第3話 役目を終えた巫女

 次の朝。

 昨日の疲れがまだ残ってる。

 なんだか、外がさわがしい。

 ふふ、もう祭りは終わったのに。

 でも、外に出てみると、皆うれしくなさそうな顔をしている。

 まだお祭り気分でいるわけではなさそう。

 「どうしたの?」

 「…………当代の巫女が神の国へと召されたらしい」

 「巫女さんが……」

 驚いたけど、昨日の様子を思い出してみるとそのしるしはあったんだと思う。

 もう巫女さんは神の国へ行ってしまったの。

 どんなとこだろう。神さまの国。

 でも神さまの国に行くのは良いことなのに、みんなどうして動揺してるんだろ。

 今の巫女さんがいなくなっちゃったってことは……、次の巫女さんは?

 次の巫女はどうやって決めるの?

 誰が巫女になるんだろう……?

 誰……? 知らない人だよね。

 巫女になる人はどんな人でどんな暮らしをどこでしているのだろう……?

 考えてもよくわからない。

 わたしはいつものとおりのことをするしかないみたい。

 大祭が終わって、コスマスさんがいなくなったら、また畑仕事をしなくちゃいけなくなるし。


 けれども、次の日になってもコスマスさんは帰らなかった。

 ひょっとしたらこれからずっと一緒に暮らすのかもしれない。

 姉はコスマスさんと一緒に居てうれしそう。姉がうれしいとわたしもうれしい。

 うれしいはずなのに……。

 コスマスさんは良い人。

 仕事をよく手伝ってくれるし、わたしが変なことを言っても小さく笑うことはあっても、怒ったことは一度もない。

 お姉ちゃんも優しい人……。

 でも……最近少し変わってしまった。

 今日もわたしは山に行ってくだものや山菜を探しにいく。

 畑仕事はあの人に取られちゃったから。

 ふと外に出てみると、月桂樹らうりえの木……、わたしと姉の名前で呼ばれている木の内の一本が焦げて黒くなっている。

 この前のかみなりかな……。

 打たれてしまったんだ……。

 焦げてしまっているのは……わたしと姉のどっちなんだろう……。

 わたしの目の前を横切るコスマスさん。

 「おじさん」

 「ん? どうしたんだい?」

 「あそこに、焦げちゃった木があるよね」

 「あぁ……、この前の雨の時だろうね。ひどく降ったからね。とはいえ、あんな低い木に落ちるなんて珍しい」

 「あの木、あの木は誰なんだろう?」

 「……誰? 言っている意味がよくわからないなぁ」

 と言って、コスマスさんは歯をちらりと見せて、困り眉で笑う。

 うーん、わたしかお姉ちゃんのどっちかだと思うんだけど。

 どっちだろう……。

 わたしかも。

 「わたしかな? あの木はわたしなのかな?」

 うつむいていた顔を上げながらそう言ってみるものの、コスマスさんはもういない。

 その代わりに、見慣れないおじいさんが少し離れた山道に見える。

 この辺の人じゃないのかな?

 髪からひげまで真っ白。

 年を取った木の模様みたいにしわが深くて、でも頭はピテュスの葉っぱみたいな形をした白い髪の毛でふさふさに覆われてる。

 それにとっても丈夫そう……。

 じろじろと見ていると、おじいさんはこちらに目を向けてきた。

 一瞬見えた、射抜くような鋭い視線にびっくりしてしまった。

 けれど、もう一度見た時には優しそうな表情をしている。

 「お嬢さんはこの辺に住んでいるのかい?」

 おじいさんが話しかけてくる。

 気のせいか、なんだか聞いたことのある声な気がする。

 「うん、そうだよ。こっちの道をまっすぐ行ったところ」

 「じゃあ、この辺りは詳しいかい? カスタリアの泉まで連れて行って欲しいんじゃが」

 「うん、いいよ」

 あ……、でも、ちゃんとお仕事しないと姉にしかられちゃうかも。

 まあ少しだから、いいよね。

 それに……わたしが出来る仕事なんてもう……。

 「おじいさんはどこから来たの?」

 「デルフォイの町からじゃよ」

 そう言われてなんとなく納得する。

 おじいさんの話し方は村の人の話し方と少し違うもの。

 きっと町にいる人は食べている物が違うから、話し方も変わるんだろうなぁ。

 村で食べるのはちっちゃい木の実なんかだけど、町ではふっくらした茶色いものを食べている。

 あんなものどこになっているんだろう。

 あんな大きなものが木になっていたら面白いだろうなぁ。

 「お嬢ちゃん? 何かおかしいことでもあったのかい?」

 「ふぇ? どーして?」

 「いや何やら笑っていたからのう」

 頬がゆるんでいたことを指摘されてはずかしくなる。

 「なんでもないのえっと……おじいさんは歩いてここまできたの?」

 そうわたしが言うと、おじいさんは少し目を細める。

 「…………そうじゃよ。この年になるとそれも辛くてな……」

 「へぇーすごい。遠かったでしょ」

 「まあ良い運動になるわい。ところで泉まではどれくらいかかるのかな」

 なんだか、おじいさんは話題をそらしたがっているように見える。

 「すぐだよ。行ってちょっと休んで戻ってきても、お日さまの高さはあまり変わらないもの」

 「距離にすると、10スタディオンほどじゃろうか?」

 「すたぢおん?」

 「大体人間の三百歩分の距離じゃよ。1スタディオンがの」

 「そっか何回歩いたかで遠さを計るんだね。でも……三百回もどうやって計るの?」

 「ほっほっほ。この袋を使えば良いんじゃよ」

 「それなに?」

 「この袋には松の種が百個入っておってな。わしが一歩歩く度に、1つこぼれていく。だから、歩き終わった後に残った松の種を数えればどれだけ歩いたかわかるわけじゃ」

 (…………?)

 「わかるかね?」

 「わかんない」

 「ふむ。たとえば、わしが今十個、実を持っているとするじゃろ? 一歩歩くごとに1つ落としていく」

 「うん」

 「今一歩歩いたが、残った松の種はいくつかな?」

 「きゅうこ」

 「そうとも、じゃあ三歩歩いたら、松の種はいくつかな?」

 「えっと……7つ?」

 「そうじゃ。だから、松の種を数えれば何歩歩いたかわかるんじゃ」

(……?)

 「でも、今のは……何歩歩いたか数えたら、松の種がいくつ残ってるかはわかったんだよね。松の種を数えても何歩歩いたかわかるの?」

 「同じことじゃよ。たとえば、わしが今何歩か歩いて、十個だった松の種が六個になってたら、何歩あるいたことになるかね?」

 「えっと……」

 指を一本ずつ折って数えていく。

 「四歩」

 「そうとも。だから、松の種を数えれば何歩歩いたかわかるということなんじゃ」

 「わかったすごーい」

 「そうじゃろう。これは優れものでな。尤も、たまに一歩でふたつ落ちたり、1つも落ちなかったりするが……」

 「じゃあ、これでどれくらい遠いかわかるんだね」

 「そうじゃ。歩いている間、少し話でもせんかね。お前さんはずっとこの場所で暮らしているのかね」

 「うん、そうだよ。あっちの方の家で二人で暮らしているの」

 「二人? ご両親はどうしたのかね?」

 「お母さんはずっと前に死んじゃったし……お父さんはいなくなっちゃった」

 「ふむ……悪いことを聞いてしまったな」

 「ううん。ずっと前のことだから」

 「今はお姉さんと二人暮らしかい?」

 「どうして知ってるの?」

 「いや……さっきお姉さんがどーのと言っていなかったかね?」

 そーだっけ…………?

 「んー、覚えてないや」

 「女二人ではたいへんだろう?」

 「……そうだ、さっき二人で暮らしているっていったけど、今は違うの。その人は多分もうすぐ出て行っちゃうんだけど」

 とは言ったものの、ほんとに出て行くのかはわからない。

 もしかしたらずっと一緒に暮らすのかもしれない。

 そんな気がしてしまう。

 わたしはそうなってほしくないのかもしれない。

 …………。

 あ……かげだ。

 おじいさんに伝えようかな。

 でも、へんなこと言っちゃダメってお姉ちゃんに言われたばっかりだし……。

 でも、このおじいさんなら言っても大丈夫そうな気がする。

 「そこ踏むとあぶないよ。そこにはかげがあるから」

 「影? 何の影かね?」

 「なんのかげでもないの。だからあぶないの」

 「わたしにはなにも見えないが」

 「うー、でもあるんだよ」

 「どうして危ないのかね?」

 「入ると吸い込まれちゃうの」

 「吸い込まれるとどうなるんだい?」

 「その後は起きちゃったからわかんない」

 「起きた? 何が起きたのかね?」

 「わたしが起きたの。寝てる時に見たの」

 「……すると、その影は夢の中で見たということかね?」

 「うん、そうだよ。でも、その日以来、起きてても見えるようになったの」

 「……ふむ、それはきっと異界ハデスへと繋がる穴なのかもしれない。君には何か、別の世界のものが見えているのかもしれないね」

 「別の世界?」

 「うむ。それは引け目を感じるようなことじゃあない。むしろ誇っていいことだ」

 「そうなの?」

 「そうとも」

 よくわかんない。

 そろそろ泉に着きそう。

 「泉が見えてきたよ。雨が降る時期には水がいっぱいになって、泉がしゃべりだすの」

 「泉が喋る?」

 不思議そうな顔をされる。

 姉に同じことを言った時も同じような顔をされた気がする。

 「うん、ちょろちょろしゃべってるよ」

 「ふむ……、水の流れが言葉のように聞こえるということかね?」

 「うん。動きたいよー動きたいよーって言っているの」

 「ふむ……」

 おじいさんは一言だけいうと、手をあごにあてて悩むような顔をする。

 「ごめんなさい、変なこと言っちゃったかな」

 「とんでもない。それはすばらしいことだとも」

 「……? そうなの?」

 「そうだとも」

 「こういうこと言うと、お姉ちゃんにしかられるの。だから言わないようにしているんだけど、今日はつい……」

 「何もしかられるようなことではないよ。ひょっとしたら……、お嬢さんが聞いてるのは……」

 「ピトだよ」

 「……ん?」

 「わたしのなまえ」

 「おぉ……ピトというのか。わしはプルタルコスというんじゃ」

 「プルタルコスさん」

 「うむ、ところでピトよ、さっきお前さんが言ってた泉の声、というのは精霊ニュムペか神様の声かもしれないよ」

 「そうなの……?」

 「うむ。もう少し詳しく聞かせてくれないかね」

 「泉のこと?」

 「そうとも」

 「泉は雨の日になると、よくしゃべりだすんだよ。晴れの日には、泉の周りはみっしり詰まっていて、行き場所が無いからじっとしているんだけど、雨が降ると、泉があふれるから、そこから出て下の方に行きたがるんだよ」

