ノア炎上

「ケヴィン!」


 リザが叫ぶ。

 そしてすぐさまここのドアを開こうとする。

 が――


 ――ドアが開かない。


 リザが何度も操作パネルを叩いても、ドアが開かない。

 ドアはノブではなく、操作パネルで開閉する仕組みだ。

 ドアが開かないのは、ハヅキの仕業だ。


 ――だって私は、どこにでも行けるからね。


 ハヅキはそう言った。

 つまりハヅキはドアの操作パネルに入り込み、ハッキングし、ロックを解除できないようにしているんだ。

 しかし、開かないなら壊せばいい。

 簡単だ。

 今のリザの手の中には、分子を振動させて何でも斬り裂いてしまう超振動ブレードがある。

 レイベンのハッチすら簡単に斬り裂いてしまった代物だ。

 ここの部屋のドアなんて、簡単に斬り開いてしまう――そう……思ったんだが……


 ――ブレードが叩きつける、乾いた音。


 その音の数だけ、リザは超振動ブレードをドアに叩きつけている。

 何でも斬れる超振動ブレードが、ドアに全く歯が立たないのだ。


 なぜだ?


 そうか。

 そういうわけか。

 どこにでも行けるハヅキは、超振動ブレードまでをもハッキングし、超振動を発動させないようにしているってことか。

 超振動が発動しない超振動ブレードなんて、ただの棒だ。役立たずの棒なんだ。

 超振動ブレードが機能しない。

 だからリザは、足を使う。

 リザは何度もドアを蹴る。

 蹴ってもダメなら、体当たりする。

 それを何度も繰り返した。

 でも、ダメだった。

 ここのドアは頑丈で、ビクともしない。

 リザは下唇を強く噛み締める。

 そのせいで、白い前歯の隙間から、血が滲み出る。

 そのまま振り返り、ハズキを睨む。

 そして――


「早く開けろ!」


 リザは叫んだ。

 そのリザには、今までの気だかさと勇敢さが微塵もない。

 そこにいるリザは、焦りに自分が呑み込まれてしまった、哀れな女でしかなった。

 そんなリザを見て、ハヅキは愉快そうに笑った。

 そして、こう言った。


「ヤダよ。リザさん」


 その言葉が引き金となった。

 リザは超振動ブレードをハヅキに向かって振り下ろした。

 さっきも言ったが、超振動が発動しない超振動ブレードなんて、ただの棒だ。

 しかしブレードの部分は金属でできているから、人間相手であれば、それなりの武器になる。

 ただし、相手が“人間”であれば……の話だ。

 リザがハヅキに向かって超振動ブレードを振り下ろす途中、ハヅキは両足を揃えたまま、その足を上にあげる。

 ハヅキの足首には、金属の拘束具が括り付けられている。

 調度そこに、リザの超振動ブレードが当たる。

 すると、どうだ?

 超振動が発動しないはずの超振動ブレードが、なんといとも簡単に、ハヅキの足首に括り付けられていた拘束具を斬り裂いてしまったではないか。


 ハヅキの足が自由になった。


 まさかとは思うが、ハヅキはその瞬間だけ超振動ブレードを発動させた、ということなのか?

 焦りに支配され、冷静さを失っているリザは、力の加減もわからずに、力任せに超振動ブレードをハヅキに向かって振り下ろしてしまった。

 だから超振動ブレードの刃先は床を力強く叩き、そこに一瞬の隙が産まれてしまった。

 その隙を、ハヅキは狙った。

 自由になった足を使い、ハヅキはリザの腹を思いっきり蹴った。

 その力は、凄まじかった。

 いや、凄まじいというレベルじゃない。

 だってリザはハヅキのキックによって数メートル飛ばされ、壁に激突したんだから。

 映画によくあるワイヤーアクションなんかじゃない。

 実際にリザは、あんな小さな体でしかないハヅキによって、数メートルも蹴り飛ばされてしまったんだ。

 馬鹿げてる。

 全く持って、馬鹿げてる。

 壁にぶつかった瞬間、リザからか弱い悲鳴が漏れる。

 今までのリザを知っている者なら、まさか彼女からこんな悲鳴が漏れることがあるなんて、誰が想像できただろうか?

 だから俺は、壁に激突した後に床に沈むリザに思わず駆けよろうとするが――


 ――よるな!


