第9話 説得
「終わったわ」
ラディムが考えている間に、既に治癒の光は消えていた。素人目にもわかるほど、大臣の背の傷口はきれいに塞がっている。
イアラが告げて間もなく、閉じられていた大臣の瞼が開いた。
医務室内に歓喜の声がこだまする。ラディムの口からも、自然と安堵の息がこぼれていた。大臣の回復とイアラの魔法がこの状況で受け入れられたこと、二重の意味でだ。
そんな中、一人の男がラディムの前に進み出た。
「あんた、姫様の護衛だろ。パレードから姫様を連れて逃げたところを俺は見たんだ。それなのに、どうしてあんたは今ここにいるんだ? 一体何が起きているんだ? あの大きな衝撃や破裂音もあんたの仕業なのか?」
「それは――」
一気に問われ、ラディムは返答に詰まってしまった。
パレードの件は、混蟲を戦争の道具にさせないための婚約破棄作戦の一環であった。そこに、不幸にもアルージェからの襲撃が重なってしまったのだ。
ラディムは躊躇した。
他国からの襲撃という事実を、一般人に教えてしまっていいのだろうか。
言ってしまったら、この場はさらに混乱してしまうのではないか。ここにいる人たちは怪我を負ってしまっている。原因が混蟲にあるということを知られてしまったら、もっと恐ろしい事態――混蟲狩り――が発生してしまうのではないか――。
様々な考えが浮かぶが、口に出すことができない。
怪訝な顔のまま、男はラディムの返答を待っている。
男だけではない。医務室内にいた他の人間も、皆ラディムを見つめていた。既に不信感を滲ませている者もいる。
「それ……は……」
「私から話そう」
助け船を出したのは、他でもない大臣であった。
既に話ができるまでに回復していることに、医務室内にいた人々は口を開けて驚愕している。
大臣は何とか起きあがろうとしたところを、イアラに阻止された。再びベッドに沈んだ状態で、大臣は医務室内にいる人間たちを一度見回してから続ける。
「現在我が国は、他国からの攻撃を受けている。先ほどの爆発音もそれだ」
「なっ――!?」
「それは本当なのですか、タキトゥス様!?」
タキトゥスというのは大臣の名だ。大臣は目を伏せ、肯定する。
ラディムは焦ったが、下手に情報を伏せる方がこの状況では悪手だと大臣は判断したのだろう。確かに、既に死者も出てしまっているならそれが最善か。
ざわめきはいっそう大きくなって医務室内に広がっていく。
「そんな……」
「どうしてこの国に……」
「やっぱり、外の国と交流なんて始めたからじゃ――」
「タキトゥス様の酷いお怪我も、そいつらが原因ってわけか……」
「てことは、既に城の中にまで攻め入られているわけですか!?」
まずい、とラディムは思った。このままヒートアップすれば、さらなる混乱は避けられなくなるだろう。逃げ出す者が出てくるはずだ。
まだこの一階は落ち着いている。先ほどの襲撃者は一度外に出たようなので、できればこの場に留まっていてほしい。
城下町にいる人数とは比べものにならないが、少人数でも無闇に城の中を民間人に動き回られると、後々の厄介の種になりかねない。
「大気よ。我が身に宿りて荒れ狂う盾となれ」
突然のラディムの魔法の詠唱に、人々は驚き、医務室内は瞬時に静まり返る。
もちろん、放つつもりはない。注目を集めるためだけにやったことだ。それでも騒がしくしていた面々は数歩
そうだ、いつだってこの反応は変わらない――。
氷で胸の内をなぞられたような感覚を抱きながら、ラディムは続ける。
「
ラディムは風
「混蟲を、信じてくれ。勝手な言い分だとはわかってる。それでも俺は――この国のために力を使うから。事態の収拾に全力を尽くすから――」
それは皆を安心させるための宣言であり、また懇願でもあった。
医務室内は静寂に包まれたままだ。皆は困惑を表情を浮かべている。
ラディムは肩を落とすことはなかったが、それでも一抹の寂しさを覚えていた。
緊急事でさえ、混蟲は頼りにされないというのか――。
そんな中、一人の少女がおずおずとラディムの前に進み出た。
髪を二つに縛ったシルバーブロンドの少女は、年齢は六歳前後だろうか。彼女の後ろでは母親らしき女性が引き止めようと手を伸ばすが、その手は
「……おにいちゃんが、タキトゥス様を怪我させた人、止めてくれるの?」
「あぁ。絶対に何とかする」
しっかりとしたラディムの返答に、少女の顔からは怯えの色が完全に消えた。
「じゃあわたし、信じるよ。おにいちゃんのさっきの魔法、とてもすごかったから。風があんなに集まるの、わたしはじめて見たもん」
「風以外も使えるぞ」
「本当?」
「ああ。火とか土とか氷とか。水……も、まぁ」
「すごい」
キラキラと目を輝かせる少女。しかしやや間を置いて、ラディムを見つめたまま首を傾げる。
