第12話 大臣ファシムの焦り
執務室では、黒髪に黒い瞳、口から顎にかけて立派な髭を蓄えた男が、壮麗な椅子にふんぞり返っていた。
この男こそ、先王ウォーノン二世の愛妾エレーニ妃の兄――ファシム大臣である。
元はナハペト王国西方グレコの出身、奴隷剣士にすぎなかった。
だが、美貌の妹が王に見初められたことで、
彼は権力の座へと駆け上がったのだ。
——計画は順調に進んでいたはずだがな…だが、王子の姿が消えた以上、次の手を打たねばならん——
乳母ネリッサにティルダス王子を毒殺するよう命じたのに、従おうとはしなかったことで計画は狂いはじめた。
他にティルダス王子に警戒心抱かせずに接近できる者は誰もいなかったため、自らが動こうと決心したころには時すでに遅く、北の館はもぬけの空だったのだった。
エレーニ妃にのめり込むウォーノン王をそそのかし、ティルダス王子を北の館へと追いやり、ろくに教育も受けさせないようにして王位から遠ざけたまでは、うまくいっていたのに…。
なんだかんだこの国には、血統を重んじる傾向がある。
即位したばかりの甥・ウォルガスがいかに優秀であろうと、母親はグレコ出身の踊り子あがり…。
一方で、第二王子である
血統を重んじるナハラーと呼ばれる伝統的な大貴族階級の大半が、ウォーノン王亡き現在、
ティルダス王子を支持する動きが出てもおかしくはない。
過去に王族は、ナハラーを統制しきれなかった場合も多く、彼らの合議や支持なしに、安定的に統治することは、難しかった。
だが、ウォーノン王がエレーニを妃に迎えたことで、流れは変わる。
ファシムを大臣に召し上げ、ナハラーらに文句を言わせない・いわば強権政治となる。
姑息なファシムは、生きているうちに遺言状を書かせ、甥・ウォルガスを王位に就けて地位の安定を図ったつもりだった。
それが、ウォーノン王がティルダス王子を王位に就ける可能性があると密告を受け、素早くフリストンに王を毒殺をさせた。
王亡き後は、それまで不満に感じていたナハラーたちが動き出すかもしれぬ、どうしたものか——。
焦っていた矢先に、最大の脅威であるティルダス王子が逃亡した。
もしかしたら、味方を集めている可能性がある。
ティルダス王子とともに先のウォーノン王の護衛であり剣士、魔導士兼占星術師であるチグラスが同時に姿を消したのも、気がかりだった。
——こんなことなら、ヤツも懐柔しとくんだった——
ファシムは、ギリギリと歯噛みする。
…チグラスの家系はかつてナハラーであったが、現在は没落寸前のアストラツィニ家出身だった。
チグラス本人の努力によりウォーノン王の側近となっていたが、たいして重要な人物ではないと、完全に甘く見ていた。
そこへ来て、遠いオドリュス王国から第七王女リュシマ姫が亡命してきて、ウォルガスと恋仲になってしまった。
——ええい、あれほどのめり込むなと言ったのに、忌々しい!大国の姫との婚姻が決まっておるというのに…——
ファシムが苛立ちを募らせていたとき、毒使い士フリストンが姿を現した。
「失礼いたします、ファシム殿。ご報告がごぜぇます」
恭しく跪くフリストンに、ファシムは冷たく一瞥をくれる。
「申せ」
「ウォルガス王とリュシマ姫の仲が、思いのほか深まっております」
「そんなことは分かっとるわい!」
ファシムは苛立ちを隠さない。
「王はこの国を強固にするため、東の隣国パトスの姫を娶ると決まっとります。その障害となるリュシマ姫を、私めが消して差し上げましょうか」
フリストンの口元に、いやらしい笑みが浮かぶ。
「ふむ……」
ファシムは顎に手を当て、思案に沈んだ。
——ウォルガスの奴…散々、パトスの姫を迎えると諭してきたというのに、聞く耳を持たん。ならば、リュシマ姫には退場してもらうしかあるまい——
命を下そうとしたそのとき、
「いや、それは得策ではありませんな」
低い声が割り込んだ。
現れたのは背の高い男。
二十代半ばほど、艶のない灰髪に吊り上がった目をしている。
名はロムダスタ。
チグラスと同期の魔導士で、常に彼に劣等感を抱いていた。
「なに?」
ファシムが眉をひそめる。
「リュシマ姫は薬草に通じております。下手をすれば毒を見破られましょう。しかし、逆に利用できるやもしれません」
「どう利用する?」
「婚姻を認める条件として、ティルダス王子の暗殺を命じるのです。成功の暁には、私が姫を始末いたしましょう」
その一言に、ファシムの表情が一変した。
霧が晴れたように口元が緩む。
「おお! それは妙案よ!」
面白くないのはフリストンだった。
舌打ちをし、ロムダスタに食ってかかる。
「回りくどい! お主が魔導を使えるなら、まとめて始末すればよかろう!」
「ふん、チグラスが王子についているやもしれぬ。私なら容易く倒せるが……あの澄ました男が絶望に打ちひしがれる姿を見届けてこそ、愉悦となるのだ」
ロムダスタは残忍な笑みを浮かべた。
「勝手にせい!」
フリストンは不快げに吐き捨てる。
するとファシムは机上のパピルスの束を取り上げ、ちらつかせた。
「フリストンよ、そなたにも役を与えよう。ここにナハラーどもの名がある。知恵を絞り、薬を用いて味方に取り込め。ただし毒殺は許さん――疑念を招くからな」
フリストンは渋々ながら跪き、パピルスを受け取る。
その様子を見ながら、ファシムの瞳は冷ややかに光った。
「王子も姫も、結局は駒にすぎぬ。崩すも生かすも、この私の采配ひとつ」
こうしてファシムは、静かに盤面を動かし始めた。
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