高さ


「がっ……ぎっ……ぐぅ……」


 エヴィルダース皇太子は、口をあんぐりと開けて唸る。意味が理解できない。言葉がおかし過ぎて、頭に入ってこない。


 こいつは、いったい、何を言っているんだ。

 

「簡単でしょう? ほら、前もやってくれたじゃないですか」

「ふざけるな! 上級貴族の爵位は、下級貴族の爵位とは次元が違う!」


 上級貴族の爵位など、一世代に1つ上がれば万々歳だ。慣例でも、1つの功績につき、爵位を1つ挙げるものだ。


 いや、1つ上げるのすら、莫大な戦功と深い縁故、強固な派閥の結びつきが必要だ。


 だからこそ、上級貴族たちは莫大な賄賂と、とてつもない忖度に勤しむ。それが、常識だ。


 この男は……


 前例も、常識も、慣例も、全てをぶち壊しにかかっている。


 あの軍神ミ・シルですら10の爵位を上げるのに、8年掛かっている。しかも、それはかつての四伯ヴォルト・ドネアが異例とも言える推薦し、エヴィルダース皇太子が全力で押し上げた結果だ。


 当然、この男に後ろ盾などない。


 派閥にも属さない、最下級の上級貴族が。


 わずか半年に満たぬ間に、軍神ミ・シルの10倍以上の早さで、爵位の階段をかけあがろうとしている。


「いったい貴様は何様だ! そんなの……許されると思っているのか!?」


 当然、エヴィルダース皇太子は拒絶する。いや、むしろ、その場で斬り掛かってもおかしくないほどの形相を浮かべている。


 だが、ヘーゼンはニッコリと笑顔で答える。


「だって、我が領の上級貴族たちが、可哀想じゃないですか」


 !?


「かわ……い……そ……う?」


 またしても、この悪魔から、不思議な単語が出てくる。


「ええ。私のせいで爵位が落ちてしまうなんて、あまりにも理不尽だ。彼らはクズですが、それでも、私の領民ですので」

「……っ」


 違う違う、そうじゃ、そうじゃない。


 気遣いの場所が、圧倒的にそこじゃない。


「そんなこと気にしなくてもいいんだよ! だいたい、反帝国連合軍との戦が勃発しながらも内乱をしていたヤツらだぞ!? 爵位の降格など然るべき沙汰だろう!」

「理屈に合いませんね。それだと、喧嘩両成敗が成立するので、私もある程度降格しなくては、公平フェアじゃない」

「えひっ……ぐぅ……」

「ちなみに、私は降格なんて、死んでも嫌ですから」

「あっ……あいぃ……」


 我儘オブ我儘。


 絶対に自分の意見通すマン。


 エヴィルダース皇太子は、もはや、混乱し過ぎて訳がわからない。


 そんな中。


 アウラ秘書官が冷静に答える。


「ヘーゼン=ハイム。話はわかった。だが、いきなり10階級の昇格は、現在激闘を繰り広げている四伯以上の功績となる。それは、できない」

「なぜですか?」

「当然、第1功績は最も早く戦に向かい、帝国を防衛した四伯だ。だからこそ、君への戦功は最高で四伯並みなのだ。それ以上の褒賞は、この戦に関わった全ての帝国将官を敵に回すぞ?」

「……」


 先ほど提示した功績で破格級なのだ。むしろ、払い過ぎと言ってもいい。でなければ、帝国のトップ層が納得しない。


 ヘーゼンは、少しだけ困ったように首を傾げる。


「なるほど。道理ですね」

「わかってくれたか? だが、細かくはやりようがなくもない。表向きはーー」

「ですが、

「……はっ?」

「たとえ、この戦が終わった後に、四伯と敵対関係になっても、全ての帝国将官に後ろ指を刺されても……私は一向に構いません」

「……っ」


 こっちは、めちゃくちゃ、構うんだよ。


「お気遣いいただきまして、ありがとうございます」

「……っっ」


 ペッコリと。


 黒髪の青年は、軽く会釈をする。


 お前が、少しは気を遣えよ。

 

