春の雨はあたたかい

登夢

第1話 私はこうしてオッサンに拾われた

雨音で目が覚めた。春の雨が降っている。時計の針は5時を過ぎたところを指している。窓の外はまだ暗いけど、もう起きる時間。寝床はリビングのソファーの後ろにある。音のしないように布団を畳み、洗面所で身支度をして、静かに制服に着替えて、エプロンをする。


タイマーを仕掛けてあるので、ご飯はもう炊けているはず。冷蔵庫から冷凍のおかずを取りだしてお弁当箱に詰めてゆく。大きめのお弁当箱と小さめのお弁当箱の2人分。大きめのお弁当箱は特に念入りに作る。ありがとう、がんばっての気持ちを込めて。


それから、洗濯機を廻して、朝食の準備。牛乳をレンジで温める。食パンを焼く。ハムエッグを作る。リンゴの皮をむく。簡単なものばかり。負担にならないようにと言われているので、そんなに時間は掛からない。


6時に家の主の圭さんが起きてくる。


「おはよう」


「おはようございます」


几帳面な性格で寝坊することがないのには感心している。洗面所でお髭をそって、顔を洗ってから、部屋に戻りスーツに着替えて、朝食のテーブルに着く。スーツがとっても似合っている。ネクタイもセンスがよい。同居を始めてから一度も私にだらしない姿を見せたことがない。


「いただきます」


「いただきます」


朝食を摂りながら、お互いに今日の予定を話す。圭さんは仕事が立て込んでいて、今日は少し遅くなるかもしれないとのこと。帰宅時間をメールしてくれるようにお願いする。温かい夕飯を食べさせてあげたいから。まるで新婚のお嫁さんみたいだけど、私はただの「同居人?」いや「居候?」いや「寄生虫?」。


7時になると圭さんが出勤する。お弁当を手渡すと嬉しそうに「ありがとう」といって持って行ってくれる。後ろめたい気持ちが少し癒される。洗濯ものを干して、これでひと段落。でも今日は雨、乾きが悪そう。


もう8時少し前なので、慌てて登校する。私は高校3年生。学校はここから30分位。8時半から授業開始。「いってきます」と家を出る。


あいにくの雨だけど。今日の雨はあたたかい。もう4月半ばになっているから。ここへ来た日、3月3日は冷たい雨が降っていた。


【3月3日(木)】

叔母に家を追い出され、いや自分でも望んで出てきた。ここに来た前日の夜のことだ。着の身着のまま、財布の中にはほとんどお金が入っていない。できるだけ遠くまでと切符を買って乗り継ぎながら、着いた駅が池上線長原駅。


地下から改札口を出て、休める場所がないか小雨の中を歩いてみたが見当たらない。雨が激しくなってきたので、駅に戻ってただ茫然と雨を見ていた。駅の時計は夜9時を過ぎている。ここに居ると雨に濡れない。しばらくここに居よう。


電車が着くたびに、仕事を終えた人たちが改札口から流れ出て家路へ急ぐ。冷たい雨、皆早く家へ帰りたいのだろう。私にはもう帰る家がないけど帰りたくもない、絶対に。時々私を見る人がいるけど、気にも留めず通り過ぎて行く。一人ぼっち、とても寂しくて悲しい。


「どうしたの」突然声をかけられた。見るとスーツ姿の真面目そうなおじさん。どうしよう、どう答えていいのかわからない。でも誰かにすがりたい。勇気を出して「助けて下さい」と言った。


「分かった、助けるけど、警察に連絡しようか?」


「それはしないでください。助けて下さい」


「じゃあ、どう助ければいいの?」


「家へ連れて行ってもらえますか?」


「良いけど、君のうちはどこ?」


「いいえ、あなたの家です」


「ええ・・」


「お願いします。助けて下さい」


「分かった。分かった。それならとりあえず家へ連れていくから、家で話を聞こうか」


「ありがとうございます」


おじさんは「ちょっとここで待っていて」といってコンビニに入っていった。そして、お弁当やお菓子など袋一杯に買ってきた。おじさんの家は駅から10分ほど歩いたところにあるという。冷たい土砂降りの雨の中を相合傘でずぶ濡れになりながら歩いた。


歩きながら、これからどうしようと考えた。知らない男の人の家へ行くということがどういうことかは分かっていた。感じからして独身みたい。奥さんがいれば家へ電話して事情を伝えていたはず。でももう疲れているので少し休みたい。どうなろうとかまわない。どうせ失うものはもう何もないのだから。


