12.純白機巧少女のナ・カ・ミ
2021年8月15日日曜日。神奈川県川崎市、アパート『隣人荘』2階、楠森家。
午前7時15分、38秒。
仰向けで布団に横たわるバジルと、見下ろす端整な顔。二人を包む鐘の音は、7時15分になってから、もう38秒も鳴りっぱなしだ。しかし、Lの字になりながら見つめ合う少年少女は全く気に留めていない。
長く膠着状態が続くと、段々相手にアクションを求めるようになり、自分は心身ともに受け身の構えを取ってしまいがちだ。そのためバジルは、不愛想且つ口下手な少女が何かを語りかけてくる一縷の望みに懸けて、膝枕をされながらじっと黙っている。対する少女は、バジルに膝枕をしてあげているわりにずっと無表情なので、何を考えているのか見当がつかない。
「――お待たせしました、楠森くん。本日もご同行願います」
気まずい空気を醸すバジルに、突然現れた赤髪の少年は爽やかに挨拶する。
少年――ヴォルカンが楠森家にどうして入ることができたのか。今回が2度目だがいまだに不明のままだ。
だが彼のお蔭で、なんとか膠着状態を脱することができたので、バジルは苦笑しながら安堵の息を零した。しかし彼は何かを悟ったらしく、顔を不安そうに歪め、
「戦闘訓練なんだろ? その言い種だと一瞬だけ安心しちゃうから、今後は気を付けてくれ……」
「おや、これは失敬しました。以降はもっと、適切な挨拶をいたします」
「お、おう……」
「それでは、参りましょうか」
ヴォルカンの慇懃な態度に気圧され、バジルの声はさらに強張る。だがヴォルカン当人は、バジルの心情など構わず、彼に向って爽やかにスマイルをしてみせた。
結局、バジルとマイとの気まずくも温かい雰囲気は雲散霧消してしまったが――アパートを誰よりも早く出発したことから、不機嫌ということはなさそうだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
隣人荘1階、楠森家の真下の部屋を経由して、再びビル内にやって来たバジル。 このルートで辿り着く室内は相変わらずの静けさで、もはや人間の気配すら感じさせない。廃アパートの地下倉庫だと言ってしまえば、大体の人間は誤魔化せそうだ。
「それでは、僕はここで失礼します。楠森くんは地下4階までおねが――」
「いや、普通に5階まで行っていいかな?」
笑顔で見送りの言葉を述べるヴォルカンに、バジルは鬱陶しげに訊ねる。訓練施設となっている地下4~5階は吹き抜けになっており、どちらの階でエレベータを降りてもいいはずだ。仮に4階で降りると、わざわざ階段で移動しなければいけない。ぶっちゃけ面倒なのだ。
しかし黙してしまったヴォルカン、バジルも黙って向き合っていると、エレベーターが到着した。
「ごっ……5階は女子更衣室に直接繋がっていますので、気を付けてくださいね」
「あ――ちょっと待てよっ⁉」
謎すぎる言い訳を残して、先にヴォルカンはエレベーターを連れて行ってしまった。
仕方がないので、バジルは別のエレベーターで「B5F」へ――。
「――女子更衣室に繋がってるとか、冗談も甚だしいな……」
到着したのは独房のような、一直線の通路と水平にドアが幾つも並んだエリア。 先日ヴォルカンが、このビルには住居エリアも存在すると言っていた。そこから達したバジルの見解は、
「なるほど……訓練施設はまとめて地下4階になっているのか」
今さらヴォルカンに謝るのも癪なので、バジルはフロアを探索することにした。
一直線にのびるタイルカーペットの通路を歩いていくと、エレベーターの方向から見て右側がローレンス派、左側が恵光派の同志たちの住居になっていることがわかる。ローレンス派は全員の姓が統一されているが、恵光派は各々きちんとした苗字があり、その中の幾人かは学校でも見かける名前だった。
するとその中に、日和ではない「
「あれ、もしかして妹さんかな……?」
妹の可能性が浮上した瞬間、バジルの双眸は好奇心と昂奮感で輝きを増し、息が荒くなる。傍目不良にしか見えない少年が、女性の自宅の前で息を荒げている――口にしただけで犯罪臭漂う情景ではあるが、彼の期待感だけは理解できなくもない。
『トン、トン』
確実に2度、すりガラス製の扉をノックする。ついでに『新人類』の住居のプライバシー保護が甘いことに少し危機感を覚えた。
『はーいっ……?』
ノックから数秒後、室内から声が聞こえる。さすがに声で外見などを判断するのは難いが、明らかに若い少女の声だった。