あぁ、複眼が気になるのだなと、ラディムは瞬時に察した。こういう反応は今までに何度も見てきたからだ。
「……これは『目』だ。色々な方角が見えるから、慣れると結構便利なもんだぞ」
見た目はあまりよくないかもしれないけれど――。
そう言うと、少女はぶんぶんと首を横に振った。
「あのね、わたしはおにいちゃんの大きい方の目、とてもきれいだと思うよ」
思わず、ラディムは瞠目してしまった。
あの日のフライアの姿と声が、一瞬にして頭の中に蘇る。
初めて、混蟲である自分を肯定された日――。
まさか別の人間に再び同じことを言われるとは、想像すらしたことがなかった。少しは、この目に自信を持ってよいのだろうか。
「そう、か……。ありがとな……」
少女のふわふわの頭をくしゃりと撫でる。フライアにする時よりは、若干力を抜いて。少女はくすぐったそうにはにかみながら「がんばってね」と言い、母親の元へと戻っていった。
少女のおかげで、医務室内の空気はガラリと変わった。混蟲に対する期待も高めてしまったが、それは自分が死に物狂いでどうにかすれば済む話だ。
そこで、ベッドの上の大臣と目が合った。傷が癒えたとはいえ、まだ本調子ではないのだろう。少し息苦しそうにしている。
「ラディム……なぜ、私を助けた……」
「いや、どれだけ俺のことを鬼畜だと思ってたんだ。あんたみたいな人でも、目の前で死なれたらさすがに目覚めが悪いからだよ……。それより、無理して喋んなって」
「そういうわけにもいかぬ。……襲撃者は自分のことを『ムー大陸の魔道士』だと言っていたのだ」
「――!?」
大臣の言葉に、ラディムを始め医務室内の全員が目を見開いた。
既にこの世にいない、遥か昔の存在。
だが、ラディムは知っている。ムー大陸の魔道士は、歴史の中だけの存在ではない。
約一年前、混蟲を作った魔道士と彼は相対した。そして、地下を秘密裏に操っていた別の魔道士がいたことを。
(となると、襲撃者はその魔道士か――?)
「奴の狙いは姫様だ。すまぬ……真っ先にお主に伝えるべきであった。奴に脅され……喋った者がいるのだ……」
「な――!?」
魔道士の狙いは、フライア――。
どういう意味だと、詳しく問う間はなかった。このタイミングで、大臣は再び意識を手放してしまったのだ。呼びかけても、両の目は閉じられたまま開かない。
「傷はひとまずは癒えたけれど、失った血や体力までは魔法では回復させられないわ。痛みも完全には消えていないでしょうし。今はこのままにしてあげて」
イアラの言葉の意味を誰よりもわかっていたラディムは、歯がゆさを滲ませながらも頷いた。
確かに自分の時も、長い間ベッドから出ることができなかった。
「……イアラ先生、あとは頼みます」
「もちろん。それと、『襲撃者』は外から再び城の内部に入ったみたいよ。今は中庭に向かっているわ」
「え――?」
彼女からスルリと告げられた情報に、ラディムは思わず言葉を失ってしまう。
どうして、イアラがそのことを知っているのか。彼女はずっとここにいて、負傷者の手当てをしていたはずだ。しかし、イアラが嘘を言っているようには到底見えない。
イアラには、ラディムだけでなく城の誰にも言っていない秘密がある。
体から出した透明な糸を建物に張り巡らせ、城内の『音』を瞬時に聞くことができる――というものである。
彼女はその能力を使い、謁見の間で起きた惨劇も知ることとなっていた。大臣の容体を見た時も落ち着き払っていたのは、既に承知であったからだ。
白の炎で糸が焼き切れてしまっていたので、今は謁見の間の様子は聞くことができない。だが、城内に張り巡らせた糸は、まだ無数にある。
「私も混蟲だからね」
ラディムの疑問は顔に出ていたのであろう。イアラはイタズラっぽくウインクしながら答える。その顔はもう、いつもの捉えどころのない彼女のものであった。
「わかった……。ありがとう、イアラ先生」
ラディムはその件については深く追求することなく、医務室を飛び出した。
すぐさま背から
大臣の言う通りなら、襲撃者の魔道士はフライアが狙い。そして彼女のいる場所の情報を、既に手に入れてしまっている。
「間に合ってくれ――」
研究室に向かう地下牢には、幾重にも鍵がかけられている。普通であればかなりの時間を稼ぐことができるはずだが、先ほどのような威力の魔法を使う相手には、鍵など何ら意味がないであろう。
魔道士がフライアの所に行くことだけは、絶対に阻止しなければならない。
――しかし、あの魔道士がどうしてこの国に……。
ラディムは奥歯を強く噛み、さらに飛翔速度を上げた。
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