第3話 王子の苦悩

「それは……どういうことですか……父上」


 金の髪を後ろで一つに束ねた青年は、深い青色の目を見開き、掠れた声を出した。


「そのままだ、オデル。以前お前が世話になったテムスノー国。お前はそこの婿養子となる」

「意味が、わかりません……」


 先ほどと同じ言葉を繰り返す父を、オデルは呆然と眺めていた。

 学問の国と呼ばれる、レクブリック国。しかしその城は、要塞を彷彿とさせるような灰色の強固な造りのものであった。

 その城の四階の一室。レクブリックの王の私室に、オデルと彼の父、エニーナズはいた。

 オデルと同じ金の髪を持つエニーナズ。オデルと兄弟だと言っても通じてしまうほどの若々しさと整った顔立ちを持つ彼は、レクブリック国民が誇る王であった。

 兄弟たちの中でオデルが一番エニーナズと似ている。兄たちは母親の血を色濃く受け継いだのか、赤みを帯びた茶髪なのだ。それがまた、オデルが兄弟たちから疎まれる要因の一つとなっていた。


「日は一ヶ月後。船の寄贈と共に、お前はテムスノー国の王子となる」

「納得がいきません、父上」

「お前は、レクブリック国を危機から救いたいとは思わんか?」


 唐突なその質問は、オデルを混乱させるだけであった。

 自分の住まう国だ。何か危機が迫っているのなら当然救いたいと思う。

 だが、オデルはエニーナズの問いかたに疑問を抱いた。これではまるで、既に目前に危機が迫っているかのようではないか。

 オデルの視線だけの追求に、エニーナズは嘆くように答える。


「実は、『北』が怪しい動きをしている」

「『北』……アルージェ国ですか」


 エニーナズは神妙な面もちで頷いた。

 レクブリック国の北に位置するアルージェ国は、『学問の国』と呼ばれるレクブリックとまるで対をなすかのような『武の国』――軍事大国だ。

 これまでも国土を広げるため、何度も周辺の国に攻めいっている。そしてアルージェ国がレクブリック国の『知』を欲していることは、エニーナズもよく知っていた。

 アルージェ国の領土の一部にならぬかと先の王より提案を受けたのは、一度や二度では済まない。レクブリックが提案を受け入れないことに業を煮やし、ついに実力行使に打って出ることにしたのか。

 実力行使。即ち、戦争。

 オデルの背中に冷たい感触が這う。

 しかし――とオデルは父に問う。


「それが、今回の婚約とどう関係しているのですか」

「……魔法だ」

「――!?」


 全身に冷や水を浴びせられた気分だった。エニーナズの短い言葉は、オデルを動揺させるには十分すぎた。

 オデルの反応を横目で見ながら、エニーナズは淡々と続ける。


「アルージェ国の武力には、我が国では到底太刀打ちできぬ。だが、テムスノー国の魔法……。それがあれば、アルージェ国から我が国を守ることができるであろう。テムスノー国が、レクブリック国を救う鍵となる。お前の姿が変わった時はどうなるかと思ったが、結果的にテムスノー国との架け橋を繋いでくれた。とても感謝しておるぞ」


 つまりエニーナズは、オデルと引き替えにテムスノー国の魔法の力を得ようとしているのだ。

 テムスノー国で出会った人たちの顔が、オデルの脳内を掠めていく。

 確かに彼らの扱う魔法には、オデルも目を見張るばかりだった。

 しかし――。


「あの人たちを戦争の道具にさせるというのですか! レクブリックを守るために!」


 穏やかの塊と言っても過言ではない、オデルが見せた珍しい激昂にもエニーナズは表情ひとつ変えない。オデルは拳を強く握りしめ、父を睨みながら続ける。


「できません。この婚約の話は、直ちに撤回してください」

「では問おう。我が国が戦禍から逃れる策を」

「それは……」


 オデルは唇を噛みしめ、視線を下げる。オデルは軍師ではない。そのような策を、オデルが咄嗟に思いつくはずもなかった。対話で解決するような国であれば、このような事態にはなっていない。


「密偵からの報告では、既にアルージェ国は動いておる。我が国と近い町に物資を運搬し始めておるそうだ。動きはまだ遅いみたいだが、早くとも二ヶ月後にはアルージェ国の武器が我が国民を貫いているかもしれぬのだ。お前の気持ちも理解できぬことはないが、もはや猶予はない。一ヶ月後だ。すぐに準備に入れ」


