第57話 愛のミルフィーユ
「何なのこれは……」
ルーカスが調べてくれたクロノス商会の詳細が書かれた報告書を読んで、私は驚愕した。
この一ヶ月程でコーヒーの価格を昔の正常な価格に変えてきたのだ。
「やられました、まさかここで自らの利益を捨てて、コーヒーの輸出をメインに切り替えてくるとは」
コーヒーの価格が安くなると市場に多く出回る、そのお陰でアンテーゼ領の出荷量も増えてしまったのだ。
しかも今まで高値で取引されていたせいでコーヒーにブランド力がついてしまい、人気に拍車を掛けてしまっている。
「これは思っている以上に厄介かもね」
「ええ、コーヒーを一般市場用と高級用の二種類に分けてきています。この方法よって販売店からの苦情も無くなるでしょう」
叔父は一般市民用の安いコーヒー豆と貴族様の高級豆に分けてきたのだ。これによって今まで市場に出していた物は高級用で、一般市民向けの安い豆を再販する事になったと言えば、どこからも文句はでないだろう。
おまけにアンテーゼ領には生産農家で止まっていた豆が大量に余っている。もともと行き場のなかったコーヒー豆だ、全て買い取るとか言えば通常より安く仕入れることが出来たのではないだろうか。
これで叔父は今まで通りの高級コーヒーの売り上げと、あたらに一般市民向け用の売り上げを手にすることが出来る。
正直このままではアンテーゼ領に恵みをもたらすと言う条件も、私を大きく上回ってしまうのではないか、そんな勢いが今のクロノス商会にはあるのだ。
「まさかこんな手を打ってくるなんて……ロベリアの店に気を取られてしまっていたとはいえ、全く叔父の策に気づきもしなかった」
「それは私も同じです。正直敵ながら見事なやり方だと思います」
このままではお爺様の査定で負ける恐れがある。確かにお爺様は私に爵位を継がそうとして下さっているが、正当な勝負とあっては叔父の方を認めなければならないだろう。私はあのパーティーで出席者に聞こえる様に話してしまっているのだ。
唯一の落とし所はこの戦略をとったのが叔父と言う事だが、表向きはロベリアの店が存在感を出してしまっている。
「これでクロノス商会の倒産は難しくなったわね、おまけに私たちは早々にロベリアの店の売り上げを上回る必要が出てきたわ」
二号店の売り上げを足せば現状でも勝ているのだが、一号店は完全にロベリアの店に押さえ込まれてるのだ。
今まではプリベリ(プリンセスブルーロベリア)の背後にあるクロノス商会だけを相手にしていたが、ここに来てローズマリーVSプリベリと、ローズマリー商会VSクロノス商会の構図が出来上がってしまった。
救いと言えばラクディア商会が私の味方ということだけど、コーヒーの出荷が息を吹き返した事で今後の展開が怪しくなってきた。
「現状で一番有効な策は、一号店で販売しているケーキの質の違いを分からせる事です。間もなく店頭に並ぶ菓子パン効果で客足は戻ってくるでしょう、その時に改めて食べたケーキでお客さんを気づかせるのです」
「それにはやはりエリクの存在が必要になるわね」
エリクが自分の弱さを乗り越えるために待っていたが、そんな事を言っていられる状況ではなくなってきた。
「こんな事は言いたくはないのですが、最悪お嬢様かディオンさんが……」
「分かっているわ、だけど一度だけチャンスを頂戴。何とかエリクを立ち直らさせてみせるから」
恐らく時間的にこれが最後だろう、本当は自力で立ち直って欲しかったがそうも言ってられない。せめて何かキッカケでもあれば……。
翌朝、私は3人の精霊たちとエレンを引き連れ一号店へ向かう事になる。
エリクを立ち直らせる為に……
************
「エリクしっかりして! 貴方は調理長なのよ、こんな雑な作り方じゃ店頭に並べられないわ」
私がお嬢様に無理を言って調理場に入るようになってから一週間、日に日にエリクの顔色が悪くなるにつれ、ケーキ作りが雑になっていった。
新しく入った料理スタッフの二人は、私とお嬢様が性格重視で選んだおかげで今はエリクに不満を言う事はないが、この状況が長く続くとそうも言ってられないだろう。
「すみません……」
もう、すみませんじゃないでしょ。もっと男らしい所を見せてよね。
