第8話
その日、僕は初めて橋の下以外でお姉さんを見た。
お母さんにお使いを頼まれて、向かったスーパー。
その途中の交差点に、お姉さんは立っていて。
お姉さんはいつもとは違う私服姿で。
いつもは見ない格好だし、座っている姿しか見たことがないから
動いているとなんか変な感じがする。
お姉さんは1人じゃなかった。
派手な服を着た茶色い髪の女の人と、
お姉さんより少し背の高い、黒髪の女の人。
その顔はどちらもお姉さんによく似ていて。
そういえばお姉さん、姉妹がいるって言ってたなあ。
お姉さんのお姉さんと、お母さんだろうか。
話しかけるなんて勇気は僕にはなかったけど、
なんとなく3人を目で追ってしまっていて。
そのうち、あれ?と思った。
3人で一緒にいるのに、お姉さんは一言も話していないのだ。
話していないどころじゃない、表情も変わっていない。
お母さんとお姉さんのお姉さんは楽しそうに話しているのに、
お姉さんはずっと俯いたまま。
心臓がどくっと嫌な音を立てた。
まるでお姉さんがそこにいないかのように、
2人はニコニコと話し続ける。
優しいお姉さんの笑顔が、そこにはカケラもなくて。
2人が楽しそうであれば楽しそうなほど、
お姉さんがすごく小さく見えて。
その視界にお姉さんは映っていないのだろうか。
何となく寂しそうなお姉さんの横顔を思い出して、
あの笑っているのに悲しそうな顔を思い出して。
胸がきゅっとなんてしまった僕はそれ以上何も感じたくなくて、
お姉さんから目をそらしてスーパーへの道を急いだ。
「お姉さん」
「なーに?」
次の日、僕はまた橋の下にいた。
石段からお姉さんに声をかければこっちを向く。
どう話せばいいか分からなくて、
浮かんできた言葉をそのまま口に出した。
「昨日、お姉さんを見たんだ。」
僕のその言葉に、空気が変わった。
「・・お姉さんによく似た女の人たちと、一緒に信号待ちしてた。」
しばらく返事は来なかった。
代わりに、お姉さんは微笑んで。
「私、仲間外れだったでしょ。」
「っ・・」
僕の好きなお姉さんの笑顔じゃない。
またあの顔だ。笑ってるのに悲しそうで、なんだか切なくなる笑顔。
何も答えられなくなってしまった僕。
お姉さんもまたしばらく黙り込んで、
そしてゆっくりと口を開く。
「・・私のお姉ちゃん、すごく頭がいいんだよね。
だからいつもお母さんに褒められてて。」
対照的にお姉さんはあまり勉強が得意じゃなくて、
小さい頃お母さんに叱られてばっかりだったらしい。
「私は手を動かすよりも体を動かす方が好きでさ。
姉妹で正反対だね、なんてたくさん言われた。」
でもね、そう言ってお姉さんは微笑む。
「小さい頃にね、一回だけお母さんに褒めてもらったことがあるの。」
元々勉強は苦手で、特に嫌いなのは算数。
でもお母さんに褒めて欲しくて、笑いかけて欲しくて。
たくさん勉強をして、小学生の時算数のテストで
クラスで一番の点数を取ったことがあるらしい。
「その時お母さん、珍しく褒めてくれて。
ああ私でも褒めてもらえるんだ、なんて思って。」
元々勉強は苦手だけど、じっと座っている事すら辛かったけど、
友達と遊ぶ時間を減らしてお小遣いで参考書を買って。
頑張って頑張って、
でも、でも。
「結局お姉ちゃんには勝てなかった。」
ふう、とお姉さんは息を吐く。
「どれだけ頑張ってもやっぱり全然褒めてもらえなかったの。
・・・結局出来が違うんだよねえ。」
そう言ってお姉さんは笑う。
自分を馬鹿にするように笑う、から。
僕はなんだか悔しくなって。
「なんでそんなこと言うの?」
お姉さんは驚いたように僕を見つめる。
「お姉さんは頑張ったんでしょ?
なのにどうして自分の事バカにするの?」
何が悔しいのか分からないけど、
何に腹が立っているのか分からないけど。
お姉さんの事をバカにされたくないと思った。
たとえ、お姉さん自身にも。
「お母さんに褒めてもらえないなら僕が褒めてあげる。」
「100点だって花丸だってあげるよ。だから・・」
だから、なんなのだろう。
その続きは分からなくて、でもなぜか必死で。
このままだとお姉さんが消えてしまうような気がしたんだ。
僕の言葉にお姉さんはまだ驚いた顔のままで。
でもその顔が、ゆっくりと柔らかくなる。
僕の大好きな、お姉さんの笑顔。
オレンジ色の、笑顔。
「少年。」
「・・なに?」
「ありがとう。」
「・・・・」
「・・あ、また耳真っ赤になってる。」
「うるさいよ!」
いつもの調子で僕をからかったお姉さんは、
息をついてから空を見上げて。
広く晴れた空、髪の毛を揺らす心地よい風。
緑色の葉っぱが視界を鮮やかにして。
この時間がもずっと続けばいいのに、なんて思った。
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