第7話 即席の草の塔


 ベルジェの持つ手札のうち二枚が、茨の蔓で形作られた薄暗い空間の中で、ぼう、と光る。

 うち一枚は彼を証明する鼻のカード、もう一枚はこれから使う魔法を表す額のカードだ。

「『掬え』」

 彼がそう言い、それらのカードをかざすと、何本もの茨の蔓が緑色の壁面から伸び、よじれ、太い腕のように変わった。

 ベルジェに迫るそれは、先端を彼の足に滑らせ、彼の身を宙へと持ち上げた。

 腕を形作った蔓はなおも高く伸び、天蓋もそれに合わせて上へと大きく膨らんでいく。

 壁のせり上がっていくその様は、大蛇の腸の底に置き去りにされていくような錯覚を、見上げる四人に与えた。

「うわぁ、あんな事が出来るのかよ」

 高く距離を取っていく彼を見上げ、荒也があっけに取られる。

 ドームを思わせる構造物は、何から何までベルジェの思うままだ。

 ぎゅい、と弦の引き絞られる音が上がった。

 エリザの短弓から、三本もの矢がほぼ同時に放たれたのだ。

 飛んでいく矢を見て荒也は我に返り、再び手を突き出し電撃を放った。

 しかし待ち構えていたように、ドームの壁面から何本もの棘が飛び出し、矢をその側面に受け、更にその内の一つが電撃を吸い寄せ黒焦げになった。

 それを見届けた荒也はちっ、と舌打ちする。

「やっぱ、対策はされるよな」

 半ば想像通りの事態に、荒也は忌々しそうに呟いた。

 ベルジェの上昇は民家の三倍はあろうかという高さで止まり、彼は荒也達を見下ろしながら余裕を湛えた顔で言う。

「ここはもはや私の庭。あなた方に出口はもうありません。ここに骨をうずめてもらいますよ」

 ベルジェが手札から別のカードを一枚取り出し、親指で弾いて光を灯す。

「『尖れ』」

 言うや否や、荒也達の周りの壁面から緑の棘が飛び出した。

 四人は一斉に散り散りに飛び、刺突を避ける。

 エリザが再び矢を放つ。

 また同じように、壁面から新たに伸びたいくつもの緑の棘がそれを阻んだ。

 彼女等四人とベルジェとの間に何本もの緑の棘が、さながらでたらめに立てた柵のように高低差を伴なって並ぶ。

 それこそが彼女の狙いだった。

 彼女は荒也に目配せし、荒也が彼女を見た後、改めて上を見上げる。

 荒也は頭上に並ぶ棘の、一番手前のものが手の届く高さにあるのに気付いた。

「そうか、しめた!」

 荒也はジャンプし、それに手をかける。

 鉄棒に身を乗せる要領で、彼は器用に棘の上に登った。

 両足で立っても、彼を乗せた棘はわずかにしなるだけで折れる気配はない。

「これで一気に登ってやらあぁっ!」

 荒也は棘を蹴り、別の棘へと飛びついた。

 棘の側面を掴むと、再び両腕で体を引き寄せ、足をかけて棘の上に乗る。

 彼が登ってくる様子を見て、ベルジェは楽し気に笑った。

「おやおや、木登りがお好きなようだ。ならば、希望に応えましょう」

 手札から別のカードを取り出し、親指で弾いて光を灯し、高く掲げた。

「『育て』」

 荒屋の足元が揺れた。バランスを取ろうとする彼だったが、それ以上に落ちまいと意識を集中させねばならなくなった。

 彼を乗せた棘が、根元から高く上昇したからだ。

 それだけではない。

 茨の蔓で出来た壁が、あちこちからみちみちと音を立ててうねり、成長を始めたのだ。

 壁面からは何本もの棘が更に生え、地表から遠ざかる天蓋やベルジェの姿を荒也達の視界からやがて完全に隠してしまう。

 庭と呼んだその魔法は、もはや塔ともいうべき形状へと変わっていった。

 荒也はしゃがみこみ、繊維の束で出来た棘の表面に指を食い込ませ、棘に掴まって落下するのを堪えた。

 変化に驚く声が、荒也の足元より低い位置から上がる。

 幸いな事に、荒也からはまだ地面にいる三人の様子を見る事ができた。

 三人も、うごめきながら伸びる塔に動揺している様子だった。

「な、なんで鼻のカードもなしに、こんな魔法が使えるんですか!?」

 戸惑っているのはアーシーで、すぐにククリマが答えていた。

「これは、すでに出来上がった魔法なの!自分の魔法を変化させるだけなら、額のカードで充分って聞いた事ある!」

 額のカードとは、どんな魔法を使うかを決める一番重要な条件を表すカードである。

 荒也は酒場の入り口で地面から生やした土の棘を思い出し、罠としての魔法もすでに出来上がった魔法だったのかと、ひそかに仮説を立てた。

 もはや下に降りるには高すぎると彼は判断し、三人に声を上げる。

「火をつけろ!それまで俺が時間を稼ぐ!」

 三人が見上げるのを確認すると、荒也は返事も聞かずに上へ飛んだ。

 再び別の棘を掴み、足をかけて登りきる。

「アスレチックやってる気分だ、くそ」

 全身の運動が求められる動作の連続で、荒也の息が切れ始める。

 五本目を登りきった頃には、小休止を入れねばならなくなった。

