D みと 哲学 心理学

D みと作家

第1話 欲望とは事故を起こしやすい自動車のようなもの #哲学 #心理学 #とは #定期

欲望とは事故を起こしやすい自動車のようなもの #哲学 #心理学 #とは #定期


タイヤがパンクしエンジンが故障していてガラスが曇っている自動車があるとする。

どう見ても事故を起こしそうだ。乗りたいとは思わない。


欲望という仕組みも似たようなものである。


欲望という構造自体が欠陥構造なのだ。


欲望を達成しようとすると莫大な労力と能力と時間を必要とし、達成するまでのその間苦しみ続ける。


承認欲求を満たそうとすれば、他人に良く思われるかどうかで他人の自分ではコントロールできない意志の上下で、自分の躁状態鬱状態になるかが左右されてしまう。


それだけでなく、他人に気に入られたいがために莫大な身のこなしのための消費と金銭、地位と名誉を築くための労力を必要とする。


他人の思いはすぐに移ろいやすいため、莫大な努力も瞬時に消え去る。


事故を起こしやすい車には乗ることが難しいとわかる。

同様、欲望というシステムにおいて考え行動すること自体も事故を本来起こしやすいシステムであるため危険だとわかる。


欲望を達成できない時、人は自己の能力不足と環境の変化に悩み苦しむものだ。そしてその苦しみを否定したがる。自己を責める心情になる。


だが、もともと欲望というシステムそのものが、人々の中の個体差の違いとしての個の能力や環境変化以前に、欲望システムそのものが事故を起こしやすい車のようなもので、不完全で失敗しやすいシステムだと気づけば、自然と心は欲望というシステムにおいて存在し、思考行動しようと考えなくなり、その時には自己の能力不足や環境変化による欲望不適格という認識と苦しみは、2次的認識に過ぎなくなる。


欲望という閉鎖的認識からの自己の開放はこうして生まれる。


欲望というシステムの外側にいられる自己を理解したとき、欲望の中で生まれる快と苦は、あくまでも欲望というシステムの中で起こる嵐のようなものだとわかる。


この認識が理解できるとき、人は欲望内から解放され、その中の快苦にとらわれる必要のない自己を理解できるようになる。


欲望というシステムは、もともと欲望というシステムが求める、快を求め苦を否定する、という目的に合わない仕組みなのであり、もともと自己矛盾した構造なのだ。


欲望が目標を設定し、その達成失敗の判定で苦しみを自己に生み出す仕組みなのに、苦しみを生み出すと今度はその苦しみを否定しようと更にもがき苦しむ仕組みなのだ。


欲望という車に乗らなければ、そもそもこれらの苦しみは生まれない。


これを理解できるようになる時、悟った、と言われるようになる。


これを欲望の定理と言い、これは悟達の言語化である。


悟達を言語化し共通認識可能とすれば、すべての人を悟った人にすることができるようになる。


この文章はそのための理解を生む文章である。

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