顔さえよければそれでいい異世界のオキテ

コモン

第1話 弟<兄な双子

襖で仕切られた座敷席の中で、彼は話題の中心にされていた。

「だから、こいつはすげー奴なんだよ」

 五分前に会ったばかりの茶髪の友人に褒められ、彼は控えめに相好を崩した。対面の席に座る女性陣の目が彼に集中する。襖の奥から聞こえる飲み屋の喧騒が、この席の賑わいに一層拍車をかけているようだった。

「東大に現役で受かって、中学の頃から成績も上位キープ!フットサルも超うめーんだ」

「えーすごーい!」

 どこまで本気で言っているか分からない、高いトーンの歓声が上がる。

「おかげで俺等も鼻が高いよ、なあ直也!」

 茶髪の友人はそう言って、軽くのしかかるように彼の肩を組んだ。気安い態度に、再び彼は控えめに笑う。茶髪の友人の言う事は嘘ではないが、ただ一点、事実と異なる点がある。

 彼は直也ではない。その双子の弟、荒也である。

 茶髪の友人を含むこの席の男性陣は皆が直也の中学時代の友人であり、荒也とは初対面も同然だ。直也の友人達がこの合同コンパを取り付けるために、女性陣にとっての目玉である直也の代役として荒也を利用しているのである。女性陣は皆他校の女子大生で固められており、この合同コンパは直也の友人達にとっては外せない出会いの場だった。茶髪の友人が、誰にも聞かれないように荒也に耳打ちする。

「うれしそうにしろよ、弟君よぉ。場が冷めるだろ」

 その声色は不躾で、友人に向けるようなものではない。荒也は彼を見て眉根にしわを寄せた。しかしすぐに笑顔を作り、はは、と控えめに笑った。それを見た茶髪の友人は再び女性陣に向き直る。

「じゃ、王様ゲームしようぜ!」

「えーもう?早くなーい?」

 言葉とは裏腹に女性陣も乗り気で、そんな浮ついた雰囲気に荒也は居心地悪そうにウーロン茶を傾けた。その様子を見ていた女子大生の一人が、こんな声をかける。

「直也君、お酒飲まないのー?」

 問われた荒也は動きを止めた。渋面を浮かべるのを、かろうじて堪える。

 飲む訳ねぇだろ。未成年だぞ。

 そう言ってやりたいのが彼の本心だったが、すでにテーブルの上には泡を残したジョッキがいくつも並んでいた。対して、料理は半分以上がほぼ手付かずで残っている。酒を飲まない荒也からすれば、考えられない光景だ。

「こいつ酒飲まないんスよ、真面目っしょー?」

 別の友人が出した助け舟に、荒也は黙って頷いた。実際、この場にいない直也も酒は飲まない。本心からの行動ができた事で、荒也はほんの少し落ち着きを取り戻せた。

「えー、ノリ悪―い」

「一杯くらい飲もうよー」

 呑みの席でありがちな、飲酒を促す空気を女子大生たちが作り始める。みるみる荒也の表情が曇っていき、女子大生を見る目に鋭さが増していく。その様子に、茶髪の友人が慌てて口を開いた。

「ま、まあまあ!どうしても飲めない体質ってのもあるし、こいつ気難しくってさー!勘弁してやってよー」

 茶髪の友人のしゃべりで、女子大生達は興味が失せた様におとなしくなった。

荒也は再びウーロン茶をあおり、ふうと小さく息をついた。

 かばわれるのも当然だ。茶髪の友人からすれば、荒也の機嫌を損ねれば、直也でない事を明かしてこの合同コンパ自体をおじゃんにしかねないからだ。

 荒也の予想通り、再び茶髪の友人が彼にこっそり声をかけた。

「お前、感謝しろよ少しは」

「……必死ですね」

 荒也も小声で応対した。

「そりゃそうだろ。今日は上玉揃いなんだ。お前も一人くらい持って帰っていいからよぉ」

「だますようで気が引けます」

「何の事だよ」

「俺は直也じゃない」

 荒也は小声ながら、強い口調でそう言った。

「後で言えばいいだろそんな事。今は兄貴のフリしてくれりゃ……」

「そんな事?」

 荒也の目が鋭いものになった。茶髪の友人がこれに慌てる。彼がちらりと他の友人に目をやると、意図を理解した友人達が口々に話を振り、女子大生達の注意を自分達に向けさせにかかった。

 目論見通りに女性陣の注意が逸れ、思い思いの話でにぎわいだす。茶髪が自分達に注目がないのを確認した後、改めて荒也にささやく。

「ここは兄貴のフリしてくれよ、兄貴や俺等の面子もあるんだからよぉ……」

 これに荒也は黙ったまま、心底憤慨した。自分の面子はないのか。

 荒也にとって、兄と比べられるのはこれが初めてではない。学校でも友人間でも、家庭でさえ兄とよく比較されていた。

 兄の直也は子供の頃から優秀で、今年の春には東大に現役で入学を果たした。対して荒也は成績は中の上、大学は現役で地元の私大に入ったが、その偏差値は東大には及ばない。

 顔こそ瓜二つだが、雲泥の差。直也と荒也は、格差のある双子だった。

 荒也は直也から逃げるように異なる環境へと飛び込む生活を送っていたため、できる事も違う上、共通の友人もいない。にも拘わらず、今回の直也の代役は、直也本人から持ち掛けられたものだった。