 だが、そんな非難轟々の眼差しを、意に介さないヘーゼンは、淡々と笑顔で話を続ける。


「まあ、そうは言っても、私は四伯と敵対する気はありませんよ」

「わからないのか!? そんな破格級の功績を得れば、必然的にそうなるだろう?」

「問題ありませんよ。

「……っ」


 この男。反帝国連合国との戦に、いち早く参戦し。五聖と互角に渡り合い、防衛戦を必死に守っている四伯の圧倒的な功績を超えると断言している。


 果たして、そんなこと、可能なのか。


 ……いや。


 できるかできないかじゃない。


 この異常者サイコパスが本気でそう思っていることが問題なのだ。


 アウラ秘書官は、震える声を抑えて交渉を続ける。


「……譲歩する気はないということか」

「譲歩? 時間は私の味方ですよ。そして……勘違いしてもらっては困りますね」


 ヘーゼンは、漆黒の瞳を爛々と輝かせる。


「どういうことだ?」

「これは、交渉のテーブルにつく最低条件です」


 !?


「……っ」


 頭がクラクラしそうになるのを、アウラ秘書官は必死に抑える。


「帝都周辺の2領を追加でください……そうですね、ソシエダ領と、ラドスカ領でいいですから」

「くっ……」


 北と西の領だけにとどまらず、東と南の領まで獲ろうと言うのか。帝都の周辺の領は全部で8つあるが、ヘーゼンに渡せば、その半分を占めることになる。


 さらに。


「その他、我が軍が働いた分の褒賞については、後々協議させていただくとして、これだけは譲れません」

「くっ……」


 シレッっと、抜け目なく、金額の面でも補償させようとしている。


 異常なほどの強欲さだ。


 そのボッタクリよろしくの功績は、アウラ秘書官の予想を遥かに超えていた。


「少し……考える時間を……協議する時間をくれ」


 四伯と同等の褒賞を与える。これが、エヴィルダース皇太子を納得させられる、ギリギリの最終ラインだった。ハッキリ言って、自信がない。


 ここからは、アウラ秘書官自身も命を懸けることになる。流石に、ヘーゼンに対し殺意を覚える。


 だが。


「構いませんよ。ですが、先ほど言った通り。時間は私の味方だ。回答遅延分の金額が上乗せされることはお忘れなきようお願いします。

「……」


 嫌なやつ過ぎる。


「貴様……こんな馬鹿げた提案を飲むのか!?」

「……っ」


 案の定、エヴィルダース皇太子が、狂気乱舞しながら叫んでくる。もはや、堪忍袋の尾が切れ過ぎて、正気がどうかも定かではない。


 だが、アウラ秘書官はあくまで冷静につぶやく。


「……致し方ないかと」


 確かに常軌を逸しているが、足下を見られたなりの、捻出できなくはないギリギリを捉えているとも言える。四伯の地位をいきなり要求すれば、交渉がぶち壊しになることもわかっている。


 当然、狂人異常者なりのラインだが。


 だが。


 ヘーゼンは、笑顔を浮かべて、エヴィルダース皇太子に話しかける。


「私は、かつて10日以上飲食を控えたことがありましてね」

「な、なんだ! なんの話をしている……」


 狼狽するエヴィルダース皇太子に。


 ヘーゼンはあまりにも清々しく。


 深淵のようなドス黒い笑顔で。


 嗤う。


「いや、その時に、思ったんですよ。人は飢えて飢えてどうしようもなくなったら……雑巾で絞ったバケツの水が地面に溢れても、喜んで口をつけるって」

「……っ」


 あまりの暴挙。


 酷過ぎるほどの横暴。


 圧倒的な不敬。


 そして。


「き、き、きききききき貴様……に、雑巾で絞った水を、す、す、すすすすすすすすれと……すすれと申すのか!?」

「……あの」


 赤髪が総毛立ち、顔面が林檎のように真っ赤になったエヴィルダース皇太子の足下を見ながら、ヘーゼンがつぶやく。


「な、何だ!?」

「少し気になったんですけど」

「だから、何がだ!? さっさと……さっさと言えええええええっ!」

「高いと思うんですよね」

「高い? 当たり前だ! 貴様の要求は、はっきり言ってーー」





























が」

「……っ」



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