第59話 三人目の存在

「お前の策が上手く行ったようだな」


 ここはクロノス商会に設けられた父の部屋、今は誰も近づけるなと言っているのでこの部屋に近づくものはいないだろう。

 父はテーブルに置かれたコーヒーを飲みながら書類に目を通される。


 ロベリアがやらかしたコーヒーのブランド価値の低下を誤魔化すため、従来の高級品とは別に、低価品を作り王都への流通を増やすことに成功した。

 元より利益を優先させた考えだったので、今回の査定条件には不利な状況だったた。その為いずれはコーヒーの市場を拡大させる必要があったのだが、タイミング的にはちょうど良かったのではないだろうか。


 私の第一の目的は父に爵位を継承させること、別に自分自身が爵位を継ぎたい訳ではない。本来なら母と私を放っておいた父を恨むところなのだろうが、そんな感情はとうの前に捨て去った。


 私が父と再会したのは四年前、母が亡くなった事を知らせる手紙を出したことがきっかけだった。




 私は18歳まで母一人に育てられた。

 生活は貧しいながらも高等部まで通わせてくれた母には今でも感謝しきれない。

 そんな母も長年の苦労が祟ったのか、私が学園を卒業する頃には亡くなってしまった。


 ある日母の遺品を整理していると木箱に丁寧に入れられた一通の手紙を見つけた。

 その手紙は亡くなったと聞かされ続けていた父から母に宛てられた物、内容には母と私を捜しているとの事が書かれていた。

 その手紙を見つけた時、私は父が生きているのではないかと思い、送り元とされる住所に手紙を出した。

 別に今更父親だと名乗って欲しいと言うわけではなく、ただ父が母に宛てた手紙の内容にどれだけ母を愛していたかが感じとれてしまったからだ。だからせめて母が亡くなった事だけを伝えようと思っただけだったのだ。


 手紙を出して数日後、突然目の前に父が現れ私に対して謝ってきた。

 父の話ではずっと母と私を探していたらしい。一時は母の居場所が分かり手紙を出した後すぐに駆けつけたが、その時はすでに母と私の姿はなかったらしい。


 父はある爵位を継承する家の次男で、母はそのお屋敷に仕えるメイドだったらしい。二人はもともとそれ程関わりあう事もなかったらしいのだが、ある事をキッカケに急速に関係が近くなり、やがて二人は恋に落ちて母は私を身ごもった。


 時を同じくして父には正式な婚約の話が持ち上がっており、母は早急に屋敷を後にしなければならなかった。なぜなら父との関係がその婚約者に気付かれてしまったから。


「後で分かった事だが、マグノリアに脅されていたらしい」


 父が言うには母との関係に気づいた婚約者が、母の両親を盾に脅してきたらしい。身分違いの恋が元で周りが不幸になったり、父が爵位継承権を剥奪されたり屋敷を追い出されたりする事もあると。


 その頃の父は別段爵位に興味があった訳でもなかったが、母にとっては問題だったらしい。自分のせいで父が不幸になってしまうのではいかと思い込んだ母は、自ら身を引く事を選んだ。


 父は行方をくらませた母を捜し続けていたそうなのだが、やがて婚約を断りきれず数年後に無理やり結婚。その後もずっと母と私を探していたとの事だった。

 別に私は父も母も恨んではいない、お互いの気持ちが分かっただけでも十分だった。だけど母を追い込んだあの女だけは許せない、それに伴う何も知らない二人の子供も。


 父と一緒に暮らしている双子の子供には父の血が流れていないらしい。

 ずっと拒んでいた婚約を、無理やり結婚まで追い詰めて来たのは自らの妊娠を誤魔化すため。母には妊娠で脅しを掛けていたのに、自分はどこの男かもわからない相手の妊娠を誤魔化すために結婚を迫るなんてふざけている。


 この時に私にある種の感情が芽生えてしまった。

 母を追いやり、父を自分可愛さに利用したあの女が許せない。ならば母と同じ思いをさせてやると。


 父を影で支えるようになってからわかった事だが、あの女のせいで父の事業は火の車だった。負債の大半が無駄な出費によるもの、私が気づいた時にはもう手の施しようがなかった。


 結局残されたのは多大な借金。そこで貧しいながらも暮らしていくるなら良かったのかもしれないが、あの女は現状に満足出来ず、あろう事か父の兄にあたる人から爵位を奪おうを言い出してきた。