以前はケーキを作っている姿だけはカッコ良かったのに……って違うでしょ、今はそれどこじゃない。早くなんとかしてエリクを立ち直らせないと、一号店は大変な事になってしまうかもしれない。
日に日に落ちていく売り上げにお嬢様や私は色々対策を講じているが、未だ糸口を掴めずにいるのだ。
幸いホールにはリリアナがしっかり新人スタッフを仕切ってくれているから、私が調理補助として入っていても問題はでていないが、なるべく早く本来の持ち場に戻り新な対策を考えなければならない。
そんな時だった……
「エリクはいるかしら」
調理場に入ってきたのは会長ことアリスお嬢様。平日の、それも開店前の忙しい時間に調理長であるエリクがいないわけはないのだが、あえて声に出したのはスタッフ達から注目を集めるためであろう。
見た目は美人、中身は天然さんのお嬢様は、ひとたびスイッチが入ると別人かと思えるほど人が変わる。
しかも中々の策略家で、いったい何処まで計算して行動しているのかと疑いたくなるほどだ。子供の頃から両親の元で鍛えられた私でさえ、正直正面から勝負を仕掛けたら適うかどうか怪しい。
「お呼びでしょうかお嬢様」
「エリク、いきなりで悪いけど私とケーキ作りの勝負をしなさい」
スタッフが見守る中、お嬢様がいきなり訳のわからない事を言い出された。
たぶんエリクの事を考えてだと思うけど……。
「勝負ですか?」
「ええ、私に勝ったらエスニアをあげる。でももし負けたらこの店を辞めてもらうわ」
ブフッ!
いやいや、何故私が景品に!? それに負けたらエリクが店を辞めてしまうって!?
読めない、全くお嬢様の考えが読めないわ。
さすがに本気でエリクを辞めさせるとは思わないけど……私をエリクにって、ところはいろんな意味で悪意を感じる。たぶんこの間の仕返しだろう。
お嬢様の話を聞いたスタッフの反応はそれぞれ異なる。驚き戸惑う者(主にエリク)、呆れてジト目で見る者(主に私)、今から何が起こるのか興味深々の者(その他大勢)。
あの二人が辞めた以降、お嬢様がいろいろスタッフの事を気にかけるようになった。本人は場を
例えをあげるなら、シロの可愛さで癒しを与えようと突然店の中にシロを侵入させ、売り物のケーキを根こそぎ食べられたり、私専用の新しい制服を作ってきたかと思うと、紐を引っ張ったらスカートが短くなったり、ロシアンケーキだとか言ってケーキの中に一つだけ激辛クリームを練りこんでいたりと(私が当たった)。スタッフは全員喜んでいるが、被害を受ける身としては正直たまらない。
そのため今回の出来事もエリク以外は誰も真剣には考えおらず、いつもの娯楽程度にしか見ていない。
「負けるのが怖いなら別にこの勝負に乗らなくてもいいわよ。だたしその場合、エスニアは私がもらう事にするわ」
もらう事にするって……悪いが私にその手の趣味は全くない。お嬢様もどちらかといえばシスコンのはず、つまりこれはエリクを勝負に駆り立てようとする事半分、私をからかう事半分といったところだろう。
……後で絶対仕返しをしよう。
「……わかりました。この勝負受けさせて頂きます」
そこまで言われればエリクも断る事は出来ず渋々といった感じで勝負を受ける。
「いい返事ね、それじゃお題だけど……今一番大切に思っている人の為に作るケーキよ」
「一番大切に思っている人の為のケーキ……」
そう言う事ですか、今のエリクに足りないもの……いえ、失ってしまったもの、それは食べてくれる人への思い。
お嬢様はエリクにそれを思い出させようとしているんだ、私と言う餌をぶら下げて……。よし、やっぱり仕返しをしよう。
「あ、そうそう。補助役として一人つけていいわよ、私はエレンにお願いするから」
「補助役ですか?」
「ええ、開店前だから時間がないからね」
「……わかりました。エスニアさん、お手伝いをお願いできますか?」
「いいわよ」
私の了承を得て改めてケーキ作りの勝負が始まった。
いつにもなく真剣な顔つきで下準備をしていくエリク。普段は頼りないのに、お菓子を作っている姿だけはカッコいいのよね。
エリクの指示に従って素早く作業を進めていく。一方お嬢様の方はエレンさんが卵を包丁で割ったり、小麦粉をくしゃみで吹き飛ばしたりとトラブルが続いている様子。
あれ? もしかしてエレンさんって料理ができない人?
