無法者たち

 連邦保安官の追跡を逃れたクラウドたちは、町を飛び出してなおしばらく馬を走らせた。馬が鼻を鳴らして疲労を訴えはじめたので、道を外れて、日光と人の目を妨げてくれる岩場に身を隠す。

「ここまで逃げれば、大丈夫だろう。あいつが追いかけて来ても、おれの弾丸の方が先に届く」

 岩場に身を隠し、町の方に油断なく視線を向けるレイニー。一流の狙撃手としての高い集中力と観察力を見張りに注ぎ込んでいた。

「畜生、あの野郎。連邦保安官だかなんだか知らないが、いきなり街中で襲って来やがって」

 朝の日差しから日陰に逃れている馬の背を撫でてやりながら、クラウドが呻く。

「あの人、クラウドを捕まえに来たんでしょ? 逃げなかったら、撃たれたりしなかったんじゃない?」

 サンディが自分の方が正しいと主張するように胸を張っている。

「連邦保安官に見つかって逃げない無法者が居るかよ」

 逃走劇で乱れたバンダナを結び直しながら、クラウドが口を尖らせる。

「それより、聞きたい事がある」

 馬と同じぐらい疲労した、というように岩にもたれながら、サンディに目を向ける。狼のような瞳に見すくめられて、びくっと赤い肌の少女が体をこわばらせた。

「……さっきのは、何だったんだ? 馬より速く走るなんて、鍛えたところで人間にできる動きじゃないだろ」

 じっと視線を向けたまま、一歩サンディに詰め寄る。サンディは自分の背後に目を向けた。乾いた荒野が一面に広がっている。

 そのまま逃げるかもしれない、という思いがクラウドの頭をよぎるが、少女は不安げに向き直った。

「えっと……でも、ああしないと危なかったし」

 縮こまったサンディは、自然に上目遣いになっている。見捨てないで、と訴えている子猫のような表情を見て、思わずクラウドは追撃を緩める。

「別に、怒ってるわけじゃない。お前が助けてくれたのは分かってるんだ。ありがたいとも思ってるよ」

「どういたしまして」

 お礼に反応して、サンディは上機嫌に笑みを浮かべた。

「あのなあ」

 雰囲気をまるで無視した返答に、クラウドは呆れたような、拍子抜けしたような気分で続きの言葉を探す。

「聞いたことがある」

 ふと、二人に背を向けたままのレイニーが言った。

「野の人々の特別な技だ。獣の霊を体に宿し、獣と同じことをできるようにする。熊と同じ怪力を発揮したり、ピューマのように速く走ったりな」

「それ、どこで聞いたの?」

 驚いたように、サンディは問う。レイニーはその背に、言うべきかどうかの迷いを一瞬浮かべ、

「……昔、女から聞いた」

 低い声で答えた。

「入れ墨の力は、ザ・ロウに反するから、部族の外に漏らしちゃダメなのに……」

「おれたちも同じだ」

 沈んだ様子のサンディに、レイニーが告げる。静かだがはっきりした声音は慰めているわけでも、同情しているわけでもなかった。

「アウトロウの生き様は、ザ・ロウに則したものじゃない。何より、俺たちは最大の禁忌……悪魔を持っている」

 レイニーが振り返り、サンディに言う。

「どういうこと?」

「本当かどうかは知らないが、悪魔の銃は悪魔そのものだって話だ」

 クラウドが引き継ぐ。サンディは、それは知っている、というように、こくりと頷いた。

「『神の法の書』によれば、神は自らの足下から悪魔が生まれたのを見られた」

 レイニーは目を閉じ、暗唱するように言った。

「神は悟られた。神こそは光。あまりに強い光は、同時に闇を生む。神がおられる限り、悪魔が絶えることはない」

「そりゃそうだぜ」

 クラウドが舌打ちしながら自分の影を蹴った。当然だが、影は脚にくっついたままだ。

 レイニーは構わずに続ける。

「神は人のためを思うが故に、悪魔を絶やすには自らを滅すほかないとお思いになられた。かくして、神は自らを滅した。そして、神がいらっしゃらなくても人が生きていけるように、法……ザ・ロウを遺された」