ほどなくおじさんの家に着いた。1LDKの賃貸マンションだとか。思っていたより素敵なお家。オートロックの玄関を入ってエレベーターで3階へ。


「どうぞ、入って」


「すみません」


「独身者の部屋だけど、大丈夫?」


「大丈夫です」


部屋はひんやりして肌寒い空気で満ちていた。雨に濡れたせいか寒くて震えが出る。おじさんが暖房を入れてくれる。ソファーに座るように言われて座っていると、おじさんは毛布を持ってきて羽織らせてくれた。


それからお湯を沸かして温かい飲み物を準備してくれている。部屋は独身者というだけあって殺風景だけど片付いていてだらしないところが見当たらない。きちっとした人に違いない。少し安心した。


「とりあえず、ご飯を食べよう。お腹が空いてぺこぺこだから。君の分も買ってきたから食べなさい」


「ありがとうございます。いただきます」


私はお腹が空いていた。丸1日、ほとんど飲まず食わずだったから、はずかしいけどすっかり平らげた。必死に食べている様子はきっと見苦しかったに違いない。お腹が空いていてそんなことも気にならなかった。そして、おじさんが入れてくれた温かいお茶がおいしかった。やっと一息ついた。


「事情を聞かせてくれるかな」


私はどうこたえてよいか、本当のことを話すべきか、でも他人には話したくない話だから、しばらく考えていた。


「話せないようなこと」


「お願いします。ここに置いて下さい。なんでもしますから」


「それは困る。君は未成年だろう。親の許可もなくここに置くことはできない。捜索願でも出ていたら、僕は誘拐・監禁で警察に捕まってしまうよ」


「親はいません。捜索願も出ていないと思います」


「だから訳を聞かせて」


「何も聞かないでここにおいてもらう訳にはいきませんか?なんでもします。独身の一人住まいならお願いできませんか?」


「僕も男だから君に襲い掛かるかもしれないし、心配にならないのか?」


「もしお望みなら、好きなようにしてもらっても良いです。ですからここにおいてください」


「まあ、そこまでいうのなら。今はひどい雨が降っているのでこれから君の家へ送って行くのも大変だから、今日はここに泊まっていきなさい。ところで君は何歳なの?」


「ありがとうございます。17歳です」


おじさんは17歳と聞いて困ったような顔をした。迷惑がられているのはしかたがない。それに、もしおじさんが襲い掛かっても、もう覚悟はできている。それよりここにしばらく置いてもらえないだろうか。そればかり考えていお願いした。とうとうおじさんはあきらめたようで泊まることを承諾した。


「お風呂を沸かすから入りなさい。服が濡れているけど、女の子の着替えはないから、僕の男物でよかったらこれを着て」


トレーナーの上下と下着を持ってきてくれた。


「ありがとうございます。しばらく着替えてなくて、使わせて下さい」


「先に入って。バスタオルはここにおいておくから。心配しないで、覗いたりしないから」


「すみません。入ります」


お風呂に入ると身体が温かくなってほっとした。お風呂から上がったけど、着替えのトレーナーも下着も男物だ。サイズも大きい。でも着替えがないし、着ていたものは濡れているし、着る決心をした。


男物の下着はなんか変な感じがする。私の身長は155㎝だから、おじさんは170㎝位かな。トレーナーはだぶだぶ、恥ずかしいけどしかたがない。テレビを見ているリビングのおじさんにお礼をいうと、ジッと見られた。やっぱり恥ずかしい。それからおじさんがお風呂に入った。


1LDKのマンションと言っていたが、大きめのリビングダイニング、キッチン、バス、トイレ、それにもう1部屋ある。2人でも十分住める。なんとしても住まわせてもらおう。独身の男性なら私を好きなようにしても良いといえば、住まわせてくれるだろう。そうすることに決めた。


すぐにおじさんはお風呂から出てきた。私のことが気になっているみたい。うまくいくかもしれない。


「君、名前は?」


山田やまだ美香みかといいます」


「事情は話したくなってからでいいよ」


「じゃあ、寝るとするか」


「君は寝室で僕の布団で寝てください。僕はこのソファーで寝るから」


「私がソファーで寝ます」


「良いから、布団で寝て、風邪をひくといけないから」


「じゃあ、そうさせてもらいます。お休みなさい」


寝室の布団で寝てくださいと言われて、覚悟して敷いてくれた布団に入った。おじさんの匂いがするけど、いやな匂いとは思わなかった。おじさんが布団に入ってきても良いと思っていたけど、いつの間にか眠ってしまった。


【3月4日(金)】

熟睡したみたい。カーテンのせいで部屋に光が入ってこないので、朝が来たことに気が付かなかった。寝室のドアをノックする音で目が覚めた。一瞬自分がどこに居るのか分からなかった。そうか、おじさんの家の布団の中。寝た時のままで何もされていない。