 高さは建物三階分ほどだろうか、ベルジェの姿は未だ見えない。

 一息つこうと膝を折ったその時、再び塔がうごめいた。

 壁面から何本もの蔓が剥がれ、縄のようにしなりながら荒也に迫る。

 絡みつきに来たのは明らかだ。

 荒也は咄嗟にエレク・トリクの柄を掴んだ。

 慣れと咄嗟の緊張感から、エレク・トリクは剣として引き抜かれた。

 鋼の鳴る音が鞘口から上がり、刃が風を切る。

「ぬあっ、だりゃあっ!」

 半ばやけくそで剣を振り、飛びかかる蔦を切り払う。

 蔓が何本も宙を飛ぶが、すぐに新な蔓が壁面から襲い掛かる。

「ええいめんどくせぇ!」

 荒也が空いた左手を突き出し「出ろ」と念じる。

 電撃が放たれ、何本もの蔓が丸焦げになった。

 蔓の波が引き、荒也は一息ついた直後、焦げるのを免れた壁面から新たな蔓が何本も剥がれ彼に殺到した。

「げえぇ、くっそぉ!」

 再び電撃を放つが、撃ち落とせたのは数本のみだった。

 電撃の規模が弱い。

 荒也はマルタンの村での戦いを思い出し、苦々しい顔になる。

「マジで連続ではまともに撃てねぇ!」

 残った蔓を切り払いながら、彼は自虐した。

 その最中、彼の視界から逃れた一本の蔓が彼の左の足首に絡む。

 彼が気付いたその時には、すでに何重にも巻き付き、太ももまで締め上げていた。

「やべっ!」

 剣を突き立てようと逆手で握り直すが、振り上げた右の手に別の蔦が絡む。

 瞬く間に、彼の身体は空中へと持ち上げられた。

 左足と右手とに絡む蔦はほぼ対角線上にあり、彼は塔の中心で宙づりになった。

「あわ、わわわ痛ぁっ!」

 蔓は縮みながら張力を増していき、荒也の身体を引き延ばしていく。

 さながら牛裂きとなった荒也が蔓をほどこうと自由な左手を伸ばすが、引っ張られる右手の手首には届かない。

 蔓はなおも力を増し、彼の身体を引き裂かんばかりにみり、みりと音を立てる。

「痛い痛い痛い、離せぇ!」

 喚く荒也。

 このまま引き裂かれてしまう、と本気で彼は危惧を抱いた。

 と、その頭上で柵のように伸びていた棘が緩み始め、できた隙間からベルジェが顔を覗かせた。

 どうやら棘で床を作り、そこに立っているらしい。

「おやおや、ずいぶん無様ですねぇ」

「うっせぇ!」

 痛みの残る苛立ちから、彼は電撃を放つ。

 しかし電撃はベルジェの前で逸れてしまい、手近な棘を焦がした。

「安心なさい、あなたの命は取りませんよ。王からのお達しです」

 彼の言葉を肯定するように、荒也を引き絞る蔓の力が、若干緩んだ。

 荒也は痛みから解放された安堵の直後、ベルジェの言う言葉の意味に疑問を抱く。

「……魔王が何で俺を生かせと?」

「さあ?私は知りませんね。我々実験隊は国でも鼻つまみ者ですから。ですが、王の恩恵を受けた身とあらば従わざるを得ません」

 大した問題ではない、という風に、ベルジェは余裕を見せた。

「俺を捕まえたとして、それからどうするつもりだ?」

「もちろんジルトールに連行するんですよ。そのために私はナバンに来たのです」

「熱心なこった。……待てよ」

 荒也は悪態をついた後、新たな疑問を抱く。

「俺以外はどうするつもりだ?」

「お仲間様ですか?そんな事は……」

「アンタの気にする事じゃないでしょ」

 その声は、ベルジェのものではなかった。

 荒也の眼下に見える棘の陰から、猫のように人影が上へと飛び出した。

 後頭部で結ばれた長い金髪がなびく。

 現れたエリザは矢筒と短弓とを背負ったまま、軽々と荒也を飛び越え、彼を縛る蔓の上に着地した。

 蔓が重さでしなり、荒也の身体が沈む。

「うおぉぉお、おお」

 揺れる体に彼が悲鳴を上げるが、エリザは一瞥もせず、反動を利用してさらに跳んだ。

 その高さたるや。

 荒也が全身を伸ばして飛びつくようにしてきた高さの三倍はある。

 荒也が顔を上げ、その跳躍力を見て驚く。

 すぐにこれが同じ顔の先人である早撃ちのシャシャの力である事は容易に想像がつき、あらためてオモカゲ様という存在の得体の知れなさとその影響力の大きさにおののいた。

 迫る彼女に、ベルジェが目を細める。

「ほぉ、ここまで来ましたか」

 彼に動揺はない。

 エリザの今の高さは、見下ろすベルジェからまだはるか下にいる。

 彼女の跳躍力をすれば、あと一つ足場となる棘があれば届くかもしれない高さだ。

 しかし、今の彼女の前方に、足場となる棘はない。

 空中で矢を撃ち、棘を誘うような真似は、むしろ彼女の隙を誘発するような所業となるだろう。

 しかし、彼女は無軌道に飛んでいる訳ではなかった。

 彼女はまっすぐベルジェに向かっているのではなく、大きく右に逸れて塔の壁面へと向かっていたのだ。

 壁に迫る彼女が、腰の後ろに忍ばせていた短剣を引き抜く。