やがてこちらのパイ生地が焼きあがり、チョコクリームと生地を何枚も重ねあげ丁寧に仕上げていく。エリクが作ったのはイチゴのミルフィーユ。私の大好きなケーキの一つだ。
お嬢様の方もどうやら完成したようで、二種類のケーキがテーブルへと並べられた。
途中エレンさんのトラブルが無かったかのような可愛いお嬢様のケーキ、キッシュトルテと呼ばれるらしいが今まで見た事がない種類だ。見た目はチョコのスポンジにクリームでコーティングした感じだが、切り口から見えるのはクリームとチョコのスポンジを何十にも重ね、ココアパウダーとチェリーで飾り付けられた見事な出来ばい。
客観的にみてエリクのケーキも見事なのだけど、正直お嬢様のケーキにまでは及んでいない。
お嬢様はエリクに負けるつもりじゃなかったの? これじゃエリクを辞めさせようにしか思えないんだけど。
お嬢様が一体何を考えているのかがわからず様子を見ていると、いつも冷静なお嬢様が何やら落ちつかず、エレンさんと何やら慌てながら話されている。
やがて話がまとまったのか私にアイコンタクトをしてきて、何かを伝えようとしている事に気づいた。
いや、何言ってるかわかんないんだけど。
「実はですね」
「きゃっ」
突然私の耳元で話しかけてきたのはお嬢様の精霊の一人のリリーちゃん。幸い私の声はエリクには聞こえなかったようで助かった。
「何かトラブルでもあったの?」
「はい、ママがエスニアさんに伝えて欲しいと言われて来ました。えっとですね『エレンの失敗をフォローしているうちについつい本気を出しちゃいました。てへ』だそうです」
…………お、おバカぁ!
もともとエリクとお嬢様の実力の差は歴然なのだ、それを本気を出しただと!
しかも見たこともない新商品を出してきて、この後どうやってフォローしろと言うんですか!
時々あるのだ、しっかりしているように見えて大ポカをやらかす事が。
エリクなんて試食前にもう敗北感を漂わせている。
取り敢えずこの場をなんとかしないと。
「と、取り敢えず試食してみない?」
私がいろいろ対策を考えているとお嬢様が突然試食を持ち出してきた。
試食……そうよ試食よ!
「待ってください」
ざわざわ。
私の一言で一斉に注目を浴びる。
「この勝負エリクの勝ちです」
ざわざわ。
「今回の勝負は『今一番大切に思っている人の為に作る』というお題だったはず、だけどお嬢様のケーキにはそれを感じられません。逆に見た目はお嬢様のケーキには負けているかもしれませんが、エリクのほうは愛情がたっぷり篭っています。だからこの勝負はエリクの勝ちなんです」
自分でももう何を言ってるのか分からないし、こっぱずかしい事を言っている事も十分承知している。だけどここは屁理屈でも何でもゴリ押ししなければならない。
お嬢様も分かっていますよね! っとアイコンタクトで訴える。
「そ、そうだったわね」
お嬢様の大根役者は相変わらずだけど、この際目をつぶっておこう。
「悔しいけど私の負けよ。それじゃエスニアはエリクにあげるわ」
って、そうだったぁ! エリクが勝てば私はエリクの物になるんだったぁ!
柄にもなくワタワタしてしまう私に対して、真剣な顔つきで私に近づいてくるエリク。
えー、何私どうなっちゃうの!?
「エスニアさん」
「は、はい」
「今僕に出来る精一杯のケーキです。食べていただけますか」
そう言って差し出してきたのは今作ったばかりのミルフィーユ。
「……ええ、もちろん」
エリクが作ったミルフィーユは、甘くサクサクしてとても美味しかった。
エリクはこの件を境にに見事復活を遂げ、私はスタッフから冷やかされる事になる。
その後私はお嬢様への仕返しのため、公爵家のご令嬢ユミナ様と水面下で罠を仕掛ける事になるのだが、それはまた別のおはなしである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます