第14話 地下の歴史

 主人は、ベッドの上のラディムたちにカップを手渡す。中では茶色の液体が小さく揺れている。コーヒーだった。

 ちなみにこの国のコーヒーは、他国の物と大差ない飲み物だ。島国であるが、元々祖先たちは様々な大陸からやって来た者。多種多様な文化が入り混じり、今日まで来たのがこのテムスノー国である。


「……どうも」

「あ、ありがとうございます」


 素直に礼を言う二人に、主人は目を細める。


「砂糖は一杯だけ入れてきたから。好みじゃなかったらおかわりから言って頂戴。ただし、お金は頂くわよ?」


 そしてラディムの横に豪快に腰掛けた。反動でベッドが上下に揺れる。

 得体の知れぬ恐怖を感じ取り、反射的に上半身を反らすラディム。そんな彼の反応に気付いているのかいないのか、主人はマイペースに続けた。


「そういえば自己紹介がまだだったわね。看板にも書いてあったと思うけれど、私はキャシーっていうの。さっき触った時も感じたけど、お兄さんなかなか良い体つきをしているわねぇ。かなり私好みだわ」


 ぞわっと、言いようのない悪寒がラディムの全身を走り抜けた。この主人の狙いが何なのかはわからないが、貞操だけは護りきってやる――とラディムは喉を鳴らしながら決意する。

 キャシーは続けて、嬉々とした表情のままフライアへと顔を向けた。


「あなたはとても小さくて可愛いわねぇ。お人形さんみたいで抱き締めたくなっちゃうわぁ」

「あ、ありがとう、ございます……」


 自分だけでなくフライアにも不穏な視線を送るキャシーに、『まさかこのおっさん両刀使いか……』とラディムの胸の内にさらなる危機感がつのる。最悪、フライアだけはなんとしてでも逃がさなければ。


「ほら、そんなに端っこに寄っていないでこちらへいらっしゃい」


 ベッドの端で小さくなっていたフライアに、キャシーはおいでおいでと手を招く。フライアは子犬のようにびくつきながらも、素直にそれに従いラディムの隣で姿勢を正した。フライア一連の行動に、満足げに頷くキャシー。


「さて。では早速お兄さんに、優しい胸の揉み方を指――」

「指導してくれなくていい!」


 いきなりとんでもないことを言い出したキャシーの言葉を、ラディムはすかさず遮った。手にしたカップの中身が激しく揺らめき、あわや中身がこぼれるところであった。

 そのやり取りのせいで、またフライアは目元を潤わせながらベッドの端に逃げてしまった。隣でちょこんと座る姿が可愛いかっただけに、ラディムは密かに肩を落とす。


「えー。せっかく私の技を伝授してあげようと思ったのに。この方法なら彼女もバストアップ間違いないわよ」

「な、何だと……? そんな技が……」


 反射的にフライアの方に振り返ると、彼女は再び顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。


「――って違う! だから俺はそんなことをするつもりはないんだっつーの! さっきのは事故!」

「まぁ冗談はこのくらいにして。そろそろ本題へと入るわね」

「冗談だったのかよ!」


 散々振り回された挙句の冗談発言に、ラディムは思わずツッコんでしまった。が、キャシーの表情が先ほどまでとは違う、柔和にゅうわなものから鋭さを帯びたものになっていることに気付いたので、彼の心も瞬時に冷却されたのだった。

 フライアも空気の変化を敏感に感じ取り、緊張した面持ちでキャシーを見つめる。


「……それで、『上』のお姫様がわざわざ地下に何の御用があって来たのかしら?」

「――っ!?」


 キャシーの一言に、ラディムもフライアも動揺を隠すことができなかった。


「あら、そんなに警戒しないでちょうだい。取って食やしないから。あなた達をわざわざここに案内したのも、店のお客さんたちに気付かれないようにという意図があってのことよ」


 キャシーはそう言うとフライアの顔を見据え、静かに微笑んだ。


「……なるほど。確かにあの場で誰かに気付かれたら、面倒なことになっていたかもしれないな」


 地下を歩き回っている時にフライアの正体を知っている者がいなかったのでラディムはすっかり油断していたが、フライアは曲がりなりにもこの国の王女だ。王宮の支配が届かぬ地下とはいえ、知っている者もいる可能性があるというのは、常に考えておかねばならないことだった。

