第6話 接触

 エドヴァルド、パルヴィ、ヘルマンの三人は、街道を駆け抜けて地下の入り口へと向かっていた。

 途中、兵士らに促され帰宅する多くの人々とすれ違った。奇異と好奇心の入り交じった視線を一身に受けるエドヴァルド。純白の衣装のままだから仕方がない。

 それでも、彼女らの足は止まることはない。説明は後ですればいいのだ。そのためにも、まずは目前に迫った驚異をどうにかしなければ。

 天に昇る光の柱が出現し、前方の地が弾け飛んだのは、三人が地下へと続く新道に入った時だった。

 三人は驚愕で目を見開き、思わず足を止める。そして、信じられない光景に絶句した。

 空いた穴から、多くの人間が出てきたのだ。しかも皆、浮いている。見たことのない皮製の防具に身を包んでいる人間は、間違いなく兵士のたぐいだろう。

 エドヴァルドは咄嗟に二人の腕を引き、近くの草藪に身を隠す。

 彼らが、先ほど聞いたアルージェ国の者たちなのか。しかし今の光は、どう見ても魔法にしか見えなかった。『外の国』の人間は、魔法が扱える者はいないはずではなかったのか。

 エドヴァルドの脳内が混乱で揺れる中、集団の中から声があがった。息を潜めていた三人は、いっそう緊張に身を強張らせる。


「さて。僕の役目はここまでだ」

「ペルヴォプラ殿、最後に一つだけこちらの我が儘を。この書簡をテムスノーの王に届けてはくれませぬか」


 立派な顎髭を持つ老年の男が、懐から薄く丸められた書簡を取り出す。眼鏡をかけた藍髪の青年はいやな顔をするでもなく、すんなりとそれを受け取った。


「僕は郵便屋ではないんだけどな。……ん? 次の仕事・・はそれも面白いかもしれない。まぁついでだし渡してあげるよ。あとはご自由にどうぞ」


 言うや否や、藍髪の青年は城に向けて飛び立ってしまった。


 ――どういうことだ。


 エドヴァルドは、藍髪の青年の後ろ姿を眺めながら戸惑う。

 飛んだということは、普通の人間ではないということだ。だが、この場に残った他の人間たちが飛ぶ様子は見られない。つまり、あの眼鏡の青年だけが飛ぶことができる――ということだろう。先ほどの光の柱も、おそらく彼の仕業であろう。

 だが、エドヴァルドが疑問に思うことは他にもあった。

 彼の名前と声を、聞いたことがあったのだ。

 あれはそう、地下で捕らえられたフライアを探していた時。フォルミカの私室の奥にあった、紅色の宝石――。

『蟻』の一族を生み出した魔道士のものではなかったか。

 彼が件の魔道士ならば、魔法が扱えることも納得がいく。だが、なぜアルージェ国の者たちとこの国に来たのか。あの時彼は、何百年も『閉じこめられている』と言っていたはずだ。


「我らも城に」


 エドヴァルドの思考は、老年の男の声に遮断された。

 草藪の陰から見える男の姿は、一国の主を想像させる格好をしていた。武装をしているが、おそらく彼がアルージェ国の王その人なのであろう。だが、漂う風格は歴戦の戦士にも見える。

 王の一言で周囲の兵士らは隊列を整えるが、一人それに加わらない人物がいた。全身に短剣を括り付け、背にだけ長剣を背負った、赤髪の男であった。

 幾分か緊張した面もちの兵士たちの中で、一人不気味な笑みを浮かべている彼の雰囲気は、特に浮いていた。


「先に行っといてくれ。俺は準備運動で、鈍った体を温めさせてもらうぜ!」


 瞬間。

 赤髪の男が吠え、跳躍した。

 エドヴァルドらが隠れている茂みに向かい、一直線に。

 いつの間に抜いたのか、男の両手にはダガーが握られている。茂みに突進した男は蟷螂の如く、刃物を持つ腕を横に振るった。


「――!」


 寸での所で三人は横に散り、事なきをえる。だが、男の実力はそれだけで充分に伺い知れた。

 彼はエドヴァルドとパルヴィの首筋を正確に狙ってきたのだ。一見して屈強なヘルマンには目もくれず、しかし反撃に警戒しつつ。華奢な二人をまず確実に減らそうとしてきた。

 慣れている・・・・・

 三人の緊張はいやが上にも高まる。


「終わったらすぐに来い」


 老年の男は、しかし赤髪の男の行動に驚く素振りも見せない。それどころか彼の方に振り返ることなく、他の兵士らを従えて歩き出す。

 男と対峙していたエドヴァルドたちは、誰一人として動くことができなかった。

 かの集団を追えば、即座に後ろから男に襲撃される――。

 静かな殺気を、三人は感じ取っていたのだ。


「よう、俺はガラズチってんだ。今のを避けるとは思ってなかったぜ。さすが、魔法を使える連中だけあるな」


 男は魔法のことを知っている。どうやら混蟲についての知識はあるらしい。

 外の国の人間にこちらの生体を知られていることに、想像以上の畏れを感じてしまった。エドヴァルドの眉がわずかに内に寄る。オデルに対してはそのようなこと、微塵も感じなかったのに。


「できる奴には名乗るのが俺の流儀だ。あの世に行く時の土産にでもしろ。あぁ、でもお前らの名はいらねえ」


 すぐに死ぬ奴らの名を覚えておくほど、脳の容量が大きくねえんだ――。

 ガラズチは笑いながら、蛇が獲物を見定めるかのように視線を一巡させる。そして彼の濁った黄色い目は、エドヴァルドに固定した。


「その格好……。お前がレクブリックの王子と一緒になったっていう王女か。危険を察知してこんな所に隠れてたってわけか?」


 エドヴァルドがガラズチの言葉に困惑したのは一瞬。彼女は『王女』であることを否定しなかった。パルヴィとヘルマンに素早く目配せをし、本当のことを言うなと案に伝える。

 このまま勘違いをしてくれていた方が、おそらくフライアの身を守れると瞬時に判断したのだ。

 フライアの姿を知っているのはペルヴォだけだ。アルージェ国の人間は、誰一人としてフライアの容姿を知らない。ペルヴォは彼らに、王女がどのような容姿をしているのか、特徴を伝えることはしていなかった。

『ヴェリス』の元へ行きたいという焦燥と、他の者に手を出して欲しくないという独占欲から、ペルヴォは伝えなかったのだ。


「魔道士は王女には手を出すなって言っていたが、俺には関係ねえ。ここまで連れて来て貰った義理はあるが、義務ではねえしな。俺は目の前の人間を刺して、斬るだけだ」


 ガラズチは短剣の一本を鞘に戻し、背負っていた長剣を抜く。

 歪な二刀流は、しかし全く構えに隙がない。

 エドヴァルドは腰を落とし、拳を引く。

 パルヴィは短剣を取り出す。

 ヘルマンは腕を胸の前で折り、魔法の発動体制を取る。

 人間を相手に、混蟲が三人。

 通常ならありえない布陣だった。獅子が兎を狩るに等しい力関係である。

 だが、彼らは本能で感じていた。

 この人間は、普通ではない。兎などではない――。

 彼らの直感は極めて正しかった。ガラズチは、これまで幾度となく戦場に単身繰り出し、その度に戦いを『楽しんできた』人間である。

 刃物の死神。

 彼の異様な全身装備から、いつからかそのようなあざ名で呼ばれている人間だった。

 少し強い風が吹き抜けた。

 木々が揺れ、一枚の葉が彼らの間を横切るように飛んでくる。

 その葉が地に着いた瞬間、四人は一斉に動いた。

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