夢想


 ヤンはその足で、シオンを城の書庫に案内した。そこには、かなりの数の蔵書が立ち並んでいる。ヘーゼンがもともと所有していた本に加え、かなりの数の本を買い足しているので、上級貴族が所有する書庫を遥かに超えた規模となっている。


「凄い……」


 思わず彼女はつぶやき、その瞳を輝かせる。


「ここは、無料開放するらしいから、いつでも来て構わないよ」

「む、無料? これだけの本を?」

すーの方針らしいよ」


 ヘーゼンの数少ない性格的長所は、ケチじゃないことだ。自身の所有するあらゆるものを、他人と共有できるようにする。要するに物欲・独占欲というものが存在しない。


「それで。シオンはこれからなにをしたいの? 私でよければ手伝うよ?」

「うん……やっぱり、小金貨3枚もの税を納めるためには、田畑での作物を当てにしないとダメだと思う」

「まあ、この土地は山や川もある訳じゃないし、商業も盛んではないからね」


 ハッキリ言ってしまえば、なにもない土地。ここから、何かを得ようとすれば、まず避けては通れない道だ。


「でも、ここの土地は作物があまり育たないの。収穫量も他の区と比べると少ないし」

「田畑が荒廃してるってだけではないの?」

「それもあるとは思うんだけど……うーん。わからないなぁ」

「肥料とか。農家の人はなんだって?」

「全然育たないって。それだけ」

「土は調べた?」

「一応、他の土地のと比べて見たけど。なにが違うのか、私には全然わからない」

「うーん。手がかり無しかぁ」

「……ははっ、笑っちゃうよね」


 ヤンが悩んでいると、シオンが自虐的につぶやく。


「どうしたの?」

「私なんて、なんにもできないのに。自分だけのことで精一杯なのに。みんなを救おうだなんて」

「そんな……」


 ヤンが何かを言いかけた時。ヘーゼンがしれっと入ってきた。


すー! どうしたんですか?」

「どうしたもなにも、ここは僕の所有する城だ。目的の本を探すために決まってるだろう」

「……どうも」


 シオンが一応の礼儀として頭を下げる。


「君か。確か、小金貨3枚を用意してくれるんだったね?」

「くっ……」

「シオンちゃんだけじゃないですよ!? みんなで用意するんです! みんなで!」

「どっちだっていい。僕はその額があれば問題ないんだ。せいぜい、頑張ってくれ」


 ヘーゼンはそう言いながら、自身の調べもののために本を物色する。


「……本当は心の中で笑ってるんですよね?」


 シオンが悔しい表情を浮かべながら睨む。


「なんのことだ?」

「だって。私なんて、農地もないただの孤児の子どもで。ダリルさんみたいな長でもない。それなのに、でかい口叩いて……なんにも出来ないのに」


 ヘーゼンはしばらく彼女の表情を眺めていたが、やがて、フッとため息をついた。


「随分と小さな口だな」

「……えっ?」

「自分になにができるとかできないとか、関係あるかい?」

「そ、そりゃ……」

「僕は、大陸で争いのない世の中を創りたいと夢見たことがあるよ」

「……」

「もちろん、人々のためにとか、大層な動機じゃなかった。ただ、僕がそうしたかった。それだけさ」

「……」

「かつて、大陸中の貧困をなくしたいと願ったある子どもがいたよ。その子は、親が麦畑の農家で随分と苦労したらしい。僕には無謀な夢に思えたよ。その子は、財産も知識もなにも……爛々と光る漆黒の瞳以外、何も持っていなかったからね」

「……その子は、結局どうなったんですか?」

「農作物が標準よりも遥かに育つような肥料を開発した。それで、大陸の飢餓の3割を減らしたんだったかな」

「……凄い」

「覚えておきなさい。老人が変えようとする世界などロクなものではないってことを。子どもの描く夢想こそが豊かな未来を切り開くんだ」

「……」

「少なくとも、僕は自分の境遇に囚われて弱音を吐く者に魅力を感じない。さっさと家にでも帰って目の前の雑事に忙殺され朽ち果てるといい」

すーは一言……いや、百言余計なんですよ!」


 ヤンのツッコミを尻目に、目当ての本を探し終わったヘーゼンはその場を後にした。

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