「神様がいたから、悪魔も出てきたんでしょ? じゃあ、もう悪魔は居ないんじゃないの?」

 いかにも素直に、サンディが首をかしげる。その隣で、クラウドが大きく息を吐いた。

「それが、そうでもない。神の代わりにザ・ロウがあるわけだろ」

「でも、ザ・ロウって、この世界を動かす決まり事でしょ? ものは上から下に落ちるべし、とか、人は人を殺すな、とか。法則や法律を神様が作ってくれたもののことでしょ?」

「悪魔は……まあ、教会が悪魔と呼ぶものは、その『決まり事』の外側に目をつけたんだ」

 レイニーは2人に背を向けたままだ。その静かな声だけが、ふたりのところまで届いている。

「もともと、『神ではないもの』として生まれた悪魔だ。『ザ・ロウの外にあるもの』になるのは難しいことじゃない」

「ど、どういうこと?」

 ついに理解の限界を超えたらしい。頭の上に大きな疑問符を浮かべて、サンディが問う。

「悪魔自身がザ・ロウを犯すことはできない。だから、人がザ・ロウを破るのにもっとも適した形になったんだ。たとえば、人が人を殺すために便利な道具とかにな」

「人殺しの道具? それって……」

 サンディははっとして、二人を見た。二人の背に負われたものを。

「そうだよ。悪魔の銃ってのは、もともと悪魔だったものが形を変えたものなのさ。しかも、それは持ち主の欲望を叶えるのに適した形になる」

「クラウドやレイニーの銃も、二人にとって嬉しい形なの?」

「……まあな」

 わずかに間を空けて、クラウドが答えた。

「おれたちが無法者……アウトロウと呼ばれるのは、単に悪党だからじゃない。悪魔の銃を持つ限り、おれたちの存在自体が、ザ・ロウ……この世界の根幹を破っているからさ」

 ようやく自己紹介ができた、とでも言うような口調で、レイニーが振り返った。

「おれが思うに、お前が使った降霊術も同じだ」




「同じとは、どういうことですか?」

 悪党どもを逃したジェイムズは、町長を訪ね、その町唯一の電話を使っていた。

 電話の相手は、州都ブルースターの州保安官シェリフ。ダリウス・ホワイトである。

「君が見たのは、入れ墨を肌に入れた野の人々の少女が獣のように走る姿だったね?」

 電話の向こうのダリウスはどっしりとした声質だ。熟練の州保安官の威厳が感じられる。

「それは、野の人々にとって門外不出の業だ。やっていることは無法者と変わらん」

「無法者と? どういうことですか?」

 悪党を捕らえる栄光を逃してしまったことよりも、ジェイムズにとっては少女の正体が気になっていた。

「彼らは入れ墨を通じて獣の霊を降ろしていると思っているようだが、それはザ・ロウの中にはないものだ。彼らが体の中に降ろしているのはな」

 ダリウスはわずかに言葉を切った。そして、低い声をなお低くした。

「悪魔だよ」

 その言葉を口にすること自体がザ・ロウへの冒涜になりかねないのだ。言葉を切ったのは、おそらく神への懺悔のためだったのだろう。

「では……あの少女も、アウトロウということですか?」

「そうだ。その入れ墨は、悪魔の銃を持っているのと同じだ。野の人々は普通、我々が守るべき市民の前には滅多に姿を現さないから、表だって掃討するようなことはしないが……」

「市民の前に姿を現した以上、何らかの害意がある、ということですか」

「ああ。無法者どもと行動を共にしているなら間違いないだろう」

 ジェイムズは少女の姿を思い出していた。赤い肌、黒い髪。とても、悪人には見えなかった。だが、屋根の上を走る少女の、獣じみた金色の光。怒りと敵意をむき出しにしたあの姿は、確かに異様に思えた。

 一方で、どこか安心している自分にも気づいた。少なくとも、あの少女は無法者たちによって人質にされたり、売り飛ばされたりするわけではないのだ。不思議だが、彼女自身が無法者であることのほうが、よっぽど気が楽だった。

