1章 第二手芸部の超越怪姫 3節

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 廊下の窓から、グラウンドを見下ろす。立地的に、部室棟からグラウンドは小さくしか見えないけど、野球部が試合をしている一方で、サッカー部もまた練習をしていた。更に奥のテニスコートでは、テニス部が練習をしている。一年生たちは練習試合ではなく、壁打ちをしているはずだ。

「みんな、すごいな」

 思わず、そんな声が漏れていた。

 みんなはきっと、私みたいに迷わない。迷うことがあっても、仲間で助け合って前をまた向ける。

 私は、間違ったんだろうか。あの日、ドールに目覚めてしまったあの瞬間。他の同世代のみんなが謳歌するべき青春からドロップアウトして、自分の世界という名の牢獄につながれてしまったんだろうか。青い空の下、仲間と一緒にはしゃぎ合う未来を捨てて。

 牢獄を出る鍵は、見つかっていない。手枷だか足枷だかの外し方も、わからない。そもそも、私が見上げるべき青空は、どこから見えるのだろう。

 ああ、しんどいなぁ。

 全てはその言葉に集約された。自分が何をわからないのかさえ、はっきりとはわかっていない、言葉にできない不安があった。

 そして、それと同時に私は「わからない私」を客観的に見る、もう一人の私を心の内に飼っている。そいつは、今の私を悲劇的な境遇にいるお姫様と見なしていて、悲劇のヒロインである私を可哀想だ、と哀れんで、悲観して、楽しんでいる。こんなにも不幸な私、可哀想。それでもがんばってる私、かっこいい、と。

 私が私自身を哀れんでいる。そして、私は哀れむ私を憎んでいる。憎んでいる私は、哀れまれている……。自分の中にいくつもの自分が現れたような感覚だけど、これは別に多重人格になったとか、そういうことではない。

 ただ、一人であることをこじらせてしまったのだ。

 どうにか気分を変えたくて、私は部室棟を下り、上靴のまま、グラウンドの方に出た。すると、いきなり目の前に白いバレーボールが転がる。

「すみません、取ってもらえますか?」

 まもなく、体操服姿の小柄な女の子が顔を出した。私と比べれば多くの女子が小柄だけど、きっと一年生だ。

「うん、はい」

 素直にボールを軽く投げてやるだけでいいのに、私はわざわざ手首で打っていた。この新米らしいバレー部員に、技術を見せ付けるように。……そして、また自己嫌悪が生まれる。

「わっ、とっ、と……すっごい!お上手ですね、先輩……ですよね」

「うん、二年だから、先輩かな」

「バレー、お好きなんですか?」

「友達とよくスポーツで競い合ってるからね。自然と腕も磨かれるんだ」

「へーっ……すごいです、かっこいいです。でも先輩、制服ってことはスポーツ系の部活じゃないんですか?」

「――――『第二手芸部の超越怪姫』」

「えっ、しゅげ……」

「二年や三年の先輩に聞いてみればわかるよ。有名人だから。無駄に」

「そうなんですか、すごいです!」

「……なんかあなた、さっきからすごいばっかだね」

「あっ、えへへ、ごめんなさい。わたしは、大千氏(おおせんうじ)っていいます。いかつい名前ですよね」

「かっこいいね。武士みたいだ」

「そうですか?うーん、武士かぁ……確かに、そう考えると強そうですね」

「大千氏さん。ここで私なんかと話し込んでていいの?」

「あっ……!そ、そうでした。ありがとうございました。先輩。後、下の名前は未来って言うので、次からはそっちでお願いします!大千氏っていかついんで!」

「はいはい。じゃあね」

 ばびゅん、なんていう間抜けな効果音が聞こえてきそうな勢いで、大千氏さんは去っていた。あっ、未来ちゃんか。

 小柄で可愛らしい女の子だった。私も彼女ぐらい小さかったら、今でもお姫様になりきろうとして、周りから浮いていたのだろうか。でも、その浮き方ならまだマシだったかもしれない。今の私は、人に「不思議ちゃん」と思われる方向性ではない方向で、浮いている。

 どうして初めから、全力で隠す方向に舵を切らなかった。切れなかったのだろう。ずっと手芸部でマスコットだけ作って、家でだけドールの衣装を作ればよかったのに、なぜ学校でまでドールのことを考えてしまっていたのだろう。

 理由は、わかっている。私は一人でドールを楽しむ一方で、ドールのために磨いたこの裁縫の技術と知識を、自慢したかった。私はこんなにもすごいことをしているんだ。こんなにもドールが好きなんだ。

 ……私は、お姫様が好きなんだ。

 そう、自己主張したかった。だから、隠すことなくドール趣味を明かした。第二手芸部の発足に悪い気がしなかったのも、やっとドール好きの同士と友達になって、これから新しい素敵な日々が始まるんじゃないか、と考えたからだ。

 でも、現実は違った。私はもう第二手芸部から心が離れてしまっている。別に男のオタクばかりが友達だったことが不満なんじゃない。結局私は、お姫様が好きなんだ。他人のお姫様を見せてもらうことに、ときめきはない。むしろそのご主人様に声をかけられることに、不満とストレスを感じた。どうしようもないキモオタだけど、いいやつだということはわかっているのに。

「選ぶことは、人間の特権、か」

 いつかどこかでそう聞いた気がする。自然界の他の生き物はすべて、自分自身で選ぶということができていない。ただ、本能に従って生きているだけだ。その中で人間だけが、選ぶことができる。

 人間らしい思い上がった考え方だとは思うけど、自分で選ぶことができていない今の私のことを鑑みると、ああ、人でも“選ぶ”ということをするのは簡単じゃないんだな、と思い知らされる。

 大千氏ちゃんは、自分で選んで、バレー部に入ったんだろう。その動機はわからないけど、ぽやぽやとしていた彼女を見ると、ひとつ、スポーツでもやってみればしっかりした人間になれるかもしれない、という動機があったのだろうか。……安直と思う人もいるかもしれないけど、私にとってはそれだけでも眩しすぎる、しっかりとした動機だ。

 部活をやめることは、私のきちんとした「選択」に入るのだろうか。流されるがままに第二手芸部の部長となった私が。部長自らが部をやめる。それは、流され続けたことへの「反逆」たり得るのだろうか……。

「そんなことうじうじ考えたりしないで、きっぱりとやめればいいのに」

 まだ私は、人からの評価を気にし続けている。きっと根本的には未だに「いいこ」であろうとしていて、本当の意味での自我というものを持ててはいないんだろう。

 だからこそ、なのかもしれない。私は同類を見つけるのが上手かった。自分と同じように流されているだけの、人形のような人のことがよくわかる。

 ドールを愛している人間が、自分のことを人形のようだと言い表すのだから、いい具合にスパイスの利いた皮肉だろう。

 でも、私は遂に彼女と出会った。私の求め続けていたお姫様の姿をした人形に。

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