 リザは、無言でそう主張した。

 腕を俺の方に突き出し、俺を制する。

 それからリザは沈んだ体をゆっくりと起こす。

 足元はフラついているが、何とか立ち上がる。

 傷口が開いたからだろう。

 左肩の包帯からは、血が滲み始めていた。

 その頃ハズキは、両腕を左右に広げ、両手を拘束していた金属の拘束具を難なく壊してしまった。

 まるで拘束具が紙でできていたかのように。

 リザは、そんなハヅキをまた睨み――


「ファッキュー!」


 その言葉が合図だった。

 まるでスターターピストルの雷管の破裂音だったかのように、リザはその言葉と共に超振動ブレードを構えてハヅキに向かって突っ込む。

 そしてリザは再びハヅキに向かって超振動ブレードを振り下ろす。

 だがハヅキはそれを簡単によけてしまう。

 ハヅキには動きがゆっくり見えているのだろうか? それとも、リザの行動を予測しているのだろうか?

 いずれにせよ、リザの動きは止まらない。

 躱されても、躱されても、何度も何度もハヅキに向かって超振動が発動しない超振動ブレードを振り回す。

 そんなリザが、途轍もなく痛々しかった。

 だから俺は少しでも彼女が救えないかと思い、持っていたリボルバーでリザをカバーしようと試みた。

 だが激しい動きを繰り返すリザがハズキに重なり、うまくハヅキを狙うことができない。

 このままでは、発砲してもリザを撃ち抜いてしまうかもしれない。


「そんなに“彼”のことが好きなの?」


 リザの攻撃をよけながら、ハヅキは言った。


「黙れ!」

「もう、照れちゃって。かわいい」

「……」

「一緒だね。私もお兄ちゃんのことが大好きだよ。確かに顔は中の下で、頭もあまりよくない。おまけにこっそりパソコン見ながらオナニーしているし、でもね、それでも私はお兄ちゃんのことが大好きなの。だってお兄ちゃんは――」


 その言葉の後に、ハヅキは俺の方を見た。

 でもそれは一瞬だけで、ハヅキの視線はすぐにリザに戻った。

 リザは依然としてハヅキに向かって超振動ブレードを振り回している。


「ねえ、リザさん。そんなに彼のことが好きなら、私があなたを彼と一緒に素敵な場所に連れて行ってあげるよ。ここはノア。つまり方舟。だからホントに滅びゆく世界から、願いの叶う世界へと連れて行ってあげるよ」

「あの世のことか? 死ぬのはお前だけにしろ!」

「死ぬこととは、少し違うよ。リザさん。まあ、確かに死ぬことは死ぬんだけど、それだけじゃないんだよ。《アレ》が動いている限りはね」

「何度も言わせるな! あの世に行くつもりはない!」

「もう! だから違うんだってば!」


 それからリザの当たらない剣舞は続く。

 しかし左肩の傷が開いてしまったことと、強化外骨格のアシストも無しに激しく動き回っているせいで、リザのスタミナが切れつつある。

 だから、見るも明らかに、リザの動きは鈍くなり始めていた。電池が切れかけたロボットの玩具のように。


「なんか、もう飽きちゃったよ。リザさんも、もう疲れたでしょ?」

「黙れ!」

「強がらなくていいよ。私ね、今ノアのボイラー室にアクセスしてて、そこにあるガスを船内中に充満させているの。そして意図的に電気系統をショートさせて、順次ノアを爆発させていくから」

「させるか!」


 リザの威勢とは裏腹に、リザの超振動ブレードはあっさりとハヅキに躱されてしまう。


「リザさん。ちょっと休憩しよ。そして冷静になろ。ここは比較的ボイラー室に近い場所。だからそろそろ――」


 ――爆発。


 その爆発は強烈だった。

 ここを閉ざしていたドアを簡単に突き破る。

 さらに炎が、この室内に一気に侵入してくる。

 当然、俺はそれから逃げることができない。

 リザも同じだ。

 俺たちは爆発に巻き込まれ、一瞬肉体が浮遊した後、全身を床に打ち付けた。


「……ぅ……っ!」


 言葉にならない呻き声が、俺とリザの口から漏れる。

 お互い呻き声が漏れるということは、俺たちは生きている、ということだ。

 それを知って、ひとまず安心した。

 俺は目を開ける。

 全身に鈍い痛みが残っているせいで、体をすぐには起こせない。

 でも上半身を少しだけ浮かせ、辺りを見回す。

 そこにはリザがいた。

 リザは下唇を噛みながらも、体を起こしている最中だ。

 やっぱり、この女は強い。

 俺もリザに追いつこうと試みるが、彼女のタフさにはかなわない。

 二歩も三歩も下がってついていくのがやっとだ。

 しかしここで、俺はあることに気付く。

 さっきまでいたモノがいない。


 つまり、ハヅキがここにいないのだ。

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