12.往来に巣食う異邦人たちⅢ

 2022年1月1日土曜日、北海道札幌市某所。


 乱れ飛ぶ銃弾、高速で繰り出される風の刃、そしてそれらを真正面から迎え撃つ裾広がりの刀身。剣戟の鋭い叫びが周囲に充満し、戦士たちの集中は極限に達していた。


 白髪の少年は両手を水平に構えた途端前進し、脳天と右肺目がけて飛来した物体を見事に打ち落とす。

 側転の要領で身体を器用に空中で回転させ、そのまま目前の狂人に斬撃を見舞う。触れただけで血肉が木っ端微塵に砕け散る勢いの霧を、狂人は易々と右手で操る空気の刀身だけで受け止めた。半透明のそれと霧の刃が激しく擦れ、互いに削り合い醜い嬌声を上げる。


「おィおィ、一撃に力ァこもッてねェぞォ、おァ?」


 狂人は間抜けな声で白髪の少年を挑発する。果たしてそれは何かの作戦なのだろうか、だとしたら少年には一切の効果が見られない。


「俺の仕事は、お前たちを粗挽きにすることじゃあ、ないからな」


「けッ……なァに真面目なこと言ッてんだァッ!」


 唐突に声を荒げた狂人は少年から一歩距離を置くと、懐から取り出した剣柄と元の一本で激しい斬撃を繰り出す。

 レイピアの刺突と大差ない速度で多方面から連撃を浴びせられた少年は、回数が加速度的に上昇する凄まじい斬撃をさすがに両手では捌き切れず、全身に切り傷を負ってしまった。


 眼前の男に速度と剣術では敵わないと悟った少年は大きく後退し傷の回復を待ったが、消耗した身体に追い打ちをかけるがごとく、背後から凡そ三発もの銃弾が少年を襲撃した。


「――もう、使うことになるのか」


 嘆息交じりに呟いた刹那――一発が腰椎の上部の肉に突き刺さり、その周辺の骨肉を綺麗に抉り取った。その痕跡はコンパスで描いたような円形で、生理的嫌悪感を除けばもはや芸術品のような美しさを感じる。

 だが問題は切断面の美しさではない。


「…………いづっ!?」


 白髪の少年が小さく呻いたその瞬間、肉の抉れた部分に滲んでいた血液が勢いよく噴き出し、煙突状になったかと思うと、そこから正面の狂人を含む直径30メートルの範囲に薄い壁となって広がっていく。画用紙程度の厚みの血の壁は、内側から外側をはっきりと見ることができる。


「こりゃァ、一体なんなんだよォ……?」


「俺の血で作った『罠』が壁になるなら、そのオリジナルもまた然り、ってことだ」


 白髪の少年は外界からの衝撃を肉体に受けた際、破損した部分を瞬時に血の結晶で覆うことができる特異な体質の持ち主だ。しかしそれは少年が「痛みを感じ取った瞬間」に発動するものであり、意識が間に合わなければ出血は止められない。


 そこで彼――楠森バジルは自身の持つ魔剣『自在剣』の力を借り、患部より流れ出る血液を故意に放出し高濃度の霧を生み出し、それを広範囲に展開することで強力な壁をつくり出したのだ。


「随分とォ酔狂なモン作るじゃンかねェ……!」


「そうか。……だけど、ここでお前とはさよならだな」


「なァに言って――」


 男がバジルに言及しようとした時、すでに彼は驚愕の行動に出ていた。


 ――以前、バジルは自在剣の霧の刀身を自身の腕に宛がい、結果的にロケットパンチみたいに腕を吹き飛ばしたという面白くも笑えない事件があった。バジルに一時期自在剣の使用が禁止されていた大元の原因はこの一件である。

 つまりジェット噴射並みの力を持つ刀身が、たとえバジル自身の血液でできていたとしても、その効果は本人にも通用するのだぁぁぁぁぁぁぁ……………………。



 赤い壁から出てきたバジルは、正真正銘のスライムだった。

 しかし事後十数秒で完全回復を遂げたため、危うかったものの命に別状はない。

 なお、バジルの背中から生まれた血液の壁は、血液瓶でできた『罠』と同じく一定時間はその場に残り続けるため、中には黄土色の髪の男が真っ青な顔で閉じ込められたままである。