「ジャスティスくん、君は確か」

「は、はい」

 物思いに沈みそうになるジェイムズを、ダリウスの声が引き戻した。

「確か、連邦保安官に任命されたばかりだったな」

「はい。まずは現場をその目で見るため、ホワイト保安官の指示に従えと、大統領から伝えられました」

「では、次の指示を出そう。彼らを追いたまえ。無法者ふたりは生死不問デッド・オア・アライブだ。射殺しても構わない。少女は拘束したまえ。野の人々が何を考えているか分からない以上、その少女から話を聞かなければならない」

 低く、落ち着いた調子でダリウスが告げる。ジェイムズは緊張に喉を鳴らした。

「……分かりました」

 悪党たちの顔が思い出される。バンダナを巻いた少年。ハットをかぶった男。入れ墨を入れた少女。自分の銃が、ひどく重く感じられた。彼らが何を企んでいるか分からない。もしかしたら、あの馬車強盗はとんでもない悪事を働くための第一歩だったのかもしれない。そう思うと、何万人もの市民の命が、自分の背中にのしかかっている気がした。

「案ずることはない」

 内心を察したのか、ふとダリウスの声が穏やかなものになった。

「こちらからも助っ人を送る。電話がある場所に着いたら、必ず私に連絡するようにしてくれたまえ」

「了解です」

 ジェイムズは電話を切り、町長に礼を言って表へ出た。

 助っ人。どんな人物かは分からないが、ただでさえ数に不利がある状況だ。助けは心強い。そうなれば、まずは、

「助っ人が来るまで、奴らを見失わないようにしないとな」

 ジェイムズは呟き、シルヴィアへと跨がった。




「で、どうするんだ?」

 ようやく馬が落ち着いてきたのを見て、クラウドがレイニーに問う。

「どうって、何が?」

 なぜか、サンディが聞き返した。

「これからだよ。馬車強盗で儲けるつもりが、とんだ貧乏くじを引いちまったからな」

 クラウドは妙な意地を張って、あくまでレイニーの方を向いたままである。目を向ける代わりに、親指でサンディを示した。

「しかもこいつは記憶喪失を主張して何の役にもたちそうにないし。果ては、連邦保安官に追っかけ回されてるんだ。あーあ、ついに俺もお尋ね者の仲間入りだ!」

 頭を抱えて叫ぶクラウド。レイニーはひょいと肩をすくめた。

「まだそうと決まったわけじゃない」

「どういうこと?」

 なぜと聞くのが自分の仕事だとばかりに、サンディが反対側に首をかしげた。

「賞金首になるには……つまり、指名手配をかけられるには、けっこう手順が必要なんだ。ろくに調べもせずに懸賞をかけることはできない。じゃなきゃ、賞金稼ぎがそいつを連れてきた時に本物かどうか確かめることができないからな」

「それじゃあ、しばらくはさっきの連邦保安官が俺たちのことを追いかけて調べるのがせいぜいってことか?」

「奴が、指名手配に必要な情報を集め終わるまではな。それまではおとなしくしていればいい。それから隙を見計らって、別の州に逃げる」

「それまでは、どうする?」

 悪党ふたりの会話を、サンディはぼんやり聞いていた。右へ左へ、彼らが話すたびに首を振っていた。と、不意にレイニーと目があう。彼がこちらに目を向けたのである。

 表情に困って、サンディははにかんだ。レイニーは何百人もの女に向けてきた笑顔で答えてから、ふっと真顔に戻ってクラウドに向いた。

「この子の価値を確かめる必要がある」

「役立たずだろ」

「そんなことないもん!」

 クラウドの意見に、サンディがむっと身を乗り出した。

「だって、価値を確かめる方法がないだろ。分からないのはないのと同じだ」

「確かに俺たちには分からないが、それなら知ってる奴に聞けばいい」

 はっとしてクラウドがレイニーの顔を見た。彼の細面には、危険と分かっていながら綱渡りに臨む演者の、自分を試してやろうというような涼しい笑みが浮かんでいた。

「おいおい、本気か、レイニー? そいつはやばいぜ」

「この子が奴にとって価値のあるものなら、それを盾に交渉してやりゃあいい。わざわざ馬車に乗せて運んでたぐらいだ。空振りってことはないだろう」

「……ど、どうするの?」

 いくらか不安げに、サンディが聞いた。レイニーは、自分の馬へ歩み寄りながら答えた。

「ガストン・ヴォルカニックに会いに行く」

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