 自身の考えの足りなさにへこむラディム。護衛としてもっと周囲に気を張らねばならない、と奥歯を強く噛みしめる。


「あの、私たちはある人を追ってここまで来たのです。でも見失ってしまって……」

「へぇ。それで私の店に聞きこみに来たってところ?」

「物わかりが良くて助かる。俺たちはエドヴァルドという人物を追っている。そいつの両親が女王蟻の一族に捕まってしまったみたいで、どうやら一人で助けに行ってしまったみたいなんだ。俺たちも後を追いたいんだが、まったく場所がわからない。知っているなら教えてほしいんだ」


 一気に事情を説明したラディムに、キャシーは目を剥きながら大きな声を出す。


「エドヴァルド……!? それに両親が女王蟻の一族に捕らえられたですって!?」


 鬼気迫る形相で詰め寄ってくるキャシーに、ラディムは無言のままこくこくと無駄に首を縦に振ることしかできなかった。


「おじさん、女王蟻さんのことを知っているのですか?」 

「私は『おねえさん』よッ!」


 フライアの言葉にキャシーはさらに両目をくわっ! と見開き、フライアに抗議する。キャシーの剣幕に驚いたフライアは薄紅色の瞳をウルウルとさせながら「ごっ、ごめんなさい」と何度も繰り返した。


「すまんフライア。今のは俺も援護できん……」


 思わず小声で呟くラディムだった。

 気を取り直すように、キャシーは一度控えめな咳払いをしてから続ける。


「わかったんなら続けるわよ。女王蟻の一族というのは、地下を支配している権力者のことよ。地下に住んでいて知らない者はいないわ。この国ができて間もない頃から、女王蟻の一族は地下に住んでいたみたい」

「そんな昔から……」

「この国を創った混蟲メクスたちは、最も昆虫の遺伝子を色濃く植えられた者ですからね。地上より地下に居住を作る方が落ち着くようになってしまったのかしら。なにせ蟻だから」


 どうやらキャシーは混蟲についての知識を地上の人間よりも持っているらしい。それはそうだろうな、とラディムは一人納得する。混蟲がウロウロしていても珍しくない地下で、さらに酒場の主人をやっているのだ。

 それにしても――とラディムは思う。どうやらこの国は上と下と、実質二つに分かれているようなものらしい。ラディムはこの国が擁する問題を、初めて強く認識したのだった。地下に関する情報がこれまで地上にほとんど流れてこなかったことは、やはり女王蟻の一族が強く関係しているのろう。

 地下は王宮の力が通じないと、出発前に聞いたノルベルトの言葉を思い出す。本当の意味でそれがわかったラディムは、知らず拳を握りしめていた。


「でも、そう。エドヴァルドの……。とうとう捕まってしまったのね……」


 赤髪の主人は頬に片手を当てながら呟いた。含みを持たせた言葉の端を、ラディムは無視することなく切り込んでいく。


「もしかしてあんた、エドヴァルドと知り合いなのか?」

「えぇ、良く知っているわよ。ご近所さんだしね」


 ご近所と言われて、なるほどとラディムは納得した。確かにエドヴァルドの家を出てからここまで、距離にするとほとんど離れてはいない。改めて思い返すと、複雑な道で距離が長く感じてしまっていただけだ。


「あなたたちもエドヴァルドとはどういう関係なの?」


 キャシーに問われ、フライアとラディムは一瞬互いに顔を見合わせてから続ける。


「エドヴァルドには、私の護衛をやってもらっていたのです。でも急にお休みを貰うって言っていなくなってしまって……。なんだか深刻な事情がありそうだったから、心配で追いかけて来たの」

「それで追いついたのはよいものの、あいつの両親が捕まったとか何とかあって。そして、俺たちはあいつに一服盛られて置いていかれたってわけだ」


 ラディムたちの説明に、キャシーは目を丸くする。


「上のお姫様があの子のために、わざわざこんな所まで追いかけてくるなんて……」


 キャシーは無言のまま考えこんでいたが、ほどなくして口を開いた。


「そうね、あなた達になら……。エドヴァルドが向かった先のことと――女王蟻一族のことを知りたいわけよね?」


 二人は黙したまま強く頷く。ここに来た時から決意は変わらない。

 エドヴァルドの力になることが、結果として長きに渡って地下を統一しているという、女王蟻一族と深く関わることになろうとも。


「少し説明が長くなるわよ」

「え……。でも放っておいて大丈夫なのか?」


 顎で店の方を指しながらラディムが言うと、キャシーは目尻に浮かぶ皺をさらに増やした。


「だーいじょうぶ大丈夫。昼間っから飲んだくれてる酔っ払いの常連ばかりだもの。腹が減ったら自分たちで勝手に何かつまむだろうし、酒も自分で注ぐでしょうよ。もちろん、後でちゃんと料金は請求するし」