「だいぶ強行策だったけど、うまくいったみたいだな……」


「…………」


 目前の男と目が合う。男は口元を包帯で隠しており表情がよく見えないが、筋骨隆々な巨躯と殺意に満ち満ちた双眸を見れば、その男がバジルにとって敵であるのだとすぐに理解できた。


「どういう兵器かはわかりかねるけど……おたくも『同類』なんだろ?」


「…………」


「沈黙は肯定と同義なんだけどなぁ……」


 一人で勝手に喋り、勝手にはにかむバジルから男は目を離さなかった。恐らくこれからバジルが何をしようとしているのか、大凡想像できたせいだろう。


「さっきからニーデルが何か言ってるけど……まあいいか」


 バジルは後方の赤い円柱に閉じ込められた人影を一瞥すると、再度両手の柄から刀身を現出させる。先ほどと同じく健康的な赤橙色の血液でできた霧を加工してつくられる刀身、しかしその刀身は異常量の血液をずっと置換し続けることでようやく力を発揮するのだ。


「俺は任務を忠実にこなす。マイのような人間になる。だから、お前はその糧となれ」


「…………」


 はっきりとした合図もなく、戦いの火蓋は切って落とされた。


 男は右腕に嵌めていたガントレットをバジルに突き立て、左手で支えながら掌の銃口より謎の赤い塊を撃ち出す。

 その勢いは当然人間の目視では捉え切れないのだが、バジルは受け皿のごとく構えていた片手剣を振り上げて、噴射する血液の勢いで塊を粉砕した。


 斬り上げと同時に前へ踏み出すと前方から第2撃目の弾丸が飛来するが、これも左手の剣で難なく撃ち落としてみせる。もはやゲーム感覚で迫りくる徹甲榴弾を無力化するバジルに、男は戦慄し大きく後退った。


 なぜか今度のバジルには、殺意が一切見られない。以前に自ら引き起こした悲劇と同じ状況下で、且つその時以上の一撃必死の攻防を繰り広げているというのに――なぜか笑顔を浮かべているのだ。


 それは使命感か、もしくは刺激のある戦闘が彼を奮い立たせているのだろう。

 これまでの報われなかった奮闘の痕跡を背負いながら、それでも彼は再びの戦いを楽しんでいた。

 常軌を逸してはいるものの、如何にバジルが現在の居場所を愛おしく思っているのか、そして彼の「仲間たちの信頼を取り戻す」という意志が、一挙一動からひしひしと伝わってくる。


「こう、無言で戦うのも悪くないけど……おたくとアルビノの連中は、一体どういう繋がりがあるんだ?」


「…………」


「そう……じゃあ、あとでニーデルにでも訊くよ」


 バジルは怪訝な様子で呟くと、肢体目がけて放たれた三発の銃弾を一太刀で軽々と払い落とした。互いに前進と後退を繰り返す両者だが、あまりにバジルが銃撃を恐れないため、段々とその距離は縮まってきている。


 男の悪足掻きはそれでも続き、ついに本気とばかりに左手にガントレットを装着した。

 重々しい外見とは裏腹に男はそれを軽々と使いこなすため、それがただの武装ではなく新人類の開発した兵器の一種なのだと理解できる。


「今度は一体、どんな小細工を……?」


 しかし構うことなくバジルは男のほうへ走り出し――先ほどの宣言をことごとく破る一撃を男の頸部へと放った。

 尤もそれは、男がバジルと同じ体質を持つ人間だと理解したうえでの行動だ。

 普通の人間ならば首を刎ねられただけで当然絶命するが、バジルたちは数秒間昏倒するもののなんの後遺症もなく最後は完全に再生する。バジルは男が気を失うその数秒間を狙っているのだ。


 だが、男が左手から撃ち出した球を、バジルが太刀筋を変え刀身で迎え撃ったその刹那、再び周囲を謎の閃光が包み込んだ。

 数分前――バジルたちの追っていたアルビノの輩の中から、ニーデル・カーンが現れた際と同じ光だ。なんの前触れもなく現出したかと思うと、抗う間もなく呑み込まれる。

 

 そして鋭い白色と耳をつんざく機械音の凝縮されたものが一気に弾け、己の視野と意識を食い破られるような感覚に陥り、バジルは視界を埋め尽くす黒い焦げ跡を拭うようにもがき苦しんだ。