 エニーナズはもう言うことはないと言わんばかりに、オデルに背を向けた。オデルは何も言葉を見つけることができないまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。






「くそっ……!」


 エニーナズの私室を出たオデルは、拳を激しく壁に叩きつけた。

 自分の身勝手な行動によりあの国の多くの人を傷つけ、そして助けられた。そんな彼らに、さらなる迷惑をかけてしまうことになろうとは。


「すまないラディム。まさか魔法の情報を父が把握しているとは……。僕は君たちにとって、ただの災厄にしかならないみたいだ……」


 拳を壁に押しつけたまま、オデルは整った顔を歪ませるのだった。






 オデルがテムスノー国から出る前に、ノルベルトはあることを彼らや従者らに頼んでいた。

 テムスノー国で見た魔法のことを、国に帰ってからも広めないで欲しい――と。

 オデルはその頼みを真摯に守り通していた。

 あの魔法という力は、今の世界の情勢を大きく塗り替えない力だとオデルはひと目見た時から強く懸念していた。仮にその存在が知られたら、魔法という巨大な力を求め、テムスノー国に進軍する国が現れても何らおかしくはない。

 テムスノー国で友人となった彼らの平穏な生活のためにも、絶対に胸に秘めたままでなければならない。オデルの決意は鉄のように凝固であった。

 さらにオデルは、帰路に着く船上で念を押すように従者たちに告げた。


「テムスノー国の魔法のことは、絶対に、他言無用である」


 魔法の力のことが他の人間に知れ渡ることとなってしまったら、その話は瞬く間に街に広がり、国境を越え、他国にまで知れ渡ることとなってしまうだろう。

 オデルは従者たちに何度も強く言い聞かせた。従者たちは真剣な面持ちで深く頷いた。この世界を動かす鍵を握ってしまったことの重圧が、彼らの胸を押し潰してしまいそうであった。

 だが、この時オデルはある失策をしていた。

 オデルは従者たちに言わなかったのだ。「仮に口にするようなことがあれば、今この場にいる全員の首を即刻刎ねる」と。

 オデルに付き添ってテムスノー国までやって来た従者たちは、オデルを敬い、信を預ける者たちだ。だが、中にはそうでない者もいた。数合わせに仕方なく――という者も僅かだがいたのだ。

 オデルは王子ではあるが、その出自は少々複雑だ。正統な血の者ではないと、そのような目でオデルを見ていた者も従者の中に混ざっていた。その彼らは、オデルの言葉にも半分しか耳を傾けない。オデルの真摯な願いにも。

 さらに魔道士ヴェリスがフライアを攫い、森の上空を飛翔する姿を、従者たちは目撃してしまっていたのだ。共にテムスノー国までやって来た考古学者のありえない姿に、皆はただ驚き、放心することしかできなかった。そして船を動かす船乗りたちも、これまでにオデルと接点のなかった者たちばかりだった。

 人の口に戸は立てられない。

 命を取られることのない、そして連帯責任もない『秘密』は、いともあっさりと流出してしまった。

 これはオデルがまだ若いうえに三男で、人を統治する術を会得していなかったことが大きな要因だった。彼は大勢の人間の心の流れを掌握できるほど、人の上に立っていなかったのだ。

 オデルの誤算はもう一つあった。それは、テムスノー国から贈られた『鳩』だ。

 魔法で長距離を移動できるように強化された伝書鳩を使い、二国は交流を進めてきた。そのテムスノー国側の発信源――大臣は鳩を二羽使い、ノルベルトらを巧妙に欺いていたのだ。

 一羽をノルベルトとエニーナズ、王同士を繋ぐものにする一方、大臣はその裏でエニーナズと秘密裏に繋がっていたのである。

 こうして混蟲メクスが国の頂点に君臨するのを阻止したい人間と、混蟲の魔法を手に入れたい人間との思惑が一致し、フライアとオデルの婚約話が進められていったのだ。







 朝焼けが、にじむように東の空に広がり始めた時刻。街外れにある森の入り口の前で、オデルは一人佇んでいた。

 人喰い森――。

 この森がそう呼ばれることとなってしまったのは、ここに住んでいた混蟲が要因であるとオデルは確信していた。

 その混蟲がどのような姿だったのかオデルは知る由もないが、森自体にそのような異名が付けられてしまうほど、人間の目から見ると衝撃的な姿であったのだろうと容易に想像がつく。