 現在店内にいるのは、勝手知ったる連中ばかりらしい。確かにこの濃すぎる主人の店で昼間から飲んでいるのは、常連にしかできない行動であろう。


「というわけでほらほら。楽な格好で聞きなさいな」


 二人は素直に従い、伸ばしていた背筋を若干緩めるのだった。

 キャシーは二人の反応に満足気に微笑むと、懐から葉巻を一本取り出し、マッチで火を付けた。

 


  ※ ※ ※



 およそ千五百年ほど前――。

 魔道士ヴェリスの手から逃れることに成功した混蟲たちが集まり、安住の地を求めて集団で移住してできた国、テムスノー。

 断崖絶壁の緑豊かな孤島が、いつしか『混蟲』という呪いを背負わされた人間たちの楽園になった。

 だが、今まで人が足を踏み入ることのなかった地に、いきなり国ができたわけではない。

 移住した混蟲たちは、まずは小さな家を作った。皆で協力しあい、時には自身に植え付けられた『蟲』の力を使い、一軒ずつ建てていったのだ。

 家が集まると、やがてそれらは村となった。月日が経ち住民の数が増えると、それは町に。さらに町が発展した時、優れた指導力を発揮していた者を皆で『王』にした。

 これがテムスノー国の最初期である。

 その町が発展しきる前、とある数人の混蟲たちはひたすら土を掘り続けていた。それは、彼らに流れる血がそうさせていたのだろう。彼らは安息の地を地上ではなく、土の下に求めたのだ。

 地中深くに居住を構えた彼らは、考え方の違い、何より生き方の違いにより、やがて地上に住む者との接触を減らしていく。

 彼らは地上に住まう者たちと同じく秩序と統率のある暮らしを求め、優れた指導者を長に祭り上げた。

 それが、蟻の混蟲の女性だった。

 まさに女王蟻となった彼女は、地下に住まう者たちに絶対の安息を約束した。

 月日が流れても、女王蟻が地下の絶対君主であることは揺らがなかった。

 しかしおよそ八百年ほど前、転機が訪れる。産まれてきた女王蟻の子供が、双子の姉妹だったのだ。その双子はやがて、地下の歴史に名を刻むこととなる。

 数十年は問題もなく、平和な日々が続いていた――かのように見えた。

 双子の姉の方を次の女王蟻として、数年経過した時だった。その政権、指導力に不満を持つ勢力が双子の妹の方を持ち上げ、反乱を起こしたのだ。人口が増えるにつれて、絶対君主制は難しいものとなる。

 すぐに鎮圧されるかと思ったその反乱だが、結果的に地下は姉勢力と妹勢力の真っ二つに分かれてしまうこととなった。そして、抗争という名の殺し合いが始まったのだ。

 勝ったのは、姉勢力の方だった。だが激しい抗争により、地下の人口は激減してしまう。それほど激しい衝突だったのだ。

 それ以降、女王蟻の一族は悲劇を繰り返さないために、ある掟を作った。

 女王蟻の一族に双子が産まれた場合、片方を即殺す、という掟を。



 ※ ※ ※



 キャシーは葉巻を一息吸い、煙を天に向かって吐き出した。白い煙は換気用の穴に吸い込まれるように流れていく。


「ええと……。確かに地下について俺たちは無知すぎるほど無知だけど、何も歴史の勉強から始めなくても……」


 このままでは日が暮れてしまう、とおずおずと挙手するラディムに、キャシーは微笑で答える。


「んもう。せっかちすぎると女の子に嫌われちゃうゾ」

「…………」


 ウインクをしながら鼻の頭を指でつつかれたラディムは、言い返す気力も奪われ脱力することしかできない。


「それにね、遠回りのようでいてそうでないのよこれが。その掟ができてから生まれた双子は三組いてね。一組目はおよそ五百年前。姉妹だったのだけど、速やかに妹の方は殺されたと記録が残っているわ。二組目は少し間があいて百五十年前。兄妹の兄の方がすぐに殺されたみたいね。そして十六年ほど前に、三組目の双子の姉妹が誕生した」


 十六年ほど前、という単語を聞いた瞬間、ラディムもフライアも瞠目する。キャシーは二人の反応を横目で見ながら長い赤髪を掻き分けると、葉巻を咥えたまま自嘲気味に呟いた。


「その双子の片割れの処分を命じられたのが、私と――そしてエドヴァルドの父親である、セクレトなの」

『なっ――!?』


 衝撃の告白に、二人は同時に声を洩らしてしまっていた。

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