利が出て行った後、重三郎と早田は、しばらく無言で立っていた。

「不審者が普通の不審者だといいんだが」

「普通でも普通じゃなくても、どちらにしたって由香利ちゃんが危険なのは同じです。だったら余計危険です」

「すまん、確かにそうだな。――あれからもう六年か。無事に育ってくれた」

 重三郎はカレンダーの花丸を見た。由香利の誕生日。明日になれば、優しく可愛い自慢の娘は、十二歳になる。

「本当に、そう思いますよ。そういえば、アレの調整は済んだんですか?」

「ああ、テストは終わっているよ。完成に六年掛かったが、十分改良できた。由利が遺してくれた設計図と、お前の協力で。しかし、あの力が必要な事態が、起こらないほうが……」

「それでも、確実に奴らは迫っています。それは紛れもない、事実です」

 先ほど由香利に見せた柔和な表情とは違う、厳しい顔で早田は告げた。一瞬、重三郎は泣きそうな顔をしたが、深呼吸をして、それを留めた。

「ありがとう。こういうときは、お前の冷静さが頼りになる。どうもダメだね、僕はいざってときに決心がつかない」

 ははは、と重三郎は無理やり笑った。

「お気持ちは分かります」

「アレは……『リオンスーツ』は、由香利の命を守る、大切なものだ。きっと役に立つと、僕は信じている」

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