今日の晩ご飯
「っ」
男が不意に動く。彼の陰に入るかたちになっていた俺には見えなかったが、待ち人が来たようだ。
「えっ、あっ」
やっぱりというかなんというか、彼はその人に通せんぼして、コートの前をがばりと開けた。あんな典型的な変質者ってまだいたのかよ!
中肉中背、年齢は三十代後半から四十代。いけるかどうか瞬時には測り兼ねたが、通せんぼされているのは女性かこどもにほぼ間違いないので、俺はいくしかないと思った。警官を待ってなどいられない。
「こらてめうぇっ!?」
罵声とともに飛びかかろうとした男の背中が俺のほうに迫り思わずよけてしまう。声も最後が奇声になる。
何が起きた。
彼がうめき声を上げ、地面に倒れ込んでいる。そのそばには学生鞄。そして制服姿の――。
「……!」
「汚いもの見せてんじゃねーよ!」
般若のような顔をした大坂千寿が、息を荒くして、鞄を投げつけた体勢のまま肩をいからせていた。
そのまま、あっけにとられた俺をちらりと見て、認識はしたようであるが、痴漢にとどめを刺したい様子で足さばきも荒くこちらに近づいてくる。
はっとなって、俺は彼女の前に立つ。
「何すんの! どいてよ!」
「駄目だ!」
「犯罪者かばうわけ? こいつ野放しにしといたらほかの女の子が……!」
「そうじゃないって!」
俺を押しのけようとした彼女の手首を掴んで遠ざけてねじ伏せながら、言い聞かせる。
「警察! 呼んであるから! 大坂さんがあんなのに、さわることないから!」
「一発蹴り入れてやんなきゃ気が済まないっつの!」
「大坂さん!」
民家の壁に大坂千寿を押さえつけ、なおも暴れる彼女を力でどうにか押さえ込む。
「変に逆恨みされて、別の意味で狙われたらどうするの!?」
「そんなもの返り討ちに……」
「できないよ! 今ここで俺を振りほどけるわけ!?」
「……っ」
悔しそうな顔をして、大坂千寿が俺を睨みつけ、そして足を振り上げた。
「いっ……!」
「どけってば!」
股間を局所的に狙われ、崩れ落ちる。さすがに、ちょっと、そういうの、反則だと、思います……。
危ないのに。彼女がひとりで成人男性をとっちめることなんて、できないのに、そんな細い背中で、細い腕で。
でも、ようやく起き上がった変質者のほうに歩いていく彼女を、金蹴りを食らった俺は苦々しく見守るしかできなかった。
「け、ケータイ……警察、警察……」
ポケットからスマホを取り出して、また番号をタップして通報しようとしたところで、ぱたぱたと数名の走ってくる足音がした。
「待ちなさい、お嬢ちゃん!」
「っ」
顔を上げると、制服姿の警官がふたり、駆けてきていた。さすがに、大坂千寿も立ち止まり、あとの処理を警察に任せることにしたらしく、おとなしくなった。
露出狂を捕まえるベテランらしい中年の警官のそばに立ち尽くしている大坂千寿を、ほっとして見つめていると、若い警官のほうがしゃがみ込んでいる俺に近づいてくる。
「大丈夫? 通報してくれたのはきみだね?」
「はい……」
「どうしたの? あいつにやられたの?」
「いや、その……」
「ごめんなさい、あたしがやりました」
しゃんとした声で、大坂千寿が自白する。目を剥いた若い警官が、とりあえず俺たちに、詳しい事情を聞きたいのだと、言ってくる。
その横で俺は不意に、チューリップを手折ったおさない少女のことを思い出していた。
「きみたちは犯罪者の検挙に協力してくれたわけだし、詳しく状況も聞かせてほしいんだ。少し時間がかかるけど、署のほうに、いいかな?」
「はい」
「……はい」
母親に連絡する。今日遅くなるわ。返信で、怒りのスタンプと、今日の夕飯彰吾の大好きなエビフライなんだけどな~、なんて送られてくる。
俺の夕飯、カツ丼になりそうです。
◆
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