「おはよう。起きて。僕は会社に出かけるから」


「ごめんなさい。気が付かなくて」


「疲れていたみたいだね。簡単だけど朝食を作ったから食べる?」


「ありがとうございます。いただきます」


「その前に、歯磨きをして顔を洗って。歯ブラシと櫛とタオルを置いてあるから」


「すみません」


私は慌てて洗面所へ行って、身支度を整えた。髪を後ろに束ねてポニーテイルにした。テーブルに着くと、おじさんは私をジッと見つめている。


明るいところで見ると、おじさんは結構若いみたい。昨晩は40歳前位には見えたけど30代前半?顔はイケメンというほどではないけれど、目が可愛い。どちらかというとほっとするタイプ?


「事情を話してくれる気になった?」


「・・・・・」


やっぱり、おじさんは気掛かりなんだ。どうしよう話そうか。


「これから出勤だから、あまり時間が取れないけど」


「このまま、ここにおいてもらえませんか?」


「事情を聴かないとできないよ。年頃の娘さんと同居なんて」


「少し考えさせてください。もう1日置いて下さい」


「分かった。もう1日くらいなら。明日から土曜、日曜と休みになるからゆっくり話を聞こう」


「ありがとうございます」


「もう少したったら出かけるけど、昼食は冷蔵庫のストッカーに冷凍食品があるから、適当に電子レンジで温めて食べたら良い。それから、夕食はまたお弁当を買ってくるから待っていて。それと部屋から外へ出ないでくれないか。今、他の人に見られると何かとまずいと思うからテレビでも見ていて。でも自分の家へ帰りたくなったら帰っていいから。ここに予備キーを置いておくから、鍵を掛けて、玄関の郵便箱に入れといてくれれば良い。部屋は309号だから間違えないで」


「分かりました」


おじさんは出勤した。おじさんは私に何もしなかった。それより、もう1日おいてくれて話を聞こうと言ってくれた。真面目そうな人だ。頼めばなんとかなるかもしれない。それより、何とかしておいてもらえるように、掃除、洗濯くらいはしておこう。役に立つことが分かったらおいてもらえるかもしれない。でも勝手に部屋を掃除したりして怒られたりしたらどうしよう。いいや、もうその時は謝るだけ。


まず、朝食の後片付け、それから洗濯。丁度、自分の着てきたものを洗濯する必要があるし、おじさんの分もお洗濯。朝方は雨が残っていたけど、もう日が差してきている。夕方までには乾くと思う。


お風呂と洗面所のお掃除。次にリビングを掃除機でかけて、床を雑巾がけ、窓ふき、キッチンのシンクも磨く。寝室のお掃除、布団を上げて、ベランダで干す。


寝室はおじさんの書斎になっている。本棚には整然と本が並んでいる。机の上にパソコンとプリンター。書斎は整理整頓されていて隙が無い。これはさわると叱られると思うから、床掃除だけに留めておこう。でもお掃除していると気が紛れる。


冷蔵庫の中を整理。食パン、マーガリンなどの朝食用の食材がいろいろ入っている。調味料はひととおりある。棚には缶ビールが5本ならんでいる。お米もあるけど、昨日は夕食にお弁当を買ってきていた。自炊はあまりしていないみたい。


冷凍庫には冷凍食品がいっぱい入っているのには驚いた。おにぎり、お好み焼、ピザ、スパゲティナポリタン、シュウマイ、餃子、チャーハン、チキンライス、ピラフ、今川焼、たれ付きチキン、枝豆、うどん、豚肉、牛肉、鶏肉、それにアイスノン。好みが分かるけど、お子様が好きそうなものばかり?


食器棚の整理。ほとんど食器がなくてガラガラ。ごはん茶椀、お椀、どんぶり、大きなお皿、白い深い皿、茶碗、コップ、コーヒーカップとソーサーだけ。あっても1つずつで2つと同じものがない。おひとり様分しかない。独身者に間違いない。彼女もいないのに違いない。どこにも女性の痕跡が全くないので間違いない。これは好都合かも?


お昼になったので、封が切られて半分残っていた冷凍ピラフをいただいた。あまり食欲がない。言われたとおり、テレビを見る。おいてもらえるか心配。


夕方、洗濯物を取り込んで、部屋の中をもう一度確認した。随分きれいになった。掃除したのが分かると思う。昨日着ていたものが乾いたので着替える。自分のものがやはりぴったりするけど、着の身着のままで一着しかない。あとはおじさんが帰って来るのを待つだけ。昨日と同じころなら9時過ぎになるかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る