令和3年7月の三六九神示
月に1回は降ろされている三六九神示。7月の神示もとっくに降ろされていたのです。何とか気付いて7月内に紹介する事が出来ました。ふう、危なかったぜ。
今回の神示は伊豆の土石流やオリンピックの事について触れられています。後、この神示には37年(※執筆時)の歴史があるようですね。取り次ぐ人がいれば、今後も降ろされ続けるのでしょう。
では、お読みくださいませ。神示中に出てくるルビは私がそう読めたと言うものであり、本当は違う読み方をするのかも知れません。予めご了承くださいませ。
天に
但馬より丹後へ帰らせたのは、小富士山の
神の四九三は、時の流れと共に世に現すのであり。神人和楽の誠を忘れ、人間だけの都合勝手の為に地球を汚し、穢し、自ら身をあやうくいたして居る人類の改心を急ぎ、地球の浄化を急がねばならぬらこの時であるぞよ。
天の河の水を雨と為し、この地球に降りそそぐ。それを
万物に生命の源の水の恵み。汚れ穢れは大海原へ持ち出でて、海に到りては龍宮乙姫とも名を替えて汚れ穢れを浄化なし、新しき生命を生む、真に
神の御魂は、
荒魂は修理固成の荒々しき神業であり、厳しき浄めとなるのであり、あの有り難き水の恵みも激流となれば岩をも砕く土石流となり、あの有り難き水が人民を恐怖に落とし入れる事ともなるのであるぞ。
この度も、熱海の伊豆山で龍が山から海へ駆け降る如き土石流が起こりたが、そこには大雨だけでなく人間の不正な行いもあっての事であり、神は人民を苦しめる氣はないが、人民が自然を汚し穢したり不正な工事をいたして危険な造成をいたして、危なき所に住んでおるから、やむえず修理固成や浄化の風雨によりて、思わぬ災いに遭う事となるのであるぞ。
人民は有り難き神の和魂の恵みに甘えて、荒魂の厳しさや恐ろしさを忘れて、人間だけの栄えの為に好き勝手の事をいたし、山を崩し、川や海を埋めて、昔は人の住まぬような所に住み、一時の悦楽を喜んで居る今の世であり、これからもよほど心して人の住居も造らねば、思いがけぬ災いに遭わねばならぬ事となるぞよ。
今は日本も世界も人口が増えて、大雨が降れば山崩れに遭うような所や水害に遭うような所に大勢の者が住みておるが、次々に見せる神の警告をおろそかにせぬようにいたしてくれよ。災いに遭いて神を恨みても後の祭りであるぞ。
荒魂の厳しさ恐ろしさ、神の働きには荒和のある事を忘れてはならぬぞよ。生命の源とも申せる有り難き水が、時に恐ろしき土石流となるのじゃぞ。
人民は、神とは人間の都合勝手な願い事を聞き
困った時の神頼みの信心でなく、空気も火(日)も水も食物も、その元は
神の法則は原因結果と現われるのであり、如何に祈り願い立派な祭りをいたすとも、我が身が善き思いとなり、
心言行。誠信の道に通じなば、どんな大望な願いも適えてやろうぞ。心言行を正す事は、神の御魂を分けて頂く、人(
嘘をつき、人を騙し、利を得て栄える事が出来てもそれは一時の仮の栄えであり、必ず原因結果より崩れてゆくのであり、個人の事から世界の事とて同じであり、権力で人民の自由を押さえ世界を一国の自在にしようとするような独善の道は、必ず自ら崩れてゆくぞよ。それ、誠とは心言行の一致であるぞよ。
さあ、オリンピック。如何なる国の内に治らず、新型コロナの終息も見えぬ中で無理矢理開催いたし、良い顔を見せたいところであろうが、さあ、どうなるか。無理をし世界に恥をかかさぬようにいたさねばならぬぞよ。
様々な流言飛語の飛びかう中、利己主義の道に迷いてはならぬぞよ。皆が和となり、手を繋ぎ助け合いつつ、かの大節を越えてゆくのであるぞ。
言霊神也 ン
令和三年七月九日 天橋道士龍華斎 修聖拝写。
自然災害は人の業の結果なのですね。治水で災害を治めてきた歴史もありますが、今は人間の無茶が災害と言う形で戻ってくる事ばかりです。要するに、自然を舐めすぎているのですね。伊豆の災害のメガソーラー原因説は今回却下されておりますが、いずれはメガソーラーが原因の災害も発生するのではないかと思います。
自然を大切にしていた先人の想いを、今こそ取り戻さねばならない時期に来ているのでしょうね。
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