 壁にぶつかろうかという瞬間、彼女は逆手に持った鋭いそれを勢いで深々と突き立てた。

 更に彼女の動きは続く。

 壁面に打ち込んだ短剣の柄を握ったまま、そこを起点に足先を真上に上げ、腹筋、そして背筋の力で両足から真上に飛び上がる。

 鉄棒の要領で上に飛んだ彼女は、ナイフから手を放して今度は足先をナイフの柄に向けて体勢を戻す。

 飛び込みを逆再生させたような一連の動作の後、彼女は柄に足を乗せ、再び跳んだ。

 そうして飛び上がった彼女は棘の隙間を潜り抜け、ベルジェの覗く天蓋の隙間へとすべ入り込んだ。

「何と!?」

 眼前へと躍り出たエリザに、ベルジェは思わず後ずさる。

 彼の前に降り立った彼女は、すぐさま短弓を取り矢をつがえる。

 かと思われたその直後、すでにその矢は放たれていた。

 ベルジェが慌てたようにカードをかざし、光を灯す。

 床としていた棘の密集地から新たな棘が生え、ベルジェを仕留めようと飛ぶ矢を阻んだ。

 九死に一生を得たベルジェが、初めて忌々しそうに唇をゆがめる。

「流石は早撃ちのシャシャですねぇ」

 これに彼女はチッ、と舌打ちした。

「生憎と別人よ。モーバの偽物」

「おやおや、オモカゲ様より賜った偉人の御業を偽物とは。どうやらずいぶんと育ちが良ろしくないようだ」

 エリザの目が細まり、再び矢が放たれた。

 直線ではなく、棘をよけるように湾曲して飛ぶ矢が、新たな棘によって阻まれる。

「……知ったような口、きかないでくれる?」

 噴き上がるものを押し殺した声で、彼女はそう言った。

「おお、怖い。ですが、あなたはお忘れのようですね」

 ベルジェがカードを一枚取り出し、光を灯す。

 壁面や天蓋、そして床から何本もの蔓が剥がれ、蛇のように鎌首をもたげてエリザを囲んだ。

「お仲間は、ここにはいませんよ」

 エリザは周囲を睨み、更に目を細め眉間にしわを寄せた。


 一方、荒也はというと未だ宙づりのままでいた。

 エリザに蹴られた反動で上下する今の状態を悲観する気は今や失せ、どうしたものかと思索を巡らせている最中だった。

「……って、呑気してる場合じゃねぇよ。今あいつ一人じゃねぇか」

 荒也はそれに気付くと、左足と右腕に絡む蔓を振りほどこうと力を込めた。

 しかし蔓は張り詰めるだけで、ほどける気配はない。

 地表は壁面から茎のように伸びた何本もの棘で隠れて見えないが、既に相当の高さにいる事は容易に知れた。

 荒也は声を張り上げて下にいるはずのアーシーとククリマに助けを求めようか、と考えたが、すぐに思いとどまった。

 上にいるベルジェにも聞こえてしまう上、下の状況が分からない。

 もしいい加減な事を言ってしまっては、かえって二人を窮地に追いやりかねない。

 荒也は観念し、自力での脱出を決めた。

「にしても、どうすべきだこれ……」

 右腕と左足は伸びきり、当然体も伸びたまま。

 自由なのは首と、左腕と右足のみだ。

 精一杯自由な手足を動かしてもがいてみるが、空中で泳ぎの練習をしているも同然で、無駄な時間を過ごしただけだった。

 どうにもならないのを痛感した後、彼は恨めし気に右手に持つエレク・トリクを見た。

「こいつどうすりゃいいんだよ……。右で持ってるからうまく振る事もできねぇし」

 手首から先でしか動かせない剣は切っ先を蔓にかすめる事すらできず、壁面にも届かない。

「……と、そろそろ硬化が解ける頃か」

 手にした剣がそろそろ柔くなるのを思い出し、彼は電撃を込めようとする。

 そこでふと、思い出した。

『うまく電気を通せば自在に形を変える事ができるそうじゃ』

 これはかつて、彼が自分を呼び出した魔術師ヨウドーオから聞かされた一言だ。

『勇者ライエルも、その代理二人もその剣を様々な形に変えてみせたのだ』

 そこまで思い出すと荒也はああ、と合点がいった。

 電撃の通じない相手が現れた時のために、電撃を利用できるこの剣があるのか、と。

 しかし。

「……加減が分からん」

 今まで彼は、電撃を出す場面ではいずれも「出ろ」と念じただけで、加減などした事がない。

「とりあえず弱めにやってみるか」

 彼は弱めに電撃を放つよう、剣を握る右手に意識を集中させる。

 例えるなら、今まで渾身の力でぶん殴るつもりでいたのを、デコピン程度にするつもりで「出ろ」と念じた。

 すると、剣がささくれた。

 剣先が二つに分かれ、細い方が外側に反りながら、本筋である太い方から裂けていったのだ。

「おおぉ、ホントだ。さすがスライムソード」

 荒也は感心したが、すぐにそれは不安に変わる。

「……じゃあ、次はどうだ?」

 気持ち強めの電撃を出すつもりで「出ろ」と念じる。ビンタくらいの感覚だ。

 すると、剣は弾かれたように元に戻り、直後、中ほどで二又に避けてつるはしのように変わった。

