第50話 陰謀の影
ゴトゴトゴト
「グレイ、ここはどの辺りなのかしら?」
「先ほどインシグネ領を通り抜けましたので、もうここはアンテーゼ領でございます」
領の境目であるこの切り立った地形は、岩山と深い谷底に挟まれた道。
今ではある程度整備されているようだが、ひとたび馬車の操作を誤れば谷底まで一直線に落ちていく事だろう。
「それじゃこの辺りだったのかしらお父様達が事故に合われた渓谷は」
二年前に両親が亡くなったのがこの辺りだと聞いていた。
確かにこの深い谷底に馬車ごと落ちてしまえば、例え防御魔法で防いだとしても助かることは出来ないであろう。
私は現在アンテーゼ領にあるラクディア商会へと向かっている。
理由はフィオレ叔母様の子であるルーカスに会いに行くため。ルーカスに爵位継承権の話しをする事と、一度叔母様に会って話しをしたかったから。
私は付き人にグレイ、護衛役に三人の精霊達、御者をカイエルに頼み、三人と精霊達でアンテーゼ領に向かう……予定だった。
だけど現在御者台には別の人が座り、乗っている馬車も我が家が所有しているシンプルな物ではなく、遠方へ移動する為の丈夫な馬車に乗っている。更に周りを取り囲むように馬に跨った7人の騎士様が護衛しているのだ。
「しかし本当に良かったのでしょうか? ただの伯爵令嬢の私に、王国近衛騎士団の一個分隊を護衛に付けて頂いて……」
「お気になさらないで下さい。陛下と騎士団長からのご命令ですので」
「そうですよ。次期王妃様のご友人であり、未来の騎士団長婦人になるお方なんですから」
未来の騎士団長というのはジーク様の事なんだろう。
どうやら私たち本人が知らない間にどんどん話しが進んでいる気がするのだけど。
「ミズキさん、私はまだジーク様とお付き合いすらしていないのですが……」
「あ、お気になさらないでください。私たちが勝手に言ってるだけですから」
私たちの目の前にいる方はミズキさんとサツキさんと言う女性騎士。外で護衛してくださっている同じ分隊の隊員さんで、分隊長さんから私の近辺警護をするよう仰せつかっているらしく、今も同じ馬車に同乗している。
つまり私一人の為に9人もの騎士様が警護に当たっているのだ。
なぜこんな事になったかというと、先日のお茶会で私がアンテーゼ領に行く事を報告したから。
そらね、私だって陛下がいる前で言うつもりなんてなかったわよ。完全に個人的な理由だし、陛下には全く関係がないんだもの。
だけどお茶会の席で『もしも今後、どこかの屋敷に呼ばれた時や王都を離れる時は必ず報告するように』なんて陛下直々に言われたら喋らない訳にはいかないでしょ。
結果、一個分隊の護衛と馬車が知らぬ間に用意されていたのだ。しかも私が断れないようグレイに口止めをした上、当日になってこっそり屋敷の前で待機させておくとか……絶対ルテアの入れ知恵よね。
全く、いくらお父様が陛下の親友だったからとはいえ、ちょっと心配しすぎじゃないかしら。
馬車が街に近づくにつれ田園風景が広がってきた。
今の季節はすでに収穫が終わっているせいか、壌土がむき出しになっているところが多い。これからは本格的な冬にかけて土の中で育つ野菜へと切り替えていくのだろう、農家の人たちが畑を耕している姿が見える。
この世界には田畑を耕す機械なんてないから、すべて人の手作業で行われている。
私には本格的な農業経験がないから生産農家の真の苦労は分からない。だけどこの壮大な田畑を全て人の手で育てているかと思うと、改めて私の肩に乗りかかる重さに震え上がってしまう。
私は今一度、爵位を継ぐという意味をじっくりと考えねばなるまい。
やがて馬車は田園を抜け、街中にある一軒の家の前で止まった。
私は扉をノックし、出て来た家の主人に挨拶をしてから中へと案内される。
「初めましてアリス・アンテーゼと申します。この度は突然の訪問にも関わらず、お話をする機会をいただき感謝いたします」
「そんな堅苦しい挨拶は抜きでいいわよ。私もアリスちゃんと呼ばせて貰うから貴方も普通に叔母さんと呼んで」
「ありがとうございます叔母様」
この方がお父様の妹であるフィオレさん。念のため事前にお手紙を送っていたが、急な訪問には違いない。
本来ならゆっくりとコンタクトを取ってからお会いしたかったのだけど、私が息子さんの爵位継承権を持ち出してしまったために、急遽会わなければならなくなったのだ。
「それで手紙に書かれていた内容だけど」
「ご検討頂けましたでしょうか?」
事前の手紙に書いていた内容、それは私にルーカスを預けて欲しいとお願いしていたのだ。
「ええ、だけど答えを出すのは私ではないわ。アリスちゃんがルーカスを説得出来れば連れて行って、だけど断った場合は」
「潔く諦めさせて頂きます」
私だって無理やり親子を引き裂くような悪趣味は持ち合わせてはいない。本人が断れば潔く諦めるつもりだ。ただその場合は別の対策は講じなければならないだろうが……。
「聞き分けのいい子ね。個人的には好きだけど、伯爵としては問題かもね」
「叔母様、その件は……」
「分かっているつもりよ。貴方が何を考えてルーカスを誘いに来たのか、誰が一番爵位を継ぐのに相応しいかもね」
手紙にはルーカスが爵位を継承する権利がある事と、爵位の選定条件を知らせていた。だけど私の考えまでは書いていなかったのだ。
私がやろうとしている事はルーカスの見極め。彼に爵位を継げる素質があるのなら、私が持っている知識を全て教え伯爵を継がせる。だけどその素質がなければ私の力を見せつけ、今後何があってもアンテーゼの血が流れている事を口外させないよう圧力を掛けるつもりだった。
たとえ本人が爵位に興味がなくても、誰かがその血を利用する可能性がある。特に今まで何も知らなかった者が、ある日突然自分に高貴な血が流れていると知った場合、多少なりと己が育った環境に不満を抱いたりするものだろう。
もしもその感情がお家騒動まで発展したら……私は、私自身と領民を守るためにルーカスを……。
そうならない為にも私はルーカスに全て話し、見極める必要があるのだ。
「申し訳ございません。ご子息を巻き込んでしまって」
「いずれこんな日が来るとは思っていたわ。でも私は貴方が来てくれてよかったと思っているのよ、領民の事を想ってくれている貴方だからこそ息子を託せるの。ルーカスの事をお願いね」
そう言って目の前で微笑む姿は元伯爵令嬢のフィオレさんではなく、どこにでもいるただ一人の母親の姿だった。
私にもし子供が出来たのなら、旅立つ子供の姿をみて今のフィオレさんと同じ表情をするのだろうか。
その日ルーカスを無事説得できた私は、そのままお爺様とお婆様に引き合わせ、翌朝王都へと旅立った。
その帰りの道中、インシグネ領に差し掛かった岩山の道で落石に合う事とになる。
そして私達が乗ってきた馬車は助かることが出来ない深い谷底へと落ちていったのだった。
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