ミッション7—4 帰り道

 目を覚ましたファル。

 後頭部には柔らかい感触が。


「……ここは……」


「ファルくん? ようやく目が覚めたんだね。心配したよ」


「……俺、死んだのか? 目の前に天使が……」


「て、天使!? ファルくん、私だよ」


「ああ、ヤサカか。天使に変わりはないな」


「そ、そんな、恥ずかしいこと言わないでよ……」


 頰を赤らめ俯くヤサカの顔が、目の前に。

 どうやらファルは、ヤサカの膝の上に頭を置いているようだ。

 つまりこれ、夢の膝枕である。

 

 おそらくヤサカは、崖から落ちたファルを治療してくれていたのだろう。

 HPは3000ほど減っているが、体の痛みは少ない。


 ようやく冷静になったファルは、先ほどの言葉が恥ずかしくなる。

 彼は勢いよく立ち上がった。


「す、すまん! 頭を打って変なことを口走った。それより、八洲蝶は?」


「どっか行っちゃったよ」


「ああ……そうか……そりゃ残念」


「しょうがないよ。ファルくんが無事で何よりだったしね」


 結局、八洲蝶には逃げられてしまったようだ。

 ファルの金への執着と、ヤサカの夢は破れたのだ。


「俺、どのくらい気を失ってた?」


「3時間ぐらいかな」


「どうにも日が暮れてると思った」


「ファルくん、暗くなる前に帰ろう」


「そうだな。帰り道、分かるか」


「方角的にはこっちだと思う」


 家――『あかぎ』に帰るためには、とにかく山を抜けなければならない。

 コンパスと地図を頼りに、ファルとヤサカは山の中を歩き出した。


 土を踏み、草をかき分ける2人。

 斜面に足を滑らせ、小石につまずき、空を眺め、前へと進む2人。


 途中、ファルはヤサカに質問した。


「なあヤサカ、どうしてお前はイミリアに?」


 実のところ、ファルは不思議でしようがなかった。

 なぜ天使のようなヤサカが、オープン初日からこのゲーム――イミリアにいたのか。

 そんなファルの疑問に、ヤサカは微笑み滔々と答える。


「私のお父さんとお母さん、ちょっと変わった人なんだ。お父さんもお母さん、自由なことが大好きで、私がやりたいって言ったことはなんでもやらせてくれた。旅行から昆虫採集、料理のお勉強、やりたいゲームまでなんでもね」


「良いお父さんとお母さんだな」


「うん、私もお父さんとお母さんには感謝してる。お父さんとお母さんのおかげで、世界には私の知らないことがいっぱいあるんだって、思うようになったから。それでね、いろんな世界を見て回りたいって思うようになったの」


 空を眺め語るヤサカの横顔に、ファルはつい見惚れてしまう。

 だがヤサカは気にせず、話を続けた。


「イミリアの発売を知った時、私はこれだ! って思えた。現実みたいなのに、現実じゃない、新しい世界を体験できるイミリアを見て、どうしてもこの世界を見て回りたいと思ったんだよ」


 そこまで言って、ヤサカは小さく笑う。


「それをお父さんに言ったら、イミリアオープン初日までにイミリアを用意してくれたんだ。未だに、どうやって用意できたのか分からないんだけどね」


 可笑しそうにするヤサカはすぐに目を輝かせた。


「はじめてイミリアの世界にやってきた時のことは、今でも忘れられないよ。まるで現実にいるみたいに、まるで現実みたいな世界で、それでもゲーム世界で、私の知らないことが、自由になんでもできたんだから」


 だからこそヤサカは、事件後もこの世界を楽しんでいるのだ。


「ログアウトできなくなってからも、クーノと、今はレジスタンスにいないホーネットっていうお友達ができて、レイヴンさんやシャムにも会って、この世界をいっぱい探索した。私の知らない世界が、いっぱいあった」


 事件後多くのプレイヤーが絶望し、現実思考に侵されながら、ヤサカは夢を抱き続けていた。


「今でもイミリアに来たこと、後悔してない。お父さんとお母さんを心配させちゃってるのが心残りだけど、ログアウトしたら、イミリアであったことを全部聞かせてあげたい。ファルくんたちのことも含めてね」


 ヤサカは心の底から、イミリアのことが好きなのだろう。


「こんなに楽しいゲームが、人を苦しめちゃダメなんだよ。プレイヤーたちは全員、絶対にログアウトさせないと。だから……ファルくんたちと出会えて良かった。ファルくんたちのおかげで、プレイヤーのみんながゲームを楽しむ心を取り戻してるんだから」


 そう言うヤサカは、ファルの顔をじっと見つめ、ファルの手を握る。


「ファルくんが来てくれてから、私、もっとイミリアが楽しくなったんだ。ファルくん、これからもよろしくね。これからも一緒に、プレイヤーを救出しよう。これからも一緒に、イミリアを楽しもう」


「当然だ。約束したろ。必ず一緒に、プレイヤー全員を救出するって」


「うん!」


 少しだけ頰を赤らめながら、楽しげに笑うヤサカ。

 ファルはなんとしてでも、ヤサカとの約束を守ると心に誓った。


 話が終わる頃。

 2人の耳に、水の流れる音が聞こえてくる。

 しばらく歩くと、2人の前に川が現れた。


「川だ」


「ファルくん、この川を伝っていけば、山道の入り口に行けるよ」


「そうか。……うん?」


 ファルの視線の先には、河原を華麗に舞う1匹の蝶。

 八洲蝶だ。


「おい、あれ!」


「間違いないよ。さっきの八洲蝶!」


「よし、俺が『潜伏』を使って捕まえてくる」


 八洲蝶はこちらの存在に気づいていないようだ。

 気づいていないのであれば、『潜伏』アビリティを発動し密かに近づくことが可能。


 宣言通り、『潜伏』アビリティで存在感を0にしたファル。

 これで、目の前にでも現れない限り、ファルの存在を感じ取れる生物はいない。

 ゆっくりと、しかし確実に、ファルは八洲蝶に近づいた。


 ファルと八洲蝶の距離は1メートル弱。

 ここでファルは、剣を振るかのごとく虫取り網を振り下ろした。

 

 振り下ろされた虫取り網は、地面に叩きつけられる。

 網の中には、青い翼をはためかせる八洲蝶の姿が。


「よし! 獲ったぞー!」


「やったね! ファルくん!」


 ファルに駆け寄ったヤサカは、虫カゴのふたを開ける。

 そして2人は、八洲蝶を虫カゴに慎重に入れ、ふたを閉めた。


「わあ……すごい! 図鑑で見るよりもずっと綺麗だよ!」


「こうしてゆっくり見てみると、高値がつくのも納得できるな」


「これで……ひとつ夢が叶った!」


 目をキラキラと輝かせ、まばたきすることも忘れ、至近距離で八洲蝶を観察するヤサカ。

 ライフルを構える凛とした姿からは想像できないその姿に、ファルの頰が自然と緩む。


「よかったなヤサカ。新しいコレクションが追加されて」


「……あれ? 金の亡者ファルくんは、八洲蝶を売るとか言わないの?」


「そんな顔してるヤサカから八洲蝶を奪うなんて、いくら金の亡者でも無理だ」


「私の顔、おかしいかな?」


「いやいや、楽しそうで何よりだ」


 今のヤサカの表情なら、いつまでも見ていられると思うファル。

 ヤサカは小さく笑ってから、言った。


「ありがとう! ファルくん!」


 真正面からぶつけられた感謝の言葉。

 思わず照れてしまうファル。


「と、とにかく、八洲蝶は捕まえた。川も見つけたし、帰ろう」


「そうだね」


 川を伝い、山を下るファルとヤサカ。

 この間もずっと、ヤサカは八洲蝶を眺め続けていた。

 八洲蝶は、ヤサカにとって憧れの存在だったのであろう。


 空はオレンジ色に染まり、夕焼けが1日の終わりを告げている。


 山を降りると、参道の入り口ではレイヴンたちが待っていた。

 談笑するレイヴンとコトミ。

 レイヴンの背中には、ピクニックで疲れたのかスヤスヤと眠るシャム。


 シャムを起こさぬためか、ファルとヤサカに気がついたレイヴンとコトミは、声を出さずに手を振った。

 やはり、レイヴンたちは親子のようにしか見えない。


「今日はいろいろあったね」


「だな。プレイヤー救出作戦と同じくらい疲れた」


「ティニーとラム、レオパルトくんは、どうしてるのかな? 救出作戦、うまくいったのかな?」


「あいつらのことだ。きっと今頃、小阪の街はティニーのロケランとラムダの戦車で大混乱、300人以上のプレイヤーが解放されて、田口さんが大喜びしてるはず」


「なんだか、その光景が目に浮かぶよ。ファルくん、今日も楽しかった」


「ああ、俺もだ。メリアムカデの件は除いて」


「私にとっては、メリアムカデも良い思い出だよ」


「マジか」


「マジだよ」


 笑い合うファルとヤサカ。

 たまには虫取りも、悪くないものである。

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