「……これは?」

 今度はローキックをかますつもりだ。それは相当腹が立った時にやる荒也の悪癖だった。

 すると、つるはしは同じように元に戻り、すぐに別の形になった。

 細く、長く。棒のごとく、するすると伸びていく。

 その長さは剣の時の二倍、三倍を超えていき、ついに塔の壁面に達しその先端を蔓の間に沈めた。ドッ、と勢いのよい音が上がる。

「おおお、これはいいな。如意棒みたいだ」

 言った途端、荒也は帯光剣エレク・トリクに親しみを感じられた気がした。

「なんだか楽しくなってきたぞ。次はどうだ?」

 宙づりのまま呑気な事を言い、荒也は「ふん」と力を込めた。

 「出ろ」と殊更に強く念じた訳ではないが、電撃は右手から発され、剣は反応を返した。

 剣が、今度は細さを変えずに、縮む。

 伸ばされたゴムが戻るかのような勢いだ。

 縮んだ剣の質量はそのまま柄に集まり、瞬時に新たな変化を与えた。

 つまり棒となった剣は反対側、柄の先から飛び出した。

 平坦な先端が荒也に迫り、その額に勢いよく打ち込まれた。

「おぅんっ!?」

 脳天を打つ衝撃に彼の頭は大きく後方に跳ね、エレク・トリクを持つ手が緩んだ。

 荒也が自由な左手で額を押さえ、痛みにもがく。

「おぉ、おぅふ、うぅぅ……っ」

 「痛い」とは意地でも言わなかったが、それは彼の自尊心を保つ以外の意味はなかった。

 エレク・トリクは大きく傾き、彼の手の中を滑り落ち始めた。

 気付いた荒也が、落とすまいと伸びた先の部分を握る。

 しかし、刀身を形作っていた棒の部分は恐ろしく滑らかで、強く握る手の力などものともしない。

「わわわ、こんな感触だったのか?」

 驚く彼をよそに、棒は滑るのを止めない。

 ついにその先端が、指先にかすめる程度にまで下降した。

「わわ、落ちる、落とすぅ!」

 彼の必死さもむなしく、棒の先はついに指先を離れた。

 落とした。

 そう思った瞬間、棒は落下を止めた。

 空中で止まった棒の先を見て、荒也は目を疑いまじまじと見る。

「……何やってるの?」

 その声は荒也の真下から上がった。

 荒也はそれまで右手に集中していた事に気付き、下を見下ろす。

 そこにはククリマが、戸惑いと呆れの混ざった顔で立っていた。

 エレク・トリクの横に突き出た鍔の部分を、器用に掴んで受け止めていたのだ。

 今のククリマの足元に、棘はない。

 いわば空中で立っている状態で、彼女はそこにいた。

 よく見れば、ククリマの両方の足先に、それぞれ光を灯したカードがある。

 魔法で使うカードを足場に、彼女は空中に立っていたのだった。

「大ピンチの最中だ。それより、なんでお前ここに?」

「アーシーさんに言われて来たの。様子を見に行ってって」

 彼女はそう言って、下を見下ろした。

 壁面から密に生えた棘のせいで、地表の様子は見えないが、そこにアーシーがいるのは確かだ。

 荒也は見えないアーシーの事は置いておいた。

 ククリマから棒になったエレク・トリクの柄を差し出され、それを自由な左手で受け取る。

「そうだ、剣サンキュ。これでどうにかなるかな」

 荒也は電撃を出すよう、左手に力を込めた。

 「出ろ」と念じるまでもなかったらしく、エレク・トリクは柄から棒を吸い上げ、刀身を伸ばして剣の形に戻った。

「今まで『出ろ』と思いながらやってたが、力込めるだけでいいんだな」

 他人事のように言いながら、彼は剣を右手に伸びる蔓を斬ろうと近づける。

 しかしすぐに、彼は手を止めククリマに向き直った。

「悪いが、腹の辺り支えといてくれ。片方切ったら、振り子でビタンだ」

 左足に絡む蔓を一瞥し、彼女に注意を促す。

 彼女は察したらしく、真面目な顔になって頷き腰の小箱からカードを出した。

 親指でその縁を弾き、一言。

「『浮かべ』」

 それだけでカードが彼女の手を離れ、新たな足場となって空中、荒也の腹の真下で止まった。

 荒也の腹に伝わるカードの感触は、ねじ釘でも打ち込まれたかのように固い。

「それ使って、うまく切って。足はやっとくから」

 言いながらククリマは新たなカードで足場を作りながら荒也の左足へと近づき、持ってきていたらしいナイフを取り出した。

 荒也はククリマの反応が妙によそよそしくなっている気がしたが、特に気にも留めず作業に移った。

 荒也は剣に戻したエレク・トリクを左手で使い、少々の時間をかけて、どうにか右腕に絡んだ蔓を切る事に成功した。

 同じ頃にククリマが左足の蔓を切り取れたため、荒也は腹に当たるカードだけで体重をかける姿勢になり苦しい思いをする羽目になった。

「おおうっ、うぶ、くる、苦しい……!」

 腹の圧迫感から逃れようと手足をばたつかせるが、掴むものは手足の届く距離にはない。