 ここは、レクブリック国の中でテムスノー国を唯一感じることができる場所――ヴェリスがオデルに見せてくれた、あの混蟲の日記が見つかった森だ。

 あの日記がなければ、テムスノー国へ行くことはおろか存在すら知らぬままであった。オデルは日記を見せてくれたヴェリスに対する複雑な気持ちを抱いたまま、森の中へと足を踏み出した。

 鬱蒼うっそうと茂る草木の中、獣道のようなものがある。おそらくここを通ったのは獣ではなく、人間なのだろうが。そのおかげで、オデルは迷うことなく歩みを進めることができた。

 僅かに届く木漏れ日が、地面を豹の柄のようにいろどっている。オデルはそのまばらな模様の上を、できる限り静かに歩き続けた。森に住まう動物たちの邪魔にならないように。

 やがてオデルは、朽ちかけた小屋の前に到着する。彼がテムスノー国に行く要因となった、あの日記が見つかった小屋である。

 触れると今にも崩れ去ってしまいそうな外観に若干恐れを抱きながら、オデルは小屋の扉をそっと押し開けた。年月を感じさせる音が蝶番ちょうつがいから発せられた後、部屋の中から埃っぽい空気が流れてきた。


「ここが……」


 オデルは呆然と呟きながら、部屋の中を見回した。

 埃の積もったテーブルの上には、何も置かれてはいない。椅子は一着だけ。テーブルも椅子も、木の端をくり抜いて上手にはめ合わされた造りの物だった。調度品のような精巧さはなく、どちらも微妙に曲がっていることから、ここに住んでいた住民の手作りなのだろうとオデルは思った。

 暖炉だけは煉瓦れんがでしっかりと造られていたが、食器棚は非常に小さく簡素。その中に置かれてある木製の器の中には、穴が空いているものも幾つもあった。屋内に侵入した虫の仕業だろう。

 壁に貼られた色褪せた大きな地図が、嫌が応にも視界に入ってくる。方角や木の実が取れる場所が細かく描かれた地図は、住民がこの森で必死に生きようとしていた証に見えた。触れると今にも崩れてしまいそうな地図を流し見ながら、オデルは静かに室内を移動する。

 書き連ねた日記を保存するだけに存在していたであろう本棚は、からっぽだった。この場所を知ったムー大陸を研究する学者たちが、嬉々として持ち去って行ったからだ。現在は図書館のほうに厳重に保管されている。


「君はここに来て、本当に良かったのかい?」


 テムスノー国で人間から差別されることが嫌になり、国を去った混蟲。しかし外の世界では、さらに過酷な現実が彼を待っていたのだろう。だから彼は、人が滅多に立ち入ることのない、このような森の奥深くに居を構えたのだ。

 オデルはいびつな形の椅子に腰掛け、目を閉じる。


「僕も、立ち向かおうと決心したのにな……。結局何もできないままだ。国の中にも外にも、どこにも居場所がない。何だか、君と僕とは似ているな」


 姿の見えない百年前の住民に、オデルは再度語りかけた。

 オデルが元の姿を取り戻し、国に戻った後。彼は継母や兄達と真摯に向き合おうとしていた。しかし、十数年築き上げられてきた立場と態度は、そう簡単に変わるものではなかった。

 オデルの願いも空しく、継母や兄達は相変わらず彼を見下し、避け続けていたのだ。それでもオデルが彼らの態度に傷ついたり腹を立てる頻度は、極端に減っていた。テムスノー国に出向いたことが、オデルの心に変化をもたらしたのだ。今すぐに変わらなくとも、いずれ彼らと心から向き合える時がくるとオデルは信じることができるようになっていた。

 しかしそれも、今回の婚約の件で全て無になってしまうことだろう。心臓を鷲掴みにされたかのような痛みがオデルを襲う。


「君は国を出たことを、後悔したかい?」


 オデルの問いに答えるのは、大気が死んだかのような静寂だけであった。

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