日和以外の女性の家に行ったことがないバジルは、今さらどうしようもないほどの気恥ずかしさを覚えた。一度でも顔を合わせているならまだしも、初対面の女性に「何か用でも?」と聞かれたらどう答えたら正解なのか、バジルには見当もつかない。
最初の声に対して、バジルが返事を決めあぐねていると、
『あっ、もしかして日和ちゃん? マイちゃんの『
「あ、あの……」
室内の少女は、予告どおりにすぐ扉を開けた。
「はっ、はい、これっ…………」
「えっと、初めまして。自分、楠森バジルと申しますっ」
――と自己紹介を終えた途端、目の前の人影は前触れなく後方へぶっ倒れる。手に長い何かを握っていたようだが、瞬間的に縦に持ち替えられたお蔭で、特に損傷は見られない。
「え、いや……これはひどい」
バジルも、住人の挙動が非現実的すぎて眩暈を覚えた。
恵光姓の少女は、卒倒してからしばらくは目を覚まさなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あ、あの、あっ、その……」
「な、何かな? 気になることがあるんなら、構わず聞いてよ」
「なっ……なんで、ボ――わた、しの部屋……来たん、ですか……」
「芝生のところに行こうとしたら、間違えてここに来ちゃって……探索してたら、日和以外の恵光姓を見つけたから、もしかしたら妹さんかなー……ってね」
バジルと住人の少女は、すりガラス越しに会話する。少女は何ゆえかひどく怯えた態度で、声やガラス越しに移る影が異常なまでに震えている。だがバジルは、少女の挙動がおかしいことに一切気付いておらず、日和と接するようにラフな調子で接していた。
「君の名前は……
さながら親戚の叔父のような口調で、バジルは少女に年齢を訊ねる。
「じっ、じぅ、じゅう、ご、ですっ……」
少女はさらに何かを言おうとしたが、羞恥に悶えているのか、続きを言い淀んでしまった。
ところでバジルは、彼女の風貌と声に謎の親近感を覚えていた。
「えっと、蓮美ちゃん……俺とどこかで会ったことある?」
「いぇあそっ、あ、あの……ぁ…………です……」
「え、ごめん、もう一度いいかな?」
「あっ――あったことありまひぇんっ!?」
急に声を荒げたうえに、思いっきり舌を噛んでしまった少女。痛みと羞恥の両方が、一気に全身を駆け回り、逡巡して小さく縮こまってしまった。
少女はバジルの記憶を否定しているが、確かに彼の中では似通った人物像が浮かんでいた。
赤茶色の短い髪をツインテールにした髪型は、つい最近見たばかりのダブル白鰹節に相通じるものを感じる。すりガラス越し・服越しだが、小柄で控えめな体格もどこかのロボットで見たような覚えがある。
……唯一似ていないのは、なんと言っても性格だ。もはや正反対といっても過言ではないというほどに、目の前の少女と機巧少女の性格は一致しない。見たところ口下手で臆病な彼女と楽観主義の鑑のようなロボッ娘とでは、まずかすってすらいなかった。
「じ、じゃあその、お邪魔しましたぁ……」
「…………」
バジルに対して、少女からの返事はない。少しドアからのぞかせた幼い顔は、歓迎の文字などまるでなくて、ただ「早く帰ってくれ」と言わんばかりに彼を睥睨していた。
少女――蓮美の部屋から出て、エレベーターに向かっている途中、
「あれ、ジルくんじゃないか」
「……日和ってさ、なんの前触れもなく現れることが多いわりには、マイとヴォルカンが俺の部屋で騒いでても一切、口出してこないよな。どういう意図がある感じなの?」
「残念だけど、ジルくんの退屈な言葉遊びには付き合ってられないんだ。わたしも忙しいのでね」
胸の前で腕を組みながら、訝しげにバジルは「蓮美ちゃんとの件か?」と訊ねる。
「君ぃ、彼女に手なんか出してな……ごめん、なんでもないよ、じゃあね」
「言いかけたことを言ってみろよっ⁉」
「蓮美」の名前が出た瞬間に不機嫌になった日和だったが、突然勢いをなくして謝罪を述べた。その移行速度とテンションが異常だったので、バジルは咄嗟に突っこみを入れる。
「いやぁ、よく考えたら君に乱暴は無理だなぁ……ってね」
日和は満面の笑みを浮かべた。ドヤッ。
「ははは、そう怒るなよジルくん。代わりに一つだけ質問を受け付けるよ」
「……蓮美ちゃんってさ、ぶっちゃけ日和の妹ですか?」
「観念的にも法的にも違うかな」
日和の、バジルに対する返答は、そんな意味不明な感じだった。
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