 見かねたように、ククリマが新たなカードを二枚、荒屋の両足の先に飛ばした。

 荒也は足先に感じる固い感触に、しめたとばかりに体重をかけ、腹に当たるカードから身を離す事に成功した。

「おっとと、うまく立てた。やっと自由になれたか。サンキューククリマ。んじゃ早速……」

 荒也が上を見上げ、エリザとベルジェのいる上の階へと目を向けた。

 エリザの侵入を受けてか、上を覗ける穴は今はない。

「あいつが心配だ、お前も一緒に……」

「やだ」

 思わず前へ踏み出そうとしていた荒也は、その言葉で体がぐらついた。

「え、え?」

 必死でバランスを取りながら、ククリマの方へ眼をやる。

 彼女は自分の足場にしている二枚のカードの上に立ったまま、気まずそうに荒也から視線を逸らし、俯いていた。

「なんでだよ、今から急いで……」

「怖いの。……今更、って思うかもしれないけど」

 荒也は耳を疑った。

 しかし、すぐに納得した。

 マルタンの村での戦いでも、全てが終わるまで彼女は外に出て来なかった。

 当然だ。彼女はまだ十代半ばなのだ。

 勇者に同行する仕事がなければ、今でも彼女は魔法使いの学校に通っていたはずだ。

 そんな彼女に、報酬が出るのだから命を懸けろ、などというのは酷な話だろう。

「……そっか。そうだよな」

 荒也は彼女を責める気にはならなかった。

「じゃあさ、魔法でこの塔を燃やしてくれよ。それだけなら、できるだろ?」

 荒也は譲歩したつもりでそう提案した。

 しかし彼女の反応は、鈍い。

「……中から燃やしても、うまくは燃えないよ。この塔、生木でできてるようなものだし、塔が燃え尽きるより先に私達が蒸し焼きになっちゃう」

 言われて、荒也は納得した。

 生木というものは意外と燃えにくく、窓も隙間もないこの塔では熱が外に逃げない事も容易に想像できた。

「……、そうか。じゃあ、俺はもう行くぞ」

 荒也は手にしたエレク・トリクを高く掲げた。

「待って」

 呼び止めるククリマ。

 荒也は黙って彼女に目を向けた。

「……あたしも、エリさん助けたい。でも、どうすればいいか、分からないの」

「怖いから?」

「……うん」

 荒也は正直な彼女の反応に、むしろ好感を持った。

 同時に、ぴんと来た。

「……そうだなぁ。エンディオマなら、何とかできたかもなぁ」

 これに、ククリマはむっとした。

「……エンディオマ、なら?」

「そうさ、伝説の大賢者だ!きっと俺なんかには考えもつかない、すげー魔法でこういう窮地を脱するんだろ!俺、伝承全然知らないけど!」

 荒也の語り口はやたら明るく、底意地の悪いものだ。

 彼女の顔は、みるみる不機嫌なものへと変わっていった。


“大賢者エンディオマ”

 辺境の地で生まれた童女は、優れた魔法の才を持っていた。

 この頃、すでに魔法使いと呼ばれる存在は人々に知られていたが、その人数は少なく、また、彼女に並ぶ資質や才覚を持つ者は存在しなかった。

 その非凡な才覚はたちまち人の知る所になり、彼女は多くの人々から助けを乞われる日々を送る事になった。

 ある時は瞬く間に土から橋を作り、またある時は逃げ出した家畜達を一斉に元の農地へと呼び戻した。

 山火事を一瞬で消し、人々から惜しみない称賛を受ける日もあった。

 彼女は十を過ぎる頃には、すでに魔法によって自らの食い扶持を稼いでいた。

 しかしある日、彼女は思った。

「私は一日中、大人達の頼みを聞いて回っていて忙しい。なのに、同い年の子達は皆思い思いの事をして楽しんで暮らしてる。なんだかおかしいぞ」

 疑問を抱えて日々を過ごすうち、次第に疑問は不満に変わった。

「私は疲れた。大人達は私をほめてくれるけど、次に会う時はもっと大変な事を私に求めるようになった。去年も、その前の年も、その前もそうだった。今じゃもう、探すのが大変だからという理由で家から自由に出られない毎日だ。おかしいぞ、もう嬉しくない。楽しくもないぞ」

 そんな疑問を抱えても、それまで続けていた生活を変える事には踏み切れなかった。

 日々はさらに過ぎ、窓の外で遊んでいた子供達は皆成長し、中には赤子を抱える者まで現れ始めた。

 それに気付いた時、ついに彼女は吹っ切れた。

「もう我慢ならない。家出しよう。子供にだって、大人にだって友達がいる。なのに今、私には友達がいない。いいように利用してくる相手しかいない。これじゃまるで道具じゃないか。私は魔法使いだ。魔法使いは便利な道具じゃない」

 その日の夜、彼女は村を飛び出した。

 文字通り、魔法で空を飛んだのだ。

 西に傾く三日月を追いながら、彼女は決意した。

「そうだ、世界中を飛ぼう。同じ魔法使いのために、魔法使いが道具のように使いつぶされていないか見て回るんだ。私は魔法使いだ、人間なんだ。人間として、青春を取り戻すんだ!」