 その時私は父を止める事が出来れば良かったのだが、父は私に爵位を継がそうという野望が目覚めてしまったのだ。






「ですが、このままではまだ不安要素があります」

「不安要素?」

「クロノス商会の事です」


 父から聞かされた例のパーティーでの一件。私の従姉妹にあたるアリスと言う名の女性が父に言った一言、『あぁ、私のお父様達が立ち上げた商会ですね』

 確かに彼女が言うとおりクロノス商会のままでは不利なのは否めない。

 全く我が従姉妹ながら末恐ろしい。自分を買いかぶるつもりはないが、もし彼女と私が組めばアンテーゼ領はかつてない程繁栄するかもしれない。


 だが今となっては彼女が私と手を組む事は絶対にないだろう。

 間接的とはいえ私は彼女の両親を死に追いやってしまったのだから……。


「何か方法はあるのか?」

「できる対策としては一旦クロノス商会を閉じて新たな商会を立ち上げるのです。

その際に人員や無駄な商品なども切り捨て整理もできますし、商会の全てが父さんの功績として残す事ができます」


 だがこれには一つ問題がある。クロノス商会を閉じるという事は生産農家との専属契約が一時的に消滅する事を意味する。つまりこの僅かな差をつけ入られてしまえば完全な負けが生じてしまう。

 だからこの情報は何処にも漏らす事なく内密に進めなければならないのだ。


 今回コーヒーの出荷量が増えた事に対しても彼女は考えもしなかった方法で対応してきた。低価格で販売し始めたコーヒーを利用し、新しい新種のコーヒーを生み出してきたのだ。一体あの発想はどこからでてくるのか不思議でならない。


 一時は屋敷を追い出す事成功し安心していたのだが、今度はより脅威となって戻ってきただけではなく、気づけば今私たちの上を走っている。

 祖父が彼女に期待を抱くのも頷けるというものだ。

 だけど今更もう手を引く事は出来ない。人を殺めるという道を進んだ時から振り向く事は出来なくなったのだから。


************


「クロノス商会を閉じて新しい商会を立ち上げる?」

「確かにいい考えかもしれません。これならば今までの悪いところも一斉にリセットする事ができます」


 ライナスの一件がどうしても腑に落ちない私は色々調べていた。

 そんな中飛び込んできた情報がヴァーレと言う名の男性と、クロノス商会を閉じるという話だ。

 確かヴァーレとは私がまだお屋敷にいた頃に一度であったことがある。

 あの時は叔父が連れて来た執事としてグレイから引き継ぎを受けていた若い青年だ、直接は話した事はないが、グレイのから聞いた話では中々優秀な人物だったらし。


「それにしても何故貴方が私に情報をくれるのかしら?」

「もうこれ以上彼らにはついていけないと思ったからです」


 彼、エスニアの兄であり現クロノス商会の代表であるギルベルトが私の元へ訪れたのはつい先ほどの事だ。

 なんでも叔父とヴァーレが話している内容を聞いてしまったらしく、どうしていいものかと悩んでいるうちに妹であるエスニアの元へ来ていたらしい。


「私は商会で働く者の為を思い両親を追い出しました。今となっては私が間違っていた事は分かっております、クロノス商会がなくなってしまう事も仕方がないでしょう。だけどこれ以上社員を切るなんて事は見過ごせません」

 そう言って涙を流す彼に嘘はないと感じてしまった。


「ギルベルト、今回の一件は私の力の無さが招いた事でもあるわ、だから社員の事は任せてもらえるかしら。

 今更こんな事を言うのもなんだけど、私たちはクロノス商会を倒産へと追い込んで、その後全ての社員をこちらの商会で引き取るつもりだったのよ」

 結局失敗に終わったけど私はルーカスと考えていた内容を全て伝えた。その上で私たちに協力してほしいとお願いしたのだ。


「分かりました、全てアリス様のご指示に従います。ですから社員の事よろしくお願いします」

 全てを聞き終えたギルベルトは、私たちが今から何を行うかを理解した上で協力してくれると言ってくれた。


「ありがとうギルベルト。それと貴方自身の事も私たちには必要なのよ、だから全てが終わった後にはエスニアと両親に謝ってあげてね」

 クロノス商会の存続はもう難しいだろう、そして新しく生まれ変わるローズマリー商会には彼らの存在が必要不可欠だ。


 彼は今回の一件で責任を感じているだろうから身を引くつもりなのかもしれないが、本来責任を負わなければならないのは私の方だ。そんな彼をこのままにしてく訳にはいかない。

 まずは家族との和解から初めて、新しい道を歩んでほしいと思っている。

 ギルベルトは私の話を聞いた後、何度も頭を下げながら帰って行った。


「お嬢様、私は貴方と出逢えて良かったと思っております」

「どうしたのよルーカス、突然変な事を言い出して」

 誰もいなくなった部屋で真剣な顔付きのルーカスが私に語りかけてきた。


「ヴァーレと言う人物がどのような者かは知りませんが、お嬢様こそ爵位を継ぐに相応しいと改めて思いました。

 貴方は過去の罪滅ぼしだと言われておりますが、そのお陰て救われた者も多くいます。ですからこれ以上ご自分を責めるのはお止めください」

「……ありがとう、考えておくわ」

 ルーカス、それは無理な話よ。

 もし私が本当の意味で笑える事が出来る日がやってくるのであれば、それは全ての決着がついた日になるだろう。

 クロノス商会の人たちを助け、アンテーゼ領の人々の為に尽すまでは、私は自分の罪を背負い続けると決めたのだから。

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