 それから数秒が経過し、段々と夜光を吸収し明るさを取り戻した眼界には、なぜか男の姿がなかった。


「どこに行った……?」


 バジルは必死に辺りを見回したが、黒服に身を包んだ巨体は見当たらない。男はバジルの隙をついてどこかへ逃走したのだろうが、隙といってもほんの数秒間だったため、それ程遠くへ行ってしまったという可能性は極めて低い。

 もしや、そう思った彼は焦燥感の滲む表情で、元来た丘を駆け登っていく。


「――やっぱり、侮れないな……」


 バジルが頂点に到着した時には、すでに紅蓮の絶壁が完全に消失していた。元々壁の在った場所には一切の痕跡もなく、唯一残ったのは汗と血にまみれその場に佇む一人の男と先ほどまで交戦していたガントレットの男だけである。


「どうやって破った、どこか綻びでもあったのか?」


 バジルは目前の男の全身を眺めてそう訊ねた。彼の強行策によって血液の壁に閉じ込められたあとに色々と試行錯誤をしたらしく、細身の男の持つ剣柄は傷だらけで、尚且つ彼の両手の指先は肉が抉れてひどく出血している。だがその程度の抵抗で突破できる程、バジルが身体を張って生み出したあの壁は軟なつくりではない。


「あァ……? そりゃァ、頑丈且つ厳重な壁だッたわなァ。お蔭でかなり手こずったぜェ……」


「その割には嬉しそうだな……あと、なんだかデジャヴな気がする」


 先ほどまで死闘を繰り広げていた二人は、相手への称賛とばかりに苦笑を浮かべた。元よりバジルの目的は彼らの足止めであり、男の命を奪うことではなかった。戦いを終え今さらその事実を思い出したせいで、妙に面映ゆい気分になってしまう。


 しかしバジルの胸中には、確かに怒りがあった。

 それは黄土色の髪の男が、拳銃でHarderを撃ち抜き無理やり接続を絶ったことに対するものだ。それは剣を交えただけでは到底拭い去ることのできない、本気の憤りである。


「どうせもう、あのアルビノ連中は仲間が捕まえている。だからもう俺がお前たちと戦う理由も、なんにもありはしない」


「……なァにが言ィたいんだァ?」


「今回は、見逃してやる……その代わりに、あの連中との関わりをちゃんと教えてくれ」


 感情的になって相手に憤りをぶつけて、心の靄を晴らすことに意味はないことをバジルは知っている。そしてその行為は、加害者も被害者も利益を得ない不毛なものだ。

 たとえそれが、ポテンシャルがいまだ未知数の連続殺人鬼であったとしても、決して交渉に私情を持ち込んではいけないのである。


 バジルの持ちかけた話に、奇抜な衣装を着た男は下卑た笑みを浮かべて、


「まァ、いつンまで戦ッてンのも時間の無駄だわな。いいぜ、楽しィ楽しィ北海道旅行の土産にでもくれてやるよォ」


「どうやら、利害は一致したみたいだな」


「……今回はなァ、俺らァスポンサーなんだよ。まァさすがに、付いてる企業の名前ァ明かさねェけどよ、あの白い奴らは正真正銘俺らの顧客だ。きちんと商売成り立ッてんだよォ」


「……なるほど、そうか。つまり、あのアルビノはお前らの雇ったよろず屋で、お前とそっちの男は見張り役ってことなんだな」


「そォだよ、これでいいかァ?」


 男は早急にこの場を立ち去りたいのだろう。鬱陶しげな視線をバジルに向け、歯軋りしながら貧乏ゆすりを始めた。


「まあ待て。あいつらの拠点はどこなんだ……?」


 バジルは一気に踏み込んだ質問を投げかけた。これにはさすがの男も眉をひそめる。


「そいつァ話して、俺らになんの得ァあるッつうンだァ!?」


「そ、そうだな……」


 バジルは少しばかり黙考すると、徐にある場所へ向かった。

 それは、地面の土で薄汚れてしまった、全身真っ白の美しい少女……の分身。首を鉛で穿たれてから沈黙を貫いていた彼女の、胴体の傍に転がっていたカバンを拾い上げる。


「この中には、俺の血でつくった瓶が6個入っている。……これでどうだ?」


 目を伏せて手元のカバンを差し出す彼から、近付いてきた細身の男はそれを奪い取った。


「――東北にある俺らの基地の一つをくれてやッた。そこに居るはずだ」

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