 これが後に偉業をもって魔法使いの、人としての権利を認めさせた大賢者エンディオマの、旅立ちの日の事である。


 ククリマはエンディオマに対して、偉大な魔法使いの先達として、ひとかどの敬意を抱いている。

 これは世界中にいる他の魔法使いも同様で、エンディオマがいなければ魔法使いが人権を認められる事はなかったとまで言われている。

 事実、かつてエンディオマが危惧したように、飼い殺されていた魔法使いが各地にいたという記録もある。

 同じ顔を持つ者として、ククリマに誇らしい気持ちがないといえば嘘になる。

 しかしそれ以上に、周りから過大な期待が集まる事を鬱陶しいと感じていた。その期待はククリマにではなく、エンディオマに向けられたものなのだからなおさらだ。

 なので今、彼女にとって荒也の反応は挑発としか思えなかった。

「あー見たいなー、大魔法。大賢者様の、すごい魔法、見たいなー」

 わざとらしい言い方が、更に彼女の反感を買う。

「……そんなに見たいの?」

「おうよ。燃やすのは危ないんだろ?だったら、他の魔法があるんだろうなー」

 荒也はククリマを横眼でチラチラ見ながらなおも煽る。

 やがてククリマは憮然とした顔で小箱から五枚のカードを取り出した。

 親指でその縁を弾くと、カードは光を宿し彼女の前で十字に並ぶ。

 少しのためらいの後、彼女はゆっくりと口を開いた。

「……『囲え、塞げ、そして巡れ。意味するものは風にあり。巡れ、巡れ、そして集え。小さきもの、それ、球となれ。求められるは固き球』」

 光る十字の中心、ククリマから見て向こう側で、針の穴ほどの小さなものが現れた。

 それは辺りの空気を吸い上げるかのように風の流れを生み出し、その風が二人の髪や壁面から生えた葉を揺らす。

 風は次第に大きくなり、やがて薄緑色の玉へと変わっていく。

 荒也はかつて、これと同じものを見た。

 酒場でククリマに見せてもらった魔法だ。

 しかし、今はその時よりも風は強く、ククリマの纏う重い外套の裾をばたばたと不躾にはためかせている。

「『形よ、質よ、存在よ。変われ、そして定まるべし』」

 風はなおも吹き、薄緑色の球は密度を増し、どんどん膨らんでいく。

球は、以前のものよりはるかに大きい。

 かつてはピンポン玉程度だったものが、今はバランスボールほどもある。

 口のカードを変えたのか、と荒也は察した。

 呪文が同じなら同じ魔法であるはずであり、魔法の規模を表す口のカードを、大きいものに変えたのだとしたら合点がいく。

 大きな風の球は彼女の浮かべたカードの前で、激しく振れている。

「『軽くあれ、激しくあれ。しかし止まる事なかれ。然れば名を得、呼ばれたり。その名、すなわち……』」

 そこまで言って、彼女はかざした両の手に力を込めた。

 作り上げた球を離すまいとするように、そして、これからする事に意気込みを込めるように、彼女は意識を込める。

「『“開拓の風(メイク・ア・ロード)”』」

 彼女はついに、魔法の名前をもって、呪文の全てを言い終えた。


 エリザが壁面を蹴り、宙を舞う。

 彼女を追って、塔の壁面や床から何本もの棘が生え、その切っ先を彼女の軌跡に並べる。

 彼女は身をひるがえし、すでに生えていた棘の上に着地した。

 そしてベルジェのいる場所を見て、舌打ちをする。

 彼女の視線の先には、床の上にできた大きなつぼみがあった。

 植物で出来た塔にふさわしいオブジェのようにも見えるが、彼女はベルジェがその中にいる事を知っていた。

 それはベルジェにとってのシェルターであり、つぼみの表面にはすでに何本もの矢が刺さっていた。

「消耗戦目当てのつもり?意気込んで挑んだ割には、しょっぱい真似するのね」

 挑発のつもりだったが、反応はない。

 しかし、声に反応するように、つぼみの根本から、新たな棘が飛び出した。

 エリザは咄嗟に横に飛び、棘の刺突を免れる。

 棘はすでに何本もが床や壁面から縦横無尽に生えており、上の階となった塔の上部の空間を埋め尽くそうとするかのように広がっていた。

 その密度は、荒也達のいる下の階の比ではない。

 棘が増えれば増えるほど、エリザは上に追いやられているのを実感していた。

 床の上で戦いが始まり、棘は増えていくのだから、当然の結果といえた。

 エリザは矢筒に手を伸ばし、矢の羽の手触りを確認した。

 エリザは矢筒の中に、二種類の矢を入れている。

 一つは鋭い矢じりのついた矢、もう一つは矢じりの先を油のしみ込んだ布でくるんだ矢だ。

 区別がつくように、後者の羽は厚みのあるものにしてある。

 彼女は羽の分厚い手触りから目当ての矢を察し、それを矢筒から引き抜いた。

 すぐさま中ほどで口に咥え、自由にした両手で、今度はベルトに下げていた小さな袋を外した。

 その中には、火打石などの点火に必要な道具一式が入れてある。

 袋の口を開いた矢先、彼女は背後に迫る気配を察し上へ跳んだ。

 直後、彼女の背後の壁から生えた棘が彼女のいた場所を貫通した。

 危機一髪。シャシャの持っていたらしい勘の良さは、エリザにも再現されていた。

 望まぬ才に助けられた事に、着地したエリザは苦々しげに先ほどの棘を睨んだ。

「何か不服な事でも?」

 声はエリザの背後から上がった。

 ぞわりと走る悪寒に、彼女は咄嗟に振り返る。

 ベルジェの醜悪な顔が、眼前にあった。

 エリザが飛びのこうとわずかに膝を曲げた瞬間、その両足に何本もの蔓が絡みついた。

「ッ!」

 締め上げる蔓の感触に表情を歪めるのも束の間、彼女の身体は蔓によって高々と吊り上げられてしまった。

 咥えていた矢が落ち、それが落下する間にも左右の腕へと蔓が伸び、瞬く間に彼女を絡めとってしまった。

「おやまあ、呆気ない。鬼ごっこはおしまいですね」

 宙に縛り上げた彼女を、ベルジェがあざ笑った。

 空中に両手足を固定されたエリザは、蔓を振りほどこうと力を込めるが、蔓は強い張力を示すのみだ。

「ぐっ……、くぅ」

 苦悶の声を上げるエリザに、ベルジェは笑みを向ける。

「早撃ちのシャシャも形無しですね。ああいや、伝承通りと申しましょうか」

 余裕の含まれた嘲りに、エリザが目を剥く。

「別人よ。何から何まで先人と同じと思わないで頂戴」

「おや、失敬。どうやら望んだ顔に生まれなかったようで」

 ベルジェの煽りに、エリザが噛みつくように言う。

「アンタこそ、元はしがない農夫だったそうじゃない。それが何、今はモーバ?まるで顔を変えたみたいじゃない」

 その言葉に、モーバが目を丸くする。少しの沈黙の後、彼は言った。

「変えたんですよ、おっしゃる通り」

 エリザが眉を顰める。耳慣れない言葉を聞いたような顔の後、彼女は思わず、え、と呟いた。

「変えたって……、え?」

「変えたのですよ。顔を。信じられませんか?」

 呆然とするエリザ。彼女の反応をよそに、ベルジェは続ける。

「我らが王は、人の顔を作り替える所業に手を出したのです。信じられない事ですがね。……人間の顔は皮と肉、そして骨でできています。その皮を裂き、肉を切り、骨を盛り、削り、皮を継ぎ足して、別人の顔を作り上げるのです。私達実験隊は、そういった実験の被験者達なのですよ」

 エリザは言葉もなかった。

「目的はもちろん、とでも言うのですかね。目当ての先人の能力を得る事です。オモカゲ様からの面通しを受けて、90パーセント以上の一致を言い渡されれば成功です。そうすれば、私のようになれます」

「……ジルトールは、モーバの能力が欲しかったの?」

「いいえ」

「え?」

「私達は通過点、いわばこの試みの慣らしだそうです。美男美女というのは、記号が少ないから再現しづらいのだそうでして。被験者自体の顔の特徴もありますからね。その点、ほら。この顔は醜いでしょう?」

 自らの頬をいたわるように撫で、顎に手を添えてベルジェは言った。

「王の命令は絶対です。私に拒否権はなかった。……実験に失敗して、二目と見られない顔になった者も大勢いました。彼等がどうなったかは知る由もありませんが、どう語っても楽しいものにはなりますまい。私もそうなる所だった」