 「うんうん」

 「きっと泉のお水さんも下の方が好きなんだね。でも疲れちゃうからそんなにはやらないよ」

 「これは面白い。お嬢さんが聞いているのは水の精ナイアスの声じゃろうな」

 「水の精ナイアス? そっか……」

 水の精霊さんの話はよく聞く。

 村の人たちがよく拝んでいるから。

 でも、わたしが泉で聞いてるのが水の精ナイアスのものなんて想像も付かなかった。

 木の精霊さんのことなら知ってるんだけどな。

 昔、お父さんが教えてくれたから。

 それからわたしは、泉以外にも河や、鳥たちから聞こえる言葉について話した。

 おじいさんはそのたび、うれしそうに、「うんうん」とうなづいてくれる。

 わたしの話をこんなにうれしそうに聞いてくれる人はじめて。

 なんだかとてもうれしい気持ちになる。

 「ピトよ、今日はお話をしてくれて、ありがとう」

 「ううん、こちらこそ話聞いてくれてありがとうね」

 「お礼にこれをあげよう」

 おじいさんは白く光っている薄い石をくれた。真ん中に模様みたいなのが描いてある。

 「なにこれ?」

 「うちに帰ってお姉さんに見せてごらん。きっと喜ぶよ」

 「うんわかった」



 「ただいま」

 うちに戻って姉に声をかける。

 「あら、なんだかご機嫌ね」

 「今日ね。やさしいおじいさんにあったの」

 「やさしいおじさん……?」

 姉はいぶかしげ。

 「こんなものもらったんだよ」

 と言ってわたしが薄い石を見せると、目を薄める。

 「……。これはなに……?」

 「どれどれ、見せてごらん」とコスマスさん。

 「……? これはアウレウス硬貨じゃないか。どこでこんなものを?」

 「それ、すごいものなの?」

 「すごいもなにも、この小屋をもう一軒建てられてしまうよ」

 「へえー、すごーい」

 「すごーい、じゃないわよ。どこでこんなもの手に入れたの?」

 「どこって、おじいさんにもらったって言ったじゃない」

 「どんなおじいさん?」

 「うーん、枯れ木みたいな」

 「……枯れ木?」

 「あ、枯れ木って言ってもね、違うの。それでいて根がしっかりとしていて、ぜったい倒れないの」

 「そんな言い方じゃあわからないわよ」

 姉はあきれ顔。

 「ピトちゃん。その人は高貴そうな服装じゃなかったか?」

 と、コスマスさん。

 「うー、村で見るような服じゃあなかったかなあ。デルフォイの街ならよく見かけるもん」

 わたしがそういうと、コスマスさんは一瞬眉をひそめた、ように見える。

 姉はなんだか困ったような顔をしている。



 次の日。

 日の昇っていない内から目が覚める。

 もいっかい寝ようとしてもどうも寝付けない。

 すっかり目が覚めてしまった。

 ちょっと早いけど、起きて山頂まで行ってみようかな。

 朝日の昇るのも見られるかもしれないし。

 朝に山に登っていく途中、山道を御車が走っているのが見える。

 御車に乗れる人なんて言ったら相当偉い人。どうしてこんな山の中に来るのだろう。

 クロウタドリの鳴き声が聞こえる。いつもは起きた時から鳴いてる。

 この時間に鳴き始めるんだね……。

 …………。

 今日はたくさん木の実が取れた。

 そう思って、山を降りていくと、うちの周りに人だかりが見える。

 なんだろう……。

 よく見ると、近くに朝見た御車も止まってる。

 「お姉、みんなどうしたの?」

 「……ピト。あなたは神殿の巫女に遣わされることになったのよ」

 (……!?)

 妙に胸騒ぎがする。

 選ばれた……?

 神殿に召しだされる……?

 わたし……? どうしてわたしが……?

 とても不安なきもちになる。

 体の中のあちこちで、何か別の生き物が騒ぎ出してるみたい。

 どうしてわたしが? たくさんいる女の子の中から、わたしが選ばれたの?

 こんなことってあるのかな?

 神さまがわたしなんかをほしがっているなんて。

 でも神殿のえらいひとたちがそう言っている。

 このわたしが選ばれた。神さまのはしために? 預言者に?

 神さまがわたしの口を借りてお話したいなんて……。

 どうしてそうなったのか全然わからない。けれども、これはすごい奇跡。

 わたしは誰からも必要とされてない。誰もわたしを見てくれない。

 そう思ってた。

 けれども、一番偉い神さまが、わたしを必要としてくれてる。

 これはとてもうれしいこと。

 うれしいはずなのだけれど……。

 心にあるのは不安だけ…………。

 本当にわたしなんかが、お勤めを果たせるだろうか。

 神さまを満足させてあげられるだろうか。

 ここでわたしが断ったら、逃げ出したらどうなるんだろう。

 ……。

 「すぐに決めることは無い。明日また同じ場所に来る。それまでに決めておくが良い」

 それきり、何も言わずに神官たちは引き返していく。

 こっちを振り返ることもなく。

 御車が引き返していく様子をわたしはじっと見ている。

 「いつまでもぼーっとして、どうしたの?」

 姉がわたしの肩を叩く。

 「お姉ちゃん……」

 姉は、さほど驚いてもいなさそうな顔をしているように見える。

 なんとなく、顔から目をそらしてしまう。

 「家に入りなさい。風邪引くわよ」

 家に入っても何も考えずにじっと座ってるだけ。

 「ねえ、お姉ちゃん」

 「なあに?」

 「お姉ちゃんはわたしが神殿に行った方が良いと思う?」

 「……それは自分で決めなさい。ピトがどうしたいのか、自分で考えて。

 「……わかんないよ」

 何気なく空を見たくなった。

 戸を開けて、家とは反対方向に歩き出す。

 後ろからは何も聞こえない。

 わたしはどんどん山の斜面を進んでいく。

 山が黄色く染まる。

 日が落ち始めているのね。

 年をとったおばあさんの顔みたいな木のこぶが、動かない視線でわたしをにらんでる。

 そういえば前の前の日、同じ所に来た気がする。

 そうだ……その時、蜂さんを見つめていたんだ。

 昨日はおじいさんと話すのに夢中で忘れてたけど……。

 今、蜂さんはまだいるだろうか。

 ……地面を見ても、それらしい形は無い。

 きっと蜂さんはもう神さまの国に行ってしまったの。

 わたしが見てない間にいつのまにか。

 巫女さんも今頃同じところにいるのかな……。

 わたしはどうすればいいんだろう。

 姉はわたしにどうしても欲しいのかな?

 やっぱりコスマスさんと一緒に暮らしたいよね。

 わたしはあの家にいないほうが良いんだ。

 どうしてわたしがなるのかわからないけど……。

 出来るかなんてわからないけど……。

 わたしは巫女になる。

 ならなくちゃ。

 わたしがはじめて必要とされた場所だから。

 わたしがひとりでも何か出来るってことを見せて、お姉ちゃんを安心させなくちゃ。

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