『すまん、口を滑らせた。お前の事教えたら、皆乗り気になっちゃってな。もう断れそうもなくて……。その、本当にすまん』

 兄に手を合わせられ、頭を下げられた時の事を思い出す。これを突っぱねるのは簡単だったが、それができる性分ではなかった。

『……いいよ、別に。兄貴は試験が近いんだろ?一回くらいなら、まぁ……』

『本当に助かる。友達全員に話はつけているから、何とかうまくやり過ごしてくれ』

『……彼女いらねーの?』

『俺はコンパにほいほい来るような女は嫌なんだ』

 そこだけは荒也も同感だった。だからこそ、やり過ごすという一念に集中できる。要は、初対面の友達連中にいい思いをさせればいい訳だ。

 兄とのやり取りを思い出し、荒也は深く息を吐いた。

「……わかりました。後で上手く抜け出すんで、後はよろしくお願いします」

 荒也の返事に、茶髪の友人が安堵した。

「オッケオッケ、分かってんじゃん!さあ盛り上がっていこー!」

 茶髪が荒也の背中を気安くばんばんと叩く。荒也は愛想笑いをしながら茶髪への嫌悪を強めた。結局一言も謝られなかった事も、嫌う理由になった。

 

 トイレに行くフリをして居酒屋を抜け出し、荒也は一人で帰路についていた。飲み屋街を抜ければ人気もなくなり、明かりの数も急激に減る。住宅街に入れば街灯の光は夜闇を照らすものではなく、夜の暗さを引き立てるものに変わる。五月の半ばだというのに、風は冷たい。

 荒也は夜の静けさに耳を傾けながら、ようやく得られた自由に背筋を丸めた。

 疲れた。早く寝たい。

 荒也は気疲れから重くなった足で家までたどり着き、玄関の戸を開けた。自分の部屋のある二階に登る階段までの廊下で、父と出くわする。

「おぅ、お帰り」

 六十手前でありながら老いを感じさせない体格と背筋の伸びた姿勢は、二十歳手前の息子から見ても喧嘩では勝てないと思わせるものだ。髪もまだまだ黒い。

「ただいま……」

 それだけ言って荒也は父のそばを通り過ぎ、階段に足をかけた。

「遅かったな。直也は勉強してるんだぞ?」

 咎めるような言いぐさに、荒也はむっときた。

「兄貴の頼みで出かけてたんだよ」

 遊びじゃない、というニュアンスを多分に込めてそう言い捨て、荒也は階段を登った。それだけで父は言及する気が失せたらしく、それ以上は何も言わなかった。兄を引き合いに出せば大抵の言い分が通る事を、荒也は知っていた。

 直也の部屋の小窓から明かりが漏れている。まだ起きているようだ。耳をそばだててみれば、小声でぶつぶつと何事かを呟く声が聞こえる。ペンを走らせる音も聞こえ、荒也は扉の向こうで直也が勉強している様子を察した。

 誰も見ていないところで寡黙に勉学にいそしむ兄を、荒也は素直に尊敬していた。直也もまた、弟の個性を尊重しているのを荒也は知っていた。兄を疎んでいる訳ではないが、他の誰かがいればすぐに二人を比べたがる。

 そそくさと自分の部屋に入ると、風呂に入る気も失せていた彼はすぐに寝間着に着替えた。合同コンパのために多少めかしこんだ格好をしていたせいで窮屈だった体が、開放感を得て楽になる。

彼はそのままベッドに突っ伏し、睡眠時間を取り戻そうとするように、すぐに深い眠りに落ちていった。


「君がいい」

 荒也は耳元で囁かれたその声に気付き、怪訝に思った。その声は男とも女ともつかない、荒也の聞いた事のないものだった。

「君がいい」

 声のする方を見ようとするが、首が動かない。体が固まった感覚もなければ、押さえつけられている感触もない。さも当たり前のように、彼の身体は動かなかった。不自由ではあるが、不思議と不愉快ではない。眼前の景色は暗く、雲の中をシャボンの膜越しに見たかのような曖昧なものだ。足元に地面はないのに、浮遊感もなければ不安定感もない。

「ははぁ、これは夢か」

 そう考えると、不思議な心地も納得ができた。

「君がいい」

 声はなおも繰り返され、荒也の耳を離さなかった。

「……夢って奴は深層心理が強く出るって聞くが、ここまでコンプレックス丸出しなモンかねぇ」

 我が事ながら荒也は呆れ、そこで初めて自由を得、視線を右に向ける事ができた。

 そして、ぎょっとする。

 彼の耳元で囁いていたのは、つるりとした白い仮面だった。男とも女ともつかない、特徴のない顔立ち。感情も湛えている作りではない。目を表す二つの切れ目の奥には、眼球はない。鼻の孔や口元から流れるはずの息遣いもない。

 仮面の裏には、誰もいない。にもかかわらず、仮面は呟く。

「君がいい」

 あまりにも不気味であったが、なぜかその囁きを無視する事ができない。声に誘われるような錯覚さえ感じられた事に、荒也は次第に恐怖を感じ始めた。

「な、何だこれ、キモい。ただただキモい!」

 荒也は身じろぎし、仮面から離れようとした。しかし体はうまく動かず、仮面は距離を詰めて荒也の鼻に鼻先を突き付ける。

「君がいい」

 ぞわりと、彼は全身が総毛立つのを感じた。腕が動き、仮面を叩き落そうと振るわれたが、空を切る。仮面に手ごたえはまるでなく、なおも無表情なその顔でじっくりと荒也を見る。

 不意に、仮面が表情を変えた。ぐにぃ、と眼尻が垂れ、避けるように口端が吊り上がる。

「君がいい」

 彼が悲鳴を上げるよりも先に、夢が唐突に場面を切り替え、何も見えない暗闇に変わる。しかしその不気味な、あざ笑うような仮面の笑顔は、荒也の脳裏に鮮烈に焼き付いたのだった。


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