 目を伏せ、聞き入るエリザの顔に、次第に同情の色が浮かぶ。

「……ですがね。私は後悔していませんよ」

 その言葉に、エリザは顔を上げた。 

 ベルジェは変わらぬ笑みを湛えていた。

 いつの間にか、その手には一枚のカードがある。

「私は力を得た。本来得られるはずのない、先人の優秀な力を、だ。これを僥倖と呼ばずして、何と呼びましょう。力を得たからには……」

 ベルジェのカードに、光が灯る。

 エリザの四肢に絡んだ蔓が、にわかに力を増した。

 締め上げる力が肉を圧迫し、引き寄せる力が関節に激痛を走らせる。

 肩と股から手足を引きちぎられるような力を受けて、エリザが苦悶の声を上げる。

「……あっ、んぐっ、ぁ……」

「……力はもう、私のものだ、自由に使うべきなのだ!」

 カードの光が強くなり、蔓がぎりぎりと力を増していく。

 大の字にされたエリザの抵抗が、もう敵わぬ域まで達していく。

「……あぁ、うぁあっ……!」

 苦悶の声を上げるエリザに、ベルジェが一転、憤怒を表す。

「さっきから邪魔なんだよ小娘ぇ!『引き裂け』ぇ!」

 魔法の意味を成そうと、カードが更に強く光る。

 蔓が更に力を増す。

 と、その時だ。

 ……ギャリギャリギャリギャリ、ギャリ。

 耳慣れぬ音が、階下から上がり始めた。

 音に合わせるように、塔が小さく震え始める。

 異変に気付いたベルジェが、カードの光を消す。

「……?何の音だ?」

 蔓の緊張から解かれたエリザも、締め上げる力の増強が止まったのに安堵した後それに気付いた。

 ギャリギャリギャリギャリギャリギャリ……

 音は次第に強くなり、呼応するように塔が揺れを増していく。

 それはベルジェの足元の棘をも揺らし、彼は転倒を危惧し手近な別の棘を掴んだ。

 音と振動は更に強くなり、塔を激しく揺らす。

 ベルジェはもはや立っていられない程の揺れに、次第に動転し始めた。

「な、何だこれは!?何が起きている!?」

 その疑問はエリザも同じで、彼女は四肢を縛る蔓に揺られ、声も出ないでいた。

 悪酔いすら誘うその揺れに、嘔吐感が込み上がる。

「……っ、……!」

 彼女は必死にそれを堪え、視線を下に向けた。

 棘が密になってできた床の下から、何かが激しく回転しながら別の何かを削る音が続いている。

 揺れが一際強く、最高潮を迎えたかと錯覚する頃、床を裏側から削って、音の正体は現れた。

 それはなだらかな曲面を持つ、緑色の球体だ。

 激しく回転しながら、床を、棘を、そして壁面までをも食むように削り取っているのだ。

 球体は徐々にせり上がりながら眼下に見える姿を大きくしていき、球体の通った跡に外の景色を映しだしていく。

 その様は、風が草葉を掻き分けて、道を拓いていくのを思わせた。

「もしかして、ククリマちゃん?」

 エリザは球体の正体に気付いた。

 こんな異常な動きを見せる球体は、魔法に他ならない。

 球体が床と壁の堺を削り取り、その跡から球体を追うように、二人の人影が姿を見せた。

 球体の回転する芯の根本に手をかざす赤毛の少女と、それを追う勇者の代理だ。

 赤毛の少女はむくれた顔で魔法に集中しているようで、その目は球体に向けられたままだ。

 手の空いていた勇者の代理が、エリザを見上げて目を丸くした。

「……俺よりピンチじゃねーか」

 そしてその視線は、次にベルジェへと向いた。

 目を細め、眉間にしわを寄せるその表情は、怒りの滲んだものだ。

「俺の連れに何してんだ、変態野郎」

 睨まれたベルジェが、揺れから引け腰になったまま、慌てたように片手でカードを出す。

 しかし彼が魔法を成すより早く、荒也が手にした剣の先をベルジェに向けた。

「伸びろ、如意剣!」

 荒也の意志を汲み、エレク・トリクが弾かれたように形を変えた。

 みるみる細く、そして長くなり、その切っ先がベルジェに迫る。

「なっ……!?」

 呆気に取られるベルジェ。そしてその反応が彼の隙になった。

 棒となったエレク・トリクの切っ先が伸びる勢いでベルジェの鼻を打つ。

 人体の急所である鼻にもろに喰らい、更に伸びる棒によってベルジェは後方へとのけぞった。

 はずみで、彼の手は棘を離し、足は前へ滑った。

 自然、腰は後ろに引かれ……

「あ」

 棒を構えたまま、荒也はベルジェの行く末を目で追う。

 後ろに倒れたベルジェは引力に従い、棘の狭間を落下し始めた。

 鼻を打たれ、声も出ないままベルジェの小さくなった体が高度を下げていく。

 高度は棘でできた床から4メートル程度であろうか。

 荒也が視線で追う中、ベルジェは、どふっ、と音を立てて背中から落下した。

 落下の衝撃で小さく跳ねた後、動かなくなる。

「……」

 ギャリギャリ、ギャリギャリ。

 ククリマが球体で壁や棘を削る音だけが辺りに響く。

 徐々に外の光が差して、塔の内部の有様や倒れたベルジェの様子がはっきりとした明暗を得ていき、荒也の目にその現状を見せつけた。

 棒となっていたエレク・トリクが、するすると剣の形に戻っていく。

 やがて、倒れているベルジェから、か細いうなり声と、わずかな身じろぎが見られた。

「……よし、生きてる!」

 荒也は安堵し、ベルジェに駆け寄った。

 未だうまく動けないでいるベルジェの前で紐を取り出し、その両手首を掴んでそれを束ねる。

 縄の表面がぎっ、と噛み合う音を立ててきつく結ばれた。

 同様に、両足も別の紐で縛る。

「これでよし。無力化完了!」

 ことさら明るく言って、確認を終えると、彼は深く、深く息を吐いてその場に座り込んだ。

「……はーっ、終わったぁ……」

 感慨深げに呟き、沈黙に酔いしれる。

 静かだ、と思って少し経った頃、彼はククリマの立てる音に思い出したように気付いた。

 慌てて立ち上がり、ククリマに駆け寄る。

「ああっと、もういい!もう終わったぞククリマ!」

 彼女はむっつり黙ったまま、動きを止めた。

 自分の前に十字の形で浮かぶ五枚のカードを乱暴に掴み、引きはがして魔法を終える。

 壁面を削っていた球体は止まると同時に霧散し、辺りには何も残らなかった。

 えぐり取られた壁面の向こう側には民家の屋根が並び、田畑や森林、その向こうの青い山々まで見る事が出来た。

 ククリマは依然不満を湛えた顔で、荒也を見た。

「……満足?」

 そう、不満げに言うククリマ。

 彼は彼女が怒っているのに気付き、そしてその原因を察した。

「……エンディオマを当てにされたのが嫌なのか?」

 ククリマは答えない。荒也は沈黙をイエスと受け取った。

「ちょっと違うぞ。エンディオマの力を持った、ククリマを当てにしたんだ」

「一緒じゃない」

「いいや、違うね。俺はエンディオマの話なんか知らないし、あんまり興味もない。それに……」

 荒也は思い出したように、ふふふと笑った。

「ムカついてたら怖いと思う余裕はないだろ?」

 その一言に、ククリマが目を丸くした。

 その後腑に落ちたような顔になり、不機嫌な様子が表情から消えた。

 彼女はその後まじまじと荒也を見て、呟く。

「……代理さんって」

 そこまで言いかけて、ククリマが苦笑した。

「結構、いじわるなんだね」

「気付いたか」

 荒也とククリマは互いに顔を見合わせ、やがて揃って、堪えるようにふふふと笑った。

「……何でもいいけどさ」

 頭上から上がる声に、二人は気付く。

 そこでは大の字のままのエリザが、不服そうな顔で二人を見下ろしていた。


 一方、アーシーはというと。

 地表の壁面の傍で、火を作ろうと何度も火打石を打ち付けていた。

「全く。火を付けろ、なんて簡単に言わないでほしいですよ、もう!」

 彼女は荒也に言われてから、ずっと火を付けようと尽力していた。

 火打石で火を付ける場合、火口(ほくち)というあらかじめ蒸し焼きにした麻布で火花を拾い、種火にまで育てなければならない。

 しかし地面に置いた火口に火花が移った途端、壁面から細い棘が生え、適格に火口を射抜いてしまうのだ。

 なので火口は傷だらけで、面積は最初の半分以下となっていた。

 彼女の周囲では、壁面から生えた何本もの棘が、殴りつけられて地面に打ち据えられていた。

「もっと簡単に火が付けられるようにならないのかなぁ、もう!」

 愚痴を吐きながら、彼女は再び火打石を握りしめ、